日本の閣僚はどのくらい「年配の男性ばかり」なのか:データでみる主要国との比較
11月1日、第4次安倍内閣が発足。「政策の継続性」が重視された結果、閣僚は全員留任となりました。
世界を見渡すと、例えばオーストリアでは10月15日に行われた総選挙で第一党となった国民党の党首、弱冠31歳のセバスティアン・クルツ氏が首班指名を受ける見込みであるなど、若い指導者も珍しくありません。もちろん、若ければいいとは限りませんが、同様に年長者だからいいとも限りません。
これに関して、日本の閣僚には「年配の男性ばかり」というイメージがあります。果たして、そのイメージは正しいのでしょうか。第4次安倍内閣の閣僚の年齢構成と女性比率を、G7メンバーである主要国との対比によってみていきます。
平均年齢の高さ
表1は、日本を含むG7諸国の、首班を含む閣僚の年齢構成を表したものです。日本のデータは第4次安倍内閣の、それ以外の国のものは2017年10月1日現在のものを用いています。ただし、カナダの閣僚のうち2名は年齢を公にしていないため、これらを除いて算出しています。
まず、表1が示すように、日本の閣僚の平均年齢は61.95歳。これはG7メンバーのうちで最も高く、平均年齢が最も若いカナダと比較して10歳以上離れています。
一方、日本に近い水準の国としては、米国(ここには閣議に事実上参加しているトランプ大統領の長女イヴァンカ・トランプ氏やその配偶者ジャレッド・クシュナー氏は含まれていない)やドイツがあげられます。特に米国のそれは、日本と1歳も違いません。
そのため、日本の閣僚の平均年齢がG7で最も高いことは確かでも、少なくともいくつかのメンバーと大差ないように映ります。
年代別の比率
そこで次に、もう少し詳しくみるため、表2では年代別の分布を整理しています。ここでまず注目すべきは、最年長の閣僚の年齢は米国やドイツと大差ないものの、日本の最年少の閣僚の年齢がG7で唯一50歳代であることです。他のG7メンバーと異なり、30、40歳代はゼロです。
さらに、図1は表2をグラフ化したものです。G7の平均は50歳代が28.6パーセントで最も多く、これに60歳代の27.8パーセント、40歳代の27.1パーセントと続きます。つまり、G7平均は50歳代をピークに、その前後になだらかに減少し、30歳代、70歳代で急激に減少する、台形に近い形を描いているといえます。
これに対して、日本のそれは50、60歳代に急激にピークがきていることが分かります。
また、表2と図1からは、平均年齢が近い米国やドイツと日本の違いも分かります。米国の場合、平均年齢は日本と大差ないものの、30歳代から70歳代まで比較的まんべんなく分布しており、その結果として平均年齢が60歳代前半になっています。また、ドイツは60歳代の割合が唯一日本より高い国ですが、70歳代の割合が低く、逆に40歳代の閣僚もいます。
つまり、平均年齢が同じくらいでも、日本の閣僚は米国、ドイツと比べても、50~60歳代に集中していることが分かります。
また、日本、ドイツと同じく、英国では30歳代がゼロですが、40歳代が多いため、平均年齢は50歳代前半になっています。
女性比率の低さ
次に、閣僚の女性比率について検討すると、日本のG7メンバーとの違いは、より明確になります。表3はG7メンバーの女性閣僚の人数とその全体に占める割合を示しています。
ここから、絶対数だけでなく、女性閣僚の割合でも、日本は他のG7メンバーと比べて大幅に少ないことが分かります。G7メンバーの多くでは女性閣僚が30パーセント以上を占めますが、日本のそれは10パーセント。米国のトランプ政権はオバマ政権やブッシュ政権と比較して女性閣僚が少ないと批判されましたが、日本はそれをさらに下回ります。
一方、目を引くのはカナダの内閣における女性比率の高さで、50パーセント近くあります。これに加えて、フランスや、さらにヨーロッパでともすれば「保守的」と位置付けられやすいドイツ(閣僚の平均年齢の高さにそれがうかがえる)も、この項目では健闘しているといえます。これらと比べると、日本の閣僚に占める女性の割合は、明らかに低いといわざるを得ません。
最後に、表4は女性閣僚の年代別分布を表しています。イタリアやカナダでは30歳代の女性閣僚もいますが、ほとんどの国では40、50、60歳代に分布しており、これらの年代間の人数差はほとんどありません。ところが、日本の場合、もともと少ないうえに、30、40歳代の女性閣僚が皆無であることが分かります。
年代と性別の構成が示すもの
念のために繰り返せば、年齢や性差で政治家としての能力を測ることは困難です。その意味で、平均年齢が若い内閣や女性閣僚の多い内閣のパフォーマンスがいいとは限りません。政府としての能力という観点に限定してみるならば、「若ければいい」、「女性が多ければいい」と断定できる根拠は乏しいかもしれません。
ただし、それは同時に、「平均年齢の高い方がいい」、「男性が多ければいい」と断定できないことをも意味します。政府・与党関係者は「適材適所」を強調するかもしれません。しかし、そうであるなら、平均年齢の高い男性に偏った内閣の布陣は、若い年代や女性の与党議員に(少なくとも大臣を任せられるほど)有能な人材がいない、といっているに等しいとも受け取れます。
いずれにせよ、一般的に言って、意思決定の主体が特定の年代や性別に集中することは、導かれる方針に偏りを生みやすいといえます。その意味で、安倍政権が掲げる「働き方改革」、「女性の輝く社会」、「少子化対策」といった方針が、50、60歳代の男性ばかりで寄り集まる内閣で決定されることには、総じて「人を使う男性の視点」、「既に子育てを終えた年代の視点」だけが反映されやすくなるという懸念がつきまといます。
これに対しては、「日本の大臣は自民党の党内力学で決まると相場が決まっている。法案の多くは官僚や党が作り、大臣は『裁可するだけの、あるいは予算をぶんどってくる役職』に過ぎない。だから、むしろ50~60歳代の男性がやった方が『おさまりがいい』」という意見もあり得ます。
しかし、それはまさに「可能性より経験」、「能力より肩書」、「個人より属性」という日本の社会の旧来のあり方に基づく発想であり、それで進む「改革」が誰にとって有益なものなのかという疑問は生まれます。少なくとも、個々の大臣の資質はともかく、日本の閣僚の布陣から「多様性」と無縁の政治のあり方を見出せることは確かといえるでしょう。