パリの屋根の上、かぼちゃが実る【屋上菜園/オペラ・バスティーユ】
パリのバスティーユにあるオペラ座といえば、一流のオペラやバレエの公演会場として有名だが、実はその建物の屋上が、2500平米もの菜園になっている。
2016年1月、パリ市は「Parisculteurs(パリキュルター)」プロジェクトを発表し、2020年までに100ヘクタールを緑化、そのうちの3分の1は都市農業という憲章を掲げ、33の会社や組織がそれに署名して計画を推進してゆくことになった。翌年にはさらに41の団体が新しく加盟するなど、官民一体になったエコロジーへの取り組みは広がりを増している。
その最たるものがパリのモニュメントの屋上を使っての菜園。オペラ・バスティーユでのプロジェクトも2016年に発表になり、応募75のアイディアの中から「TOPAGER(トパジェ)」案が選ばれ、2018年に初の収穫が行われた。
「トパジェ」の創始者の一人、フレデリック・マドルさんの案内で筆者は初めてオペラ・バスティーユの屋上に登ったが、そこには想像以上に豊かな実りが待っていた。トマト、ピーマン、ナス、ズッキーニ、インゲン、きゅうりなどの季節野菜を始め、あらゆる種類のハーブや食用の花々がフサフサとしている。これらの作物は、毎週火曜に収穫して約50のバスケットに詰め合わせ、従業員食堂前で登録している人たちに配られるシステムになっているという。
「トマトはスーパーで売っているのとは違って、昔ながらの品種を栽培しています。輸送の際に傷んでしまうという理由であまり栽培されなくなってしまった品種でも、ここでは収穫したそばから消費者に渡るから大丈夫。しかもしっかりと熟した状態です」
そう聞けば、思わず口中に唾が…。
そんなこちらのいやしん坊ぶりを察してか、ラズベリーを摘んで手のひらに載せてくれた。口に含めばジュワッと果汁が溢れ出て、みずみずしさも風味の凝縮度も抜群だ。
今が実りの最盛期で、冬にはすっかり枯れ果ててしまうのでは、という筆者の予想に反して、四季を通じて問題なく栽培ができるとフレデリックさんは言う。
「冬でもキャベツ、ポロネギ、サラダ、シブレット(ワケギ)、ほうれん草、セロリなどがとれますよ。パリは意外に暖かいんです。都市熱で郊外よりもおよそ2度気温が高いせいもあるし、そもそもフランスはガルフストリーム(北大西洋海流)の影響で温暖。北米の同じ緯度で冬の都市菜園は無理でも、パリでは可能です」
フレデリックさんはもともとパリ第6大学で生物学を学び、隣接する自然史博物館でも研究を重ねてきており、パーマカルチャーなどにも造詣が深い。研究テーマは都市のエコロジーで、特に屋根の上での生物多様性や壁の緑化などを専門にしてきたが、「トパジェ」を立ち上げて、研究を実践に応用することになった。
まずはパリの農業学校の屋上から、そして学校や個人宅のテラスなどでの経験を積みかさね、2014年にはエッフェル塔近くのホテルpullmanの屋上で菜園を展開。これがパリの都市農業として初の大きな試みの一つに数えられている。以後毎年十数件のプロジェクトを手がけ、スタッフも20人に増えた。
この菜園では土が20センチくらいの深さに限定されているので、じゃがいもなどの根菜は作れない。けれども、少ない土だからこそアロマ(香り)が凝縮するのも興味深いところだとフレデリックさん。耕作はもちろん無農薬で化学的なものを一切使わないエコロジーな手法がとられていて、路上よりも風が強いという屋上の特性が、カビなどの病気の発生防止に役立っているのだそうだ。
ところで、都市の作物となると公害の影響が気になる。その問いを彼に向けるとこんな答えが返ってきた。
「2012年頃、公害問題を専門とするラボラトリーと一緒にその点についても研究しました。結果、パリは田園と比べて、必ずしも公害が多いとはいえないことがわかりました。たしかに都市では、人間の呼吸器に影響を与える公害があります。路上で低い位置にいるほどその影響を受けます。けれども高いところではその種の公害の影響がほとんどないうえ、呼吸器に望ましくない公害は植物にとっては必ずしも害にはならず、逆に肥やしとして作用する物質もあり、都会の方がよく育つ作物もあったりします。つまり、人間の呼吸器には好ましくない環境で育った作物を食べることが、体に良くないことにはならないのです」
今夏はパリでも40度超えを記録するなど温暖化の影響は深刻だが、都市の緑化はこの問題にも有効に働く可能性がある。
「ある研究によると、もしもパリやトロントの半分の建物の屋上を緑化したとすると、それによって市全体の夏の気温を2度下げることができるそうです。この2度はとても大きい。2003年のフランスの記録的な酷暑では、たくさんのお年寄りが亡くなりましたが、この2度の違いで救われる命があると思うのです。2020年までに100ヘクタールを緑化するというパリ市の目標は、その経験からもきているはずです」
ちなみにこの屋上菜園は、現状では一般には公開されていないが、近々アソシエーションを立ち上げることで、もっと広かれた場所にしてゆきたいとフレデリックさんは言う。その名は「オペラ・キャトル・セゾン」。一般の人でもこのアソシエーションに登録することで、オペラ・バスティーユの屋上を訪問できたり、今後予定される菜園でのアトリエなどのイベントに参加できるというものだ。
「屋上菜園は外からは見えないし、足を踏み入れることも難しいので、建物で働いている人でも、その存在を知らなかったりします。けれども今後アクセスが可能になってくると、屋根は新しい意味のある場所になってくる。生活の場、農業の場、自然と親しむ場、楽しみの場所。土地があまりない中で、この場所を利用しない手はないですよ」
とフレデリックさん。
「パリの屋根はグレーというイメージが定着していますが、こうして実際に屋根に登ってみると少しずつそれが変わりつつあるのがわかります」
たしかに。
彼に促されてオペラ座の上から街を一望すれば、亜鉛の屋根や煙突に混じって、ところどころに緑が点在しているのがわかる。
空から見たパリの風景は今確実に変わりつつある。