進化する農業用水安全対策 最新技術には「助かる技術」が盛り込まれている
毎年100人前後が命を落とす農業用水の水難事故。事故から命を守るために、安全対策が急速に進んでいます。そして、最新技術には「助かる技術」が盛り込まれています。どのような技術でしょうか。なぜ必要なのでしょうか。
富山県での救助例
間一髪の救出劇でした。60 cm幅の用水路は富山県内の典型的な幅の用水路です。冬でも通水されており、流れは場所によって秒速1 m以上になります。12月の水温はおおよそ4度です。一度浸かったら、30分も命が持ちません。
小学生が落水した箇所は当然ふたがされていないはずです。そこから16 m流れて金網のふた(グレーチング)の下で水路のへりにつかまっていたのです。陸上の人がグレーチングを外して、小学生を助け上げました。そのまま流されていたら暗渠に入り、捜索に時間がかかったことでしょう。想像しただけでもぞっとします。
現場には、助かる技術が使われていた
幅60 cmのグレーチングですから、かなり重量があります。それでも頑張れば図1のように、人力で外すことができるようになっています。なぜかというと、グレーチングの下が「助かるポイント」だからです。
60 cm幅の用水路は一度流されると自力で起き上がることができません。スライダープールの滑り台と同じで、あの流れの中を流されながら立ちあがることができないことから容易に想像がつくと思います。
それ以上流されないためには、手でつかむ場所が必要になります。グレーチングは手でつかむのにちょうどよい格子状になっていて、仰向けで流されれば、目の前に現れたグレーチングをつかむことができます。そのまま大声を出して助けを求めれば、陸上の人に見つけてもらうことができます。
もし、この現場にグレーチングがなかったら、小学生は道路下の暗渠に入り込んでしまい、救助が大幅に遅れたかもしれません。本当に助かって良かったと思います。
全部暗渠にすればいいのではないか
その通りです。上流から下流まで全部暗渠化すれば、人は用水路に落ちることがありません。実際にそうしている用水路が新潟県長岡市にあります。図2に示す用水路は新興住宅地と農地との境を流れています。この用水路は30年くらい前は開口用水路でした。ところが、この用水路に男の子が落ちて2 kmほど下流にまで流されて、亡くなりました。その後、上流から下流にかけて、コンクリートのふたをかけて、すべてを暗渠化したのです。
ところが、この方式では通水するだけであって、用水を農業に使うことができません。さらに膨大な初期費用とその後のメンテナンス費用がかかることは容易に想像できます。このコストは当然、農作物の価格に跳ね返ってきます。
そのため、現在の農業用水安全対策は、人が近寄る確率の高い所から重点的にコンパクトかつインパクトのある手法を導入するように進化しています。事故の発生した富山県の現場では、暗渠となる手前にグレーチングを設置して、万が一に備えたと言うことができます。
進化する安全対策技術
重点的にコンパクトかつインパクトのある水路の安全対策を行うなら、「助かる技術」を盛り込むのが進化した最新の安全対策技術のトレンドです。
図3をご覧ください。長野県の比較的雪の多い地区の用水路に設置された転落抑止カバーです。この箇所は通路幅が狭く、積雪などの条件によっては人が用水路に転落する危険があります。柵を設置することも検討したのですが、もし高さのある柵をここだけに設置すると例えば上流で落ちたり対岸から落ちたりした人が上陸できる場所を狭めることになります。消防による水難救助活動も困難を極めます。
ここは落ちても人によっては上がれる程度の深さの所です。ただ、上陸する道路面にはつかまるところがありません。そこで図4のように転落抑止カバーそのものに曲率をつけました。その結果、手をかける所ができて平坦な道路面に比較して楽に上がれるようになりました。
図3のような場所では積雪があると特に自力で上がれなくなります。屋根の雪下ろしの経験がある人は、自分の上がる場所を掘らない限り、屋根に上がることができないことを痛いほど知っていることと思います。用水路のへりに、この転落抑止カバーが設置されていれば、まずこの上に楽に上がることができます。
この技術を開発した株式会社ダイクレに勤める植田貴浩さんは「転落を何が何でも防止するのではなくて、抑止することにこだわった中途半端加減が助かる技術につながった」と話します。カバーの持つ曲率も「何か、人に対する優しさを盛り込んだら、結果的に落水した人に優しい構造になりました」とのこと。もし、転落防止にだけこだわったら、製品が道路から見て斜めに切り立った柵になっていたかもしれません。
さいごに
流域すべてにふたをすることができないのが、農業用水です。そして、危険箇所だけにふたをしたり、柵を設置したりすれば命を守れるかというと、逆に危険を生むこともあります。万が一の水難事故の時には比較的楽に上陸できるとか、救助できるとか、様々なことを考えてバランスのよい安全対策、すなわち製品に仕上げなければなりません。
水難学会は、このような製品の水難事故防止に対する技術適合の審査を行い、社会が安心して技術を導入できるように目指しています。