【パリ】おにぎりブーム到来! スシ、ラーメンに次いでオニギリが定着の気配
「sushiの次は"オニギリ"だっ!」
世界一有名なパティシエ、ピエール・エルメさんが、東京・大塚のおにぎり専門店のカウンターに座っている写真に、このフレーズが踊っていたのは料理雑誌『dancyu(ダンチュウ)』2018年11月号でのこと。それからおよそ2年、予言は確実に現実のものになりつつあります。
いまパリではおにぎりブームが急速に拡大中です。
ここ1、2年で、おにぎり専門店の出店が相次ぎ、スーパーマーケットにもおにぎりが並ぶようになりました。前者は日本人が切り盛りする店がほとんどで、それぞれにこだわりがあるアルチザンなもの。そして後者はむしろフランス人主導の産業といえるもので、shakishaki、sonigiri、nanigiriといったメーカーが、独自店舗ではなく、インターネット販売のほか、モノプリ、カルフール、フランプリといった全国チェーンのスーパーマーケットで商品展開しています。
「おにぎりYou」の夢が現実に
「おにぎりYou」と聞いてピンとくる方、きっといらっしゃるのではないでしょうか。
テレビ東京の『Youは何しに日本へ?』で紹介されたおにぎり通のフランス人サミュエルさんがその人。2019年、彼はパリに念願のおにぎり専門店「Gili-Gili(ギリギリ)」を開きました。つまり彼もまたおにぎりブームのキーパーソンのひとりなのです。もっともお店はサミュエルさんひとりのものではなくて、奥様の渡辺愛さんと二人三脚で始めました。
プロポーズよりも先に「おにぎりの店」計画
彫刻家、歌手としてのキャリアもあるという多才なサミュエルさんは、1987年パリ生まれ。コンサートツアーで日本を訪れたとき、コンビニのおにぎり(ツナマヨ)を食べてからおにぎりの魅力に取りつかれました。
愛さんは1984年、愛知県は岡崎の生まれ。20代は日本で洋服のフランスブランドの仕事をしていたものの、いつかは自分の料理の店を持ちたいという夢を温め続けていました。30歳で一念発起してオーストラリアに渡り、その夢を実現すべく、まずはさまざまなレストランで武者修行のように経験を積みました。
おふたりの馴れ初めはそのオーストラリア。愛さんが働いていたレストランにチーズを卸していたのがサミュエルさんだったのです。
「おにぎりが好きだ」と言われて、わたしも最後の晩餐はおにぎりって決めているくらいおにぎりが好きなので意気投合しました。そして、結婚するよりも先に、「おにぎりのレストランをやれる?」って聞かれて、即「やります」とわたし。それでパリに来ることになったのです。
おにぎりワークショップが大好評
愛さんがパリに渡ったのは2017年。彼女はまずパリの日本食レストランで働き、サミュエルさんは経営の勉強をしました。それと並行して、ふたりはおにぎりのケータリングをしたりイベントに出展したりしてこつこつと開店資金と経験を蓄えてゆきます。そしてたまたま共通の友人だったフランス人の後押しで、毎月おにぎりのワークショップを開催した経験が、いまでも財産になっていると愛さんは語ります。
お米って何? おにぎりって何? から始まって、お米の炊き方、おにぎりの作り方、浅漬けの作り方も説明します。おにぎりの中にはどんなものをいれてもよくて、食事制限のある人や宗教にかかわらず、みんなで食べられるもの、など、いろんなことをサミュエルが話します。そのあと参加者と一緒に作るのですが、フランス人って、意外と三角に作れなくて、あせっているうちに手が乾いてボロボロになってしまう…。最初は、わたしたちもこんなことになるとは思っていなくて難航したんですけれども、このワークショップが好評で、レストラン業界の人が来てくれたり、そこから広がったご縁で、また別のマルシェに出展しないかというお話をいただいたりするようになりました。
おにぎり専門店「ギリギリ」を開いてほどなく、コロナ禍という予期せぬ事態に直面することになりましたが、ワークショップの初期の頃からのファンはいまでも常連さんです。お店の周辺には食関連の有名店も多く、感度の高い人たちが暮らす人気のエリア。住人にはモデルや有名バレエダンサーもいて、彼らが自身のインスタグラムにお気に入りの「ギリギリ」のおにぎりをアップしたりして、人が人を呼ぶ好循環が続いています。
お客さんは日本好きだったり、来日経験のある人が日本の味を懐かしんで買い求めたり、食や文化に対する好奇心のある人が来店してリピーターになることが多いのだとか。年齢層でいうと30から50代が多く、75%が女性。そうかと思うと、近所の子供たちがお母さんにもらった10ユーロをにぎりしめて駆け込んでくるという風景もあるようです。
フランス人好みの味は?
愛さんは毎日3〜4升のお米を炊き、サミュエルさんと手分けして具材もさまざまなおにぎりを並べます。いっぽうでお弁当やお味噌汁も人気で、水曜限定のカレーもあるというバラエティの豊かさ。12時に開店して2時には完売してしまうそうです。
おにぎりの種類は時期によって変わりますが、わたしが訪ねたときはこんな品揃えでした。「シソツケ、コンブ、ウメオカカ、トンマヨ(ツナマヨ)、シイタケ、ミソポーク、サーモン、メンタイコ」。中でもとくに売れ筋は? と尋ねると、サミュエルさんはこう話してくれました。
おにぎりを初めて食べるフランス人は、まず「ソースは?」と聞くんです。お寿司の醤油を連想するのでしょう。ご飯は酢飯じゃないの? というような反応もあります。人気の具材は、ミソポーク、トンマヨ、サーモンあたりでしょうか。フランス人はソース好きということもありますけれど、なにか付け足したり、リッチで味がはっきりしているものを好む傾向にあります。おにぎり本来の質朴さとはある意味、真逆のものかもしれませんけれどね。
そうかと思うと、おにぎりはグルテンフリーや、ヴィーガンの食事をとる人たちの救世主にもなっていると愛さんは言います。
この界隈、コロナの影響でヴィーガンのレストランがどんどん潰れていて、それで行き場をなくしたヴィーガン食の人たちがうちに結構来られます。だからお味噌汁はかならずヴィーガンに対応できるものにしていて、梅おかかを梅だけにするとか工夫をしています。準備ができれば、胡桃みそとかも出します。うちの地元では五平餅が名物で、わたし自身が大好きで、自分が食べたくて、という気持ちがあるものですから…。
ところで、「最後の晩餐はおにぎり」という愛さんですが、具体的にそれはどんなおにぎりなのでしょう?
母の作る鮭おにぎりが何よりも好きです。表面はパリッとしながら、中はとろっとやわらかーい鮭。彼女はコンロで絶妙に焼いた鮭をたっぷり入れて、ふわっふわのおにぎりを作ってくれるんです。それがあまりにも美味しくて、子供の頃から、お弁当に持たせてもらっても、お昼まで我慢できたことがない。いつも家の角を曲がったら、母から見えなくなったところで食べて、お昼はじっと我慢する。そんなことばかりしていたので、大人になってもいまだに大好きなんです。それに、おにぎりに海苔を巻いたときの匂いが、またたまらなくて…。
恍惚とした表情で語る愛さんのお話からは、ほんとうに湯気や香りが立ち上ってくるようで、こちらもすっかり引き込まれてしまいます。
これからの食のあり方を意識して
ところで、おにぎりの基本は米と水と塩と海苔。実家が米農家だったという愛さんですから、そのあたりの思い入れはひとしおです。ただし、パリで作るとなると日本とまったく同じというわけにはいきません。「ギリギリ」では、海苔は日本からのものを使っていますが、米はいまのところイタリア産、塩はフランスはゲランド産の塩。そして水はパリの硬水を使うことになりますが、備長炭を入れたり、日本酒を入れて炊くなど、工夫を重ねています。
もちろん、日本のおにぎりに限りなく近いものを食べていただきたいという気持ちです。けれども同時に、地産地消、地球環境に配慮した食材であることが大事だとも思っています。フランスでは、エコロジーや持続可能性に重きをおく気運が年々高まってきています。将来的には、もっともっと地球に優しい食べ方に人々が向かっていくと思います。
と、サミュエルさん。
たしかに、この気運を無視した未来はない、というのが昨今のフランスの食の潮流です。真摯なふたりのことですから、できるだけ近い生産地、つまりフランスやヨーロッパでとれた材料を吟味することで「ギリギリ」ならではの味を追求しているのです。
ふたりで叶える夢
彼の手はおにぎりを作りすぎて、すべすべなんです。週末などは1件で50個というような注文が入ることもあります。ふたりで分担したりもしますが、わたしは他のものの調理もあるので、丸投げすることもあります。最初の頃こそ、大きさが違うとか、ゆるいとかいろいろ文句をつけていたのですが、わたしが年末に体調を崩して、彼ひとりにお店を任せたこともありました。そのとき、わたしは何も食べられなかったのですが、おにぎりなら食べられるという状態で、彼に鮭のおにぎりを持って帰ってきてもらったら、それがほんとうに美味しくて。「上達したねー」と、嬉しくなりました。
傍目には夢を叶え、順調に成功の階段を登っているように見ますが、週に6日半働くという生活は、じつのところなかなか厳しいものがあります。
愛さんはさらにこう続けます。
わたしが料理をしているものが多い分、お客さんから「美味しかったよ」とかいろいろと言っていただいて励まされますけれど、彼の仕事は目に見えないものが多い。けれどもそれがあってこそのお店だから、そこはわたしが評価してあげて、彼のモチベーションを下げないようにしていかないといけないと思います。同僚であり、夫婦。うまくお互いのバランスを取れるように、というのがこれからの課題です。
自然に「ごちそうさま」の言葉をかけたくなる、気持ちにも栄養をくれるような素敵な「おにぎり夫婦」です。