タイ総選挙で王室懐疑派が躍進。イギリス国王戴冠式でも王政廃止の声が上がる君主制の現在地
タイ総選挙が15日に投開票されて若者を中心に支持を得てきた反軍野党・前進党が大躍進。改選前を大幅に上回る150議席以上を確保し比較第1党の座を獲得するまで成長したのです。事前予想が高かった「タクシン派」の貢献党をも上回り政権奪取も現実味を帯びる状況。
前進党が最も注目される点は王室の侮辱を罰する不敬罪(最高刑禁錮15年)改正を訴えるなど王室懐疑派としても知れているところです。
6日に行われたイギリスでもチャールズ国王の戴冠式直前に王政廃止を唱えるメンバーが逮捕されました(式後に釈放)。
「民主主義の飛び地」とも称される立憲君主制における「王様」へ向けられた冷ややかな目線の理由と「なぜ今なのか」を考察を試みる次第です。
軍と議院内閣制のバランサーであったプミポン国王
タイやイギリスは以前から王室への反発が存在していました。封じていたのは「超長期に渡った前国王の個人的人気」が最大の理由。反対に今になって表だって懐疑や廃止論まで出てきたのは「現国王の資質」への疑義でしょう。
タイは前国王ラーマ9世(プミポン国王)が1946年、18歳で即位して以来、死去する2016年まで70年4カ月在位しました。同国は立憲君主制を採るも国王の地位は微妙で王が統帥権(指揮権)を握る「国王の軍隊」を率い、95%を占める仏教徒の「保護者」として宗教上の権威もまとい、戦前日本の明治憲法にもあった不敬罪が残るなど絶対君主的側面を保持するのです。
他方で議院内閣制を採用しているため、戦後タイの歴史は文民による民主政治と阻もうとする軍の相次ぐクーデターを繰り返しました。ラーマ9世はその相克を収拾するバランサーとして絶妙な差配を繰り返してきたのです。
1957年クーデターで政権を握ったサリット首相は国王への絶対忠誠を誓って自己の独裁を正当化したかと思えば後継者が民主化デモに立ち往生した際には国王から「責任を取れ」と引導を渡されたとされ亡命。91年のクーデターではやはり民主化デモと軍の衝突を招来。国王は双方の代表格を招いて和解を促しました。ひざまずいた当事2者は謹んで承り騒乱は一気に沈静化したのです。
現在に至る「タクシン派vs反タクシン」の対立構造でも存在は際立ちます。06年のクーデターでタクシン氏を失脚させた軍司令官がひざまづいて報告した姿が公開されるや首都バンコクでの世論調査で84%が「クーデターを支持する」と回答したと報道されたのです。
第1次大戦期から存在した近年の英王室廃止論
イギリスのエリザベス2世もまた1952年、25歳で王位に就いてから2022年に亡くなるまで70年以上君臨。クリスマスメッセージ(ラジオ音声から録画へ)や臨時のビデオメッセージで国民を励まし、王室のありようにも時に説明責任を果たしてきました。今の王政廃止派ですら「女王(=エリザベス2世)こそ王室」と認めるほど。
イギリスの王政廃止論は近いところではジョージ5世(在位1910年~36年)に一度盛り上がりをみせました。在位中に起きたロシア革命でロマノフ朝が、第1次世界大戦の経緯・結果としてオーストリアのハプスブルク朝、ドイツのホーエンツォレルン朝など名門が地位を喪失。オスマン帝国も滅亡したのです。
ただ英国王はこれらと異なって戦争に勝った側。晩年には台頭してきたヒトラーを警戒するなどの姿勢が国民の支持を得ます。
危機はむしろ後継のエドワード8世。離婚歴のある既婚女性との結婚を強行しようとして阻まれ、1年持たずに退位。「何を考えているのだ」と一時、国民の不信は頂点に達します。
急きょ「リリーフ」したのが弟のジョージ6世。映画『英国王のスピーチ』で知られているように第2次世界大戦を政府とともに戦い抜き、その人柄とともに敬愛されました。その後継ぎが娘のエリザベス2世。
タイ現国王が不人気な理由
次に「偉大な名君」を継いだ現君主の評判について。芳しくないのが懐疑的な見方を強めています。
ラーマ9世を継いだ息子の現国王ラーマ10世(ワチラロンコン国王)は王太子時代から主に女性関係で批判されていて9世も後継ぎとなかなか明言しなかったほど。即位後は自らの権力を高めようと立憲君主の矩をこえるような振る舞いをしながら大半を欧州で暮らすなど国民の敬意を損ねる言動が目立ったのです。しかし不敬罪の存在で不満を表には出せません。
ここで登場したのが前進党の前身である新未来党。2019年総選挙で反軍政を唱えて81議席を得るも軍政と一体とみられる憲法裁判所から解党を言い渡され、その多くが前進党に集いました。タクシン派の流れを汲む貢献党は不敬罪そのものの改正までは踏み込んでいません。
尾を引くダイアナ妃問題
イギリスのチャールズ国王もまた皇太子時代にダイアナ妃と結婚しながら既婚者であるカミラ現王妃とダブル不倫に陥り、両者とも離婚してから再婚するという経緯をたどりました。この頃は極度の人気薄に陥ったのです。
その後、皇太子として、カミラ夫人ともども次期国王とその配偶者にふさわしい振る舞いを心がけ、かつ即位時が73歳と高齢であったのも相まって一時期の不人気を払拭しつつあります。年齢的に王位は長期化せず、多くが望む息子のウィリアム皇太子(母がダイアナ元妃)への道筋が見えてきたのも大きい。
とはいえ上記の経緯から母のカリスマ性に遠く及ばず、伝統的な王政廃止派が標的にしやすくなったのは事実でしょう。