伝統ある南米大会の決勝進出に貢献した第3の力
UEFAチャンピオンズリーグが欧州における最高峰のサッカー大会で、それに次ぐ存在としてUEFAヨーロッパリーグがある。一方、南米で最高の栄誉を得られる大会がリベルタドーレス杯であり、その下に位置するのがコンメボル・スダメリカーナだ。
10月31日、コンメボル・スダメリカーナの準決勝第2戦、コリンチャス(ブラジル)vs.ラシン(アルゼンチン)が行われた。第1戦は、2-2のドローだった。
コリンチャスの監督は、Jリーグ元年に横浜マリノスに所属し、話題を巻いた元アルゼンチン代表のラモン・ディアス。虎視眈々と敵将として“凱旋”した。
隣国のライバル、ブラジルのクラブで指揮を執るラモン・ディアスが、祖国のクラブを相手にどんな采配を振るうかに注目が集まった。第2戦は、アルゼンチンのアベジャネーダで行われたが、元マリノスの背番号9は、“敵地”として母国に降り立った。
アウェイの厳しさを肌で感じながら、開始早々の5分にコリンチャスのイウリ・アウベルトが左足でゴール。ラシンも、33分に得たPKを、コロンビア代表MFで背番号8を着けるファン・フェルナンド・キンテロが決めて追いつく。
第1戦同様、五分五分の展開が続いたが、決定的な仕事をしたのは、選手ではなかった。
そのあたりを、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロに語ってもらった。実兄のピチは、あのディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、オーストラリアのノース・ギーロング・ウォリアーズでプレーするエスクデロ競飛王という一家である。
「ラモン・ディアスの監督としての手腕は、アルゼンチンでもブラジルでも評価されていますよ。A代表でも22試合に出場し、サッカーを分かっていますよね。
でも、今回はラシンのホームでした。1-1で迎えた39分、コリンチャスがボールを出したんですね。そこで、ボールボーイの少年が気を利かせました。ラインを割ったボールを追わず、すぐ近くにあったボールを選手に渡して、即スローイン。そこからラシンのパスが繋がって、再びキンテロの決勝点に結び付きました。コリンチャスは、ほんの少しのタイミングで陣形が整っていなかったところを突かれたんですね。
このボールボーイの咄嗟の判断のお陰でラシンは決勝進出することになりました(笑)。彼は勝利の立役者として、メディアに取り上げられています」
1993年から指導者として生きるエスクデロは、意味深な言葉で結んだ。
「ボールボーイの子は、愛するチームの勝利のために自分で動いたんですね。“言われたことしか出来ない”日本人とは違うなとも感じました」
言い得て妙だ。サッカーだけでなく、日本の教育とは<指示待ちっ子>を量産している。微笑ましいエピソードから、問題点が浮かび上がったのだ。