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政治資金規正法を「ザル法」と騒ぐ民主主義の逆行者たち

田中良紹ジャーナリスト

 新年明けましておめでとうございます。

今年は世界史に転機が訪れると思いますが、その変化を一つ一つ読み解いていくつもりです。今年もよろしくお願いいたします。

 ところで日本では年末年始を返上して検察とメディアが「政治とカネ」の追及に力を入れている。そのため国民は、欧米民主主義に代表される第二次大戦後の国際秩序が衰退し、多様な価値観に基づく新たな秩序への模索が始まったことより、政治資金規正法の罰則強化が日本政治の目指すべき課題だと思い込まされている。

 私は今年最初のブログに世界が大転換期にあることを取り上げ、日本は憲法を含め戦後の生き方を根底から見直すべきだと書こうと思ったが、東京地検特捜部の連日の強制捜査報道によって、国民が民主主義とは逆の方向に誘導されていく懸念から、ブログの内容を変更した。

 「政治とカネ」の政治スキャンダルが日本列島を覆いつくし、それが国民の最大関心事になったのは1976年のロッキード事件である。そのロッキード事件で私は社会部記者として東京地検特捜部の捜査を取材した。田中角栄元総理が逮捕された時には、事前に政治家逮捕を察知し、検察庁の玄関にいて田中元総理が庁舎に入るのを見送った。

 しかし私は田中元総理を逮捕した特捜部の捜査に違和感がある。特捜部はロッキード社の秘密代理人である児玉誉士夫から政界に流れた21億円に上る金の行方を解明していない。解明していれば別の政治家が逮捕されていたはずだ。

 特捜部はロッキード社が児玉を通じて売込みに力を入れた対潜哨戒機P3Cの疑惑を解明せずに捜査を終わらせた。その結果、国民はメディアと野党による「田中金権批班」に踊らされ、最多の議員立法を行い「戦後民主主義の申し子」と言われた政治家を「金権」の一語で否定してしまった。

 それ以来、私は「政治とカネ」の事件に注目してきた。興味深いのは、偶然かもしれないが「政治とカネ」が騒がれる時は決まって世界史が大きく動き、日本の目指すべき方向を考え直さなければならない時なのだが、「政治とカネ」に熱中する国民はそれを考えないで通り過ぎてきた。

 国民は特捜部を正義の味方、国民の代表である政治家を悪の象徴と捉え、日頃のうっぷん晴らしの対象としてしか「政治とカネ」の問題を考えない。そして大物政治家が逮捕されないと「政治資金規正法はザル法だ」と騒ぐのである。

 因みにロッキード事件は、ベトナム戦争で泥沼に陥った米国が金本位制を維持できなくなり、金とドルとの交換を停止した国際通貨体制の転換期に起きた。また米国が共産中国と手を結ぶと同時にソ連ともデタント(緊張緩和)によって冷戦構造を転換させた直後の事件である。

 米ソ冷戦が終結した89年にはリクルート事件が起きた。その直後に自民党最大派閥の会長だった金丸信副総裁の東京佐川急便事件と夫人の遺産相続に絡む脱税事件が起き、国民の政治不信は頂点に達し、「政治改革」が声高に叫ばれた。

 その頃、私はワシントンに事務所を置いて米国議会の情報取材を行っていたが、世界中が新時代に備える議論をしている時に、日本だけは国中が「政治とカネ」一色となり、世界の動向に目を向けないことを痛感した。

 リクルート事件は、違法ではない未公開株の提供をメディアが「値上がり確実」として「濡れ手で粟」と表現し、庶民の反発に火をつけたことから始まる。違法でないので動けなかった検察は、別件でリクルート社の江副浩正社長を逮捕し、未公開株の提供を賄賂であると自白させ、そこから政界捜査に斬り込んだ。

 江副社長の手記を読むと、真実とは異なる自白調書に署名させられ、それを裁判で覆そうとしたが、1審だけで13年もかかり、判決は有罪だが判決文を読むと無罪に読める。そのため控訴を断念したという。

 金丸事件は、当初は金丸氏が東京佐川急便から5億円の闇献金を受け取ったとして特捜部が立件した。東京佐川急便の渡辺広康社長は中曽根康弘、安倍晋太郎両氏のスポンサーとして有名だったが、竹下政権の誕生で派閥の会長である金丸氏にも献金を行った。

 しかし金丸氏は受け取った金をすべて派閥所属議員の政治活動費に使っていたことが分かり、検察は略式起訴で罰金20万円を言い渡した。ところがメディアが金丸氏を「悪」の権化のように報道したため、国民は「処分が軽すぎる」と反発する。

 検察庁の表札に黄色のペンキが投げつけられ特捜部は窮地に立たされた。それを救ったのは亡くなった金丸夫人の遺産相続を調べていた国税庁である。銀行の割引債や金の延べ棒を所有していると検察に情報提供し、特捜部は脱税で金丸氏を逮捕した。

 しかし保釈された直後に金丸氏と面会した私に、金丸氏は「金の延べ棒って何の事だ」と聞いてきた。嘘ではなく金丸氏は知らなかったようだ。金丸夫人は赤坂にビルを所有する実業家で、夫人の金の出入りは金丸氏も知らないことがあったのだろう。金丸氏は裁判で無罪を主張したが、裁判の途中で亡くなったため真相は分からないままだ。

 そこで政治資金規正法の問題である。5億円の闇献金を受け取ったがすべて政治活動に使っていれば略式起訴で罰金刑という法律はザル法なのか。ザル法だとすればどこまで法律を厳格化すれば良いのか。法律の厳格化で政治は良くなるのか。

 まず私が言いたいのは、政治資金規正法の「規正」が「規制」でないことに注目すべきである。法律の本来の趣旨は、政治資金に規制を課すのではなく、政治資金は国民の目にすべてをさらして正しくしなければならないという意味だ。

 国民は政治家が誰からどれだけ献金を貰い、その金を何に使ったのかを知ることで、それを選挙の判断材料にできる。どれだけ多額の献金を受け取っても金の使い道を知ることで、その政治家が国民のために働いていると判断されればその政治家は当選する。反対に少ない金額しか集めなくとも国民のために働いていないと判断されればその政治家は落選する。

 つまり政治家の政治資金が適正かどうかを判断するのは国民有権者で、東京地検特捜部という行政権力ではないというのが本来の趣旨である。権力とは国家や政府が国民を服従させる強制力を言う。そして民主主義とは国民が権力を握り、行使することを言う。

 どうやって国民は権力を握るか。それが選挙である。選挙で国民の代表を議会に送り込み、議会で多数となった政党が内閣を組織して行政権力をコントロールする。議会は法律を作り、行政府は法律に従ってしか権力を行使できない、そして裁判所という司法権力が法律を守らせる。民主主義は立法、行政、司法と権力を分散させることで成り立つ。

 しかし選挙で選ばれる政治家は選挙のたびにメンバーが入れ替わる。だが試験で選ばれる行政官僚と司法官僚は国民の審判を受ける必要がない。明治以来の日本政治は薩長藩閥政府の権力に自由民権運動から生まれた政党政治が挑戦した。しかし官僚の権力は強大で政党政治は連戦連敗だった。日本は民主主義とは程遠い官僚支配国家だったのである。

 敗戦後の日本を統治したGHQは日本を民主化したが、官僚機構を利用して間接統治を行ったため、官僚権力は生き残り、それが自民党と一体化することで政権交代のない官僚支配が続いた。

 一方、GHQが統治したことで英国型の本会議中心主義だった戦前の大日本帝国議会は、戦後は米国型の委員会中心主義の国会に変えられた。日本の政治の仕組みは米国の影響下に置かれた。その中で私が注目するのは選挙が候補者個人を選ぶ米国型であることだ。

 英国の選挙は有権者が候補者ではなく政党のマニフェスト(政権公約)を選ぶ。候補者はマニフェストを配って歩くだけで自分を売り込まない。だから事務所も宣伝カーもポスターも必要なく選挙に金はかからない。その代わり候補者は政党の指示通りに動くだけで選挙区も自分では決められない。日本の共産党と公明党がそれに近い選挙をやる。

 一方の米国は有権者に候補者個人を選ばせる。政党にマニフェストはなく、有権者は自分の利益になると思う候補者を選ぶ。そのため候補者は経歴や能力を有権者に知ってもらう必要があり、それに金がかかる。選挙は政治資金を多く集めた候補者が勝つ。

 献金者は候補者が自分と同じ考えがどうかをチェックし、また自分の考えと同じであることを条件に献金する。候補者が有権者に支持されているかどうかは献金額に現れる。そのため献金を多く集めた候補者ほど政治家としての評価が高まる。

 これは金持ち優遇の仕組みではない。少額でも多数から献金を集めれば大口献金者を上回ることは可能で、候補者は知恵を絞って献金を集め、献金額を競い合う。日本のように国民に見えない裏金を作り選挙費用に充てようとする発想とは真逆だ。

 なぜ日本では政治資金が裏金化するのか。様々な理由はあるが、最大の問題は政治に対する規制が多すぎるためだ。まず日本では選挙期間が公示日から投票日までと決められている。他の国では投票日は決まっているが、いつから選挙運動を始めても構わない。早くから始めればそれだけ余計に金がかかるだけの話だ。

 ところが選挙期間が制約され、選挙期間に入ると公職選挙法の規制を受ける日本では、実は選挙が公示される前に事実上の選挙運動が行われ、公示日には終わっているのが実情である。法律で規制されればその抜け穴を探し出すのが人間の常だから、規制があればあるほど法律の建前とは異なり国民の見えないところで政治は動くのである。

 日本の選挙で奇妙なのは戸別訪問が禁止されていることだ。他国では戸別訪問が選挙の基本と考えられるのに日本ではそれが認められない。買収の恐れがあるというのが理由だが、見ず知らずの人間に金を渡して投票依頼する候補者などいるはずがない。通報されれば万事休すになるだけだ。しかし日本の公職選挙法は戸別訪問を禁止し、戸別訪問は選挙期間でない時に行われている。

 選挙期間中に候補者はポスターを貼り、宣伝カーで名前を連呼し、葉書を郵送し、電話で投票を呼び掛け自分を売り込む。それで候補者の何が分かるかと私は疑問だが、しかしそれには金がかかる。その金を組織ぐるみで裏金化し、国民に見えなくしていたのが安倍派である。民主主義の基本である政治資金規正法の趣旨を安倍派は真っ向から否定したのだ。

 諸悪の根源は、政治資金規正法の「規正」を「規制」に変えた1975年三木武夫内閣の政治資金規正法改正にある。そもそもの政治資金規正法は1948年のGHQ統治時代に制定されたから、そこには前述した米国の政治思想が反映されている。

 しかし三木元総理は「金権批判」で退陣した田中元総理との違いを国民に見せつけるため、政治資金規正法に献金の上限を設けることで「規正」を「規制」に変え、国民にアピールした。そしてこの時、企業・団体献金に変わるものとして政治資金パーティが奨励され、企業・団体献金より巧妙な資金集めを可能にした。

 私が特に問題だと思うのは、寄付で5万円、政治資金パーティで20万円以下の金額であれば、政治資金収支報告書に個人、企業、団体名を記載しなくても良いとしたことだ。そうなれば政治家たちは公表しない範囲で政治資金を集める知恵を絞る。その結果、政治資金は闇に潜るようになった。つまり金額の規制が政治資金を裏金化させたのである。

 そうなると国民が知りえない闇の部分を捜査するため検察権力の強制捜査が必要になる。本来は国民の判断に委ねられるべき政治資金の問題が、行政権力と司法権力によって摘発されるようになった。

 行政権力と司法権力は「政治とカネ」を断罪する正義の側になり、国民の代表である政治家は腐敗と悪の象徴となる。国民主権を守る立場の政治家が国民から見放され、国民の意識の中に民主主義とは逆行する官僚支配を是認する思考が生まれる。

 ところが日本では民主主義を声高に叫ぶ野党とメディアが「政治とカネ」の問題で常に検察権力の手先となってきた。三木元総理と同様にその方が国民の支持を得られると考えるからだ。そして「政治資金規正法はザル法だ。法律を厳しくしろ」と大合唱するのである。

 厳しくすれば違反はなくなるのか。三木元総理が政治資金に「規制」を導入したことで政治資金は闇に潜り、違反はなくならずむしろ増大した。国民は「政治とカネ」の問題で野党とメディアに騙されてはならない。国民が民主主義政治の確立を望むのであればやるべきことは他にある。

 まず現職政治家と官僚にとって都合の良い現行の公職選挙法を改め、能力のある新人が当選しやすくなる選挙制度に変え、また政治資金規正法の本来の趣旨を生き返らせ、政治資金の問題を検察権力から国民の手に取り戻さなければならないのだ。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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