Yahoo!ニュース

イスラーム過激派の食卓:今年もさっぱりだった「イスラーム国」のラマダーン

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:イメージマート)

 今期のラマダーンは2024年4月8日ごろ終わり、イスラーム過激派を含む世界のイスラーム教徒(ムスリム)は同14日ごろまでラマダーン明けの祝祭を楽しんだ。巷には、今期のラマダーン入りの前から「イスラーム国」が勢力を回復しているとの憶測のもと、同派による襲撃事件などの件数や反響が増すとの見通しがあった。実際、「イスラーム国」は2024年1月4日にイランのケルマーンで大規模な自爆攻撃を実施し、以後数日間にわたり「かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい(コーラン第2章191節)」攻勢と称して活動を強化した。また、同年3月22日にはモスクワ郊外のコンサート会場を襲撃し、多数を殺傷した。モスクワ郊外での襲撃事件を受け、各国の情報機関や報道機関は、論証も説明も抜きにして「イスラーム国」、特に「イスラーム国 ホラサーン州」の脅威を喧伝し始めた。別に頼みもしないのに世界中の政府や報道機関が自派の恐ろしさを宣伝してくれたので、これは「イスラーム国」にとっては数年ぶりの喜ばしい状態だった。そして、2024年3月28日、「イスラーム国」の公式報道官アブー・フザイファ・アンサーリーの演説ファイルが出回った。時宜としては3月29日か30日からの10日がラマダーン月最後の10日間にあたり、過去数年この節目に同種の演説を発信し、以後その演説のタイトルで用いられたコーランやハディースの言葉を冠する「○○攻勢」と称する戦果発信キャンペーンを行うのが「イスラーム国」の習性となっていたことから、演説そのものは別に変でも珍しくもない。もっとも、昨期のラマダーンではこの種の攻勢が行われず、「イスラーム国」の衰亡ぶりが際立ったため、それに比べれば今期は何か期するところがあったと考えるべきだろう。

 しかし、2024年の年初からの情勢を落ち着いて振り返ると、「イスラーム国」の活動は大局的には「たいしたことない」低迷状態にある。「かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい(コーラン第2章191節)」攻勢の際には、2年ぶりくらいに戦果発信が活発化したものの、この攻勢、実は「ユダヤとその同盟者たち」への攻勢として扇動されたものの、ユダヤ人(≠イスラエル)やアメリカをはじめとするその同盟者たちの権益には一切攻撃を加えず、アフリカの僻地でキリスト教徒の村落を焼き討ちする類の襲撃事件を戦果として発表する水準にとどまった。現実の紛争の構図ではイスラエル(≠ユダヤ)と戦火を交える「抵抗の枢軸」陣営の諸当事者への罵倒や物理的攻撃もおまけのようについてきたが、この攻勢が「ユダヤとその同盟者たち」への「攻撃」ではなく、逆に「ユダヤとその同盟者たち」への「援護射撃」だったことは「イスラーム国」自身が発表した戦果を眺めていれば一目瞭然だった。モスクワでの襲撃事件やその後の公式報道官の演説は、2年ぶりにラマダーン月最後の10日間に合わせた攻勢が実施され、それに伴い戦果の発信やラマダーン明けの祝祭を盛大に祝う各地の「イスラーム国」の者たちの姿の広報が行われたりすることを予感させた。しかし、実際には「攻勢」は宣言されず、この間「イスラーム国」が発表した戦果、画像、機関誌に掲載された戦果の集計の値も2023年よりは「マシ」だったかもしれないが2022年の実績には相当「見劣りする」程度に終わった。これを、1月に実施した攻勢やモスクワでの襲撃事件の反響に気をよくした「イスラーム国」が、調子に乗って公式報道官の演説を発表したものの、広報部門も戦闘部門もそれに合わせる「体力」がなく、息切れしたとみることもできる。

 「イスラーム国」の息切れは、同派が戦果や広報のネタの提供元としてアフリカの「諸州」に頼りきっている近年の傾向がほぼ変わらなかったことからもわかる。戦果の件数や機関誌での言及の頻度、そして筆者が注目する構成員たちの食事風景についての動画類を観察していると、イラクでも、シリアでも、そしてみんな大好き(?)「ホラサーン州」でも、同派の活動の程度は誤差の範囲内に埋没するくらいしかない。当然ながら、これらのどの地域からも、筆者が期待してやまなかった食事風景の画像は一切発信されなかった。結局、今期のラマダーンの前後で食事を含む活動拠点の模様を広報してくれたのは、「モザンビーク州」、「西アフリカ州」、「中央アフリカ州」というアフリカの「諸州」だけだった。

 写真1は、ラマダーン明けの祝祭を祝う「西アフリカ州」の食卓だ。一緒に発信された画像群からは、数十~数百の構成員が一堂に会して礼拝している場面もあり、食事風景も複数の集団の画像を集めたものと思われるので、「西アフリカ州」が構成員の数の面からそれなりに元気だということがわかる。食事の内容は、複数の集団の間でスイカと炊き込みごはん(または煮込み状の具をかけたごはん)という献立が共有されている。

写真1:2024年4月12日付「イスラーム国 西アフリカ州」
写真1:2024年4月12日付「イスラーム国 西アフリカ州」

 「中央アフリカ州」の調理風景は、写真2に示される通りかなり大人数を対象としたものだ。調理担当者が著名な某SNSのロゴ入りサンダルを履いているこが、「イスラーム国」の者たちは流行歌に合わせて踊る様を発信するような行為は絶対にしないだろうから、別の動画の発信やメッセージのやり取りのためにこのサービスを使用しているのだろう。献立は、写真3を見る限りパンか穀物粉の練り物のようなものにソースをつけて食べる料理のようだ。

写真2:2024年4月14日付「イスラーム国 中央アフリカ州」
写真2:2024年4月14日付「イスラーム国 中央アフリカ州」

写真3:2024年4月14日付「イスラーム国 中央アフリカ州」
写真3:2024年4月14日付「イスラーム国 中央アフリカ州」

 大人数のために調理しているからには、「中央アフリカ州」が堅固な拠点や立派な調理施設を持っている可能性も考えられるが、写真4のように野外の焚火で調理する模様しか出回っておらず、「中央アフリカ州」が広範囲で活動する戦闘部隊や偵察部隊のための体系的な兵站機能とそれを支える施設や人員を擁しているかはよくわからない。

写真4:2024年4月14日付「イスラーム国 中央アフリカ州」
写真4:2024年4月14日付「イスラーム国 中央アフリカ州」

 確かに、2024年は前年に比べれば「イスラーム国」による社会的反響の大きな事件が起きているとはいえる。また、アフリカの「諸州」が勢力を拡大し、多数の構成員を招集して彼らに食事を供給できる体制ができていること、「諸州」の一部では、「イスラーム国」が大好きな「ヒスバ」と呼ばれる宗教警察の活動や「ザカート」という宗教的な救貧税の取り立てあることも、同派が「統治」を営む場所があることを示す懸念材料だ。つまり、「イスラーム国」の活動や脅威についての判断が、政治や報道の分野で反響があるところに目を奪われ、実際に同派の勢力が拡大・定着している恐れがある場所を見ていないのではないかという不安が頭をもたげるのだ。「イスラーム国」を含むイスラーム過激派の観察と分析は、そのための経験や技術を蓄積・向上させるとともに、担当する人員が何度交代しようともこうした経験・技術だけでなく観察に際しての目的や問題意識を継承し、対策に反映させることで初めて意義あるものになる。この点を考えずに、観察者・分析者がただ「大当たり」が出た時にだけうんちくを垂れるだけの存在になり下がることこそが、イスラーム過激派が勢力を回復させる最大の原因の一つだ。

 大局的にみると、世の中は今期のラマダーンの「イスラーム国」の活動なんかを気にしている暇がないくらいたくさんの事件に忙殺されており、ここで同派が社会の関心を自派に引き戻すことは相変わらず極めて難しい。ただ、このような環境だからこそイスラーム過激派から目を離さず、観察と対策によって彼らを壊滅させる努力を怠ってはならないはずなのだが。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事