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【熊本地震】地震から10カ月の熊本城 観光は今どうなっているのか

田中森士ライター・元新聞記者
復旧作業が進められている熊本城=2017年2月上旬撮影

およそ400年もの間、熊本の城下町を見守り続けている熊本城。「見守る」というのは、決して比喩ではなく、実際、熊本市中心市街地の至る所から、そびえ立つ天守閣を拝むことができる。その立派なたたずまいは、県民の誇りであった。

とはいえ、私が城に行く機会は滅多になかった。少々乱暴な例えだが、東京都民が東京タワーや東京スカイツリーに行く機会が少ないことと、似ているのかもしれない。身近過ぎて、あるのが当たり前。誇りではあるが、ありがたみを感じることは少ない。そんな存在だった。

熊本地震からしばらくの間は、大きく傷ついた天守閣を見る度、自然と涙があふれた。我々県民にとって、熊本城が「精神的支柱」なのだと、皮肉にも地震によって、ようやく気付かされた。

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地震から10カ月が経過した。最近は、「城の復旧作業が進んでいる」という前向きな報道を見聞きする機会が増えた。城は現在どうなっているのか。自分の目で確かめるため、2月上旬、現地に足を運んだ。

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城観光に最も便利な、二の丸駐車場に車を置き、入り口へ近づく。観光はさすがに難しいだろうと予想していたのだが、大天守、小天守の美しい形状は、はっきりと確認することができた。「危険!立入禁止」と書かれた柵があり、敷地内へは入れない。外周を時計回りに歩いてみた。至る所で、石垣がくずれ、塀や大木が倒れている。なんとも痛ましい光景に、胸が痛む。

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途中、石垣を構成していた石が、整然と並べられていた。一つ一つに丁寧に赤字の番号が振られている。すぐそばには、どのように石垣の復旧作業を進めているのか、解説文と写真が掲示してあった。

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それによると、まず解体範囲の打ち合わせや写真測量を行い、石に番号を振る。石はワイヤーで吊り上げて運び、仮置場で保管。積み直しのための基礎資料として、石一つ一つの大きさを計測し、台帳を作成する。

石は、元の位置に戻さねばならない。復旧が確実に進んでいることを実感する一方で、城が元の姿に戻るまでに、まだまだ時間がかかることを痛感した。

続いて、「奇跡の一本石垣」と呼ばれる、かろうじて建造物を支えている石垣を右手に望み、加藤清正公をまつっている加藤神社の敷地に入る。そこには、息を飲むような光景が広がっていた。

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手が届きそうなほど近い距離で、天守閣がそびえ立っている。建物の黒と白のコントラストと「武者返し」の曲線が、美しい。たしかに、瓦は落ち、全体的に白っぽい印象で、外観は地震前と大きく変わった。しかし、その存在感は、今も健在だ。

熊本市の大西一史市長は昨年、城全体を20年間で復旧させる考えを明らかにした。以前の姿を取り戻すには、まだまだ時間がかかる。しかし、地震前より数は減ったものの、観光客は今も国内外から城を訪れている。つまり、立派な「観光資源」として成立しているのだ。どのように城を再生していくのか。その過程も興味深い。これから定期的に「観光」で足を運んでみることとする。

毎日新聞佐賀県版の連載「モリシの熊本通信」(2月25日付)を、加筆修正した。

ライター・元新聞記者

株式会社クマベイス代表取締役CEO/ライター。熊本市出身、熊本市在住。熊本県立水俣高校で常勤講師として勤務した後、産経新聞社に入社。神戸総局、松山支局、大阪本社社会部を経て退職し、コンテンツマーケティングの会社「クマベイス」を創業した。熊本地震発生後は、執筆やイベント出演などを通し、被災地の課題を県内外に発信する。本業のマーケティング分野でもForbes JAPAN Web版、日経クロストレンドで執筆するなど積極的に情報発信しており、単著に『カルトブランディング 顧客を熱狂させる技法』(祥伝社新書)、共著に『マーケティングZEN』(日本経済新聞出版)がある。

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