バイデンとトランプの戦いは「建前」と「本音」の政治を教えてくれた
フーテン老人世直し録(546)
霜月某日
菅総理大臣は米国の現職大統領トランプが選挙の敗北を認めていない中、12日にバイデン次期大統領と電話会談を行い、選挙に勝利したことへの祝意を直接伝えた。バイデン次期大統領は各国首脳と次々に電話会談を行うことで、敗北宣言を出さないトランプ大統領の外堀を埋めつつある。
初めに電話会談を行ったのは欧州の同盟国首脳たちで、バイデンは米国時間の10日にフランスのマクロン大統領、ドイツのメルケル首相、英国のジョンソン首相らと会談し、その翌日にアジア・太平洋の首脳、すなわち日本の菅総理、韓国の文大統領、それにオーストラリアのモリソン首相と会談した。
しかし米国務省のポンペイオ長官はトランプ大統領の勝利を主張しており、これらの電話会談は正式な外交ルートを通じたものではない。各国はオバマ前政権時代の外交官ルートでバイデンと連絡を取っているという。極めて異例な形の電話会談ということだ。
そうした中でロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、北朝鮮の金正恩委員長は選挙結果について沈黙を守っている。それがフーテンには不気味さを感じさせる。北朝鮮がミサイル発射実験を一時的に中止しているのは、トランプ再選の障害にならないよう配慮してきたためだが、再選されないとなると配慮は不要になる。
さらにバイデンが副大統領だったオバマ政権時代の対北朝鮮政策は「戦略的忍耐」というもので、米国は北朝鮮とは交渉しないという態度だった。一方、北朝鮮が現在の苦境から脱するには何よりも米国との休戦状態を脱し、米朝国交正常化を実現するしかない。
トランプ大統領と金正恩委員長の関係は「ラブレターをやり取りする」という親密なものだったが、その道は断たれた。北朝鮮が米国を交渉に引きずり出すために軍事的挑発を起こす可能性がある。政権移行がスムーズにいかない政治空白は、そうした危機を引き起こす可能性を高める。
日本の菅総理との電話会談は、日米同盟強化の確認とか、尖閣は日米安保条約5条の適用範囲内と確認とか、拉致問題への協力要請とか、いつもながらの型通りのご挨拶だったが、韓国の文大統領との会談は北朝鮮問題があるだけに注目された。
文大統領によれば「朝鮮半島の平和と繁栄についてバイデン氏の硬い意志を確認できた」と言うから、バイデン次期大統領は「戦略的忍耐」に戻るのではなく、交渉に乗り出す感触が得られたように思う。それを北朝鮮がどのように受け止め、どういう態度に出てくるかがこれからの注目点だ。
ところで選挙結果はバイデン勝利だが、トランプに投票した国民も米国には7100万人以上いることが分かった。米国は真っ二つに分かれていることが選挙でまたも証明されたのである。この真っ二つを民主党対共和党、リベラル対保守という色分けで見てしまうと、何か間違う気がフーテンにはある。
トランプは不動産業者で金持ち階級だが、熱狂的に支持しているのは金持ち階級というより低学歴で低所得の貧しい階級、またかつては米国社会を支配した白人層が移民や有色人種の増加で次第に比率が減り、むしろ差別される側になったとコンプレックスを抱いている人たちである。
その人たちを見ていると、民主主義とか、基本的人権とか、法の支配とか、理想を掲げて英国の植民地支配と戦い、米国を建国した「建国の父たち」の価値観よりも、理想の裏にある現実や、民主主義以前の社会の価値観や、「建前」ではなく「本音」の政治を求めている。
トランプはそれを分かっている。だから「建前」を決して言わない。むき出しの「本音」を語って人々を喜ばせ、理想より現実が大事なのだと主張する。現実の利益を獲得するには手段を選ばない。インテリや理想主義者の主張をことごとくしかも乱暴に粉砕する。それが夢を失った人々にとって快感なのだ。トランプ現象とはそれだと思う。
フーテンにそういうことを思わせた米国映画が2本ある。1本は2012年公開のブラッド・ピット主演「ジャッキー・コーガン」、もう1本は2018年公開のマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏119」だ。
「ジャッキー・コーガン」は2008年のリーマン・ショック直後のニューオーリンズが舞台である。ブッシュ(子)政権下で丁度大統領選挙が行われている。オバマが民主党大統領候補だ。ニューオーリンズの貧民街を歩く白人の若者から映画は始まる。街頭にはオバマの選挙用看板があり、民主主義の理想を語る演説の声が聞こえてくる。
白人の若者は刑務所から出てきたばかり、金がないので賭場荒しをやり金を奪う。ヤクザのボスはブラッド・ピット演ずる殺し屋のジャッキー・コーガンに殺しを依頼する。殺し屋は依頼通りに仕事をするが、その間テレビでのブッシュ(子)大統領やオバマの演説がしばしば流れる。
最後のシーンは殺し屋が酒場でボスに殺しの報酬を要求するシーンだ。テレビがオバマの勝利演説を流している。「建国の父たち」が作り上げた民主主義の価値をオバマは賞賛する。酒場では殺し屋の要求通りにボスが金を払おうとしない。するとブラッド・ピットの殺し屋が言う。
「独立宣言を書いたトーマス・ジェファーソンは聖人だ。しかし彼は酒飲みで自分は戦争にも行かず他の人を行かせた。黒人女性に性の相手をさせ私生児を生ませた。この国は国民の面倒を見る国家ではない。国家ではなくビジネスだ。だからさっさと金を払え」。
この映画が撮影に入ったのは2011年1月だが、その半年前の2010年8月にトランプは2016年の大統領選挙に出馬することを決め、後に首席戦略官となる右派活動家のスティーブ・バノンと面会した。バノンは当初乗り気でなかった。そして大統領選挙に出るにはいくつかの条件をクリアしなければならないことを言う。
オバマ政権への反発から生まれた保守系の運動に「ティー・パーティ」がある。「小さな政府」を志向する大衆運動である。その支持を得るにはまず「中絶反対」でなければならない。米国民の4人に一人が信仰するキリスト教福音派が中絶反対だからだ。
過去の献金歴や投票記録も問題にされる。そしてエリートとしてではなく庶民派としてふるまう必要がある。その点ではトランプに大衆受けするキャラクターがあった。そして全米で過半数の票を獲得する必要はない。接戦州で勝つことができれば選挙人の過半数を得ることができる。
2012年公開の映画「ジャッキー・コーガン」の最後のセリフは「米国は国家ではない。ビジネスだ」だったが、同じころ本当に政治に素人のビジネスマンが大統領選挙に挑戦することになる。そして共和党の並み居る候補者を蹴落とし、さらには民主党ヒラリー・クリントンとの大接戦でも、当初予定通り接戦州での勝利をものにして大統領に当選した。
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