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オリンピック水泳会場への汚水流入をどう防ぐか

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
「川だけ地図」(国土交通省)にお台場海浜公園を著者がマッピング

国際トライアスロン連合が定める基準の最大21倍の大腸菌

 8月11日、東京オリンピックに向け、水泳のオープンウォータースイミングのテストイベントが、東京のお台場海浜公園で行われた。選手からは「トイレのにおい」(アンモニア臭)がするなど、糞尿の影響を示唆するコメントが聞かれた。

 会場は東京湾の入り江にある。閉鎖性の強い水域で、汚染物質がとどまりやすい。

 2017年、東京都と東京2020組織委員会は、お台場海浜公園内水域の水質調査を行っている。

 報道発表資料「お台場海浜公園における水質・水温調査結果について」(2017年10月04日/東京都オリンピック・パラリンピック準備局)

 7〜9月の26日間、オープンウォータースイミング、トライアスロン会場の水質検査を行った。

東京都オリンピック・パラリンピック準備局資料より
東京都オリンピック・パラリンピック準備局資料より

 その結果、国際トライアスロン連合が定める基準の最大21倍の大腸菌、国際水泳連盟が定める基準値の最大7倍のふん便性大腸菌が検出された。

 その他の水質検査項目では、CODや透明度などで基準値を超える日があった。

 (注:COD Chemical Oxygen Demand/化学的酸素要求量。水の中にある酸化されやすい物質(主に有機物)が、酸化されるときに消費する酸素量を表す。値が大きいほど水中に有機物(腐るもの)が多く含まれている。すなわち、汚れていることを示す。)

 ※このニュースを動画で3分解説「オリンピック水泳会場 汚染水の流入どう防ぐ?」

 大会組織委・室伏広治スポーツ局長は「雨が降った後の調査結果があまり良くない」とコメントした。

 雨と水質の因果関係は何か。

 東京23区の下水道は合流式である。

 合流式とは、生活排水、工業排水、雨水を1本の下水管に合流させ、下水処理施設で浄化した後、河川に流す方法だ。豪雨により一度に大量の雨水が下水管に入った場合、下水処理施設の処理能力を超えるおそれがあるため、汚水が処理されないまま川へ流れる。生活排水だから当然トイレの水も含まれる。こうした川の水が東京湾へと流れ込む。

 東京都は下水処理能力を向上させているが、短時間に大量の雨が降ることが多くなり、処理能力を向上させても限界がある。上記の報告書でも「東京の(2017年)8月は、21日間連続で降雨が確認され、1977年以降、観測史上、連続降水日数歴代2位」と雨の多かったことが強調されている。

汚水の侵入を抑制するスクリーンを設置

 東京都は対策として、下水処理施設の整備を進め、競技会場周辺の海にふん便性大腸菌の浸入を抑制する水中スクリーンを設置した。

スクリーン設置位置(「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」)
スクリーン設置位置(「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」)
水中スクリーンの概要図「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」より
水中スクリーンの概要図「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」より

 水中スクリーンは、1枚が長さ約20メートル、深さ3メートルで、ポリエステル製。一般的には海岸や水辺の工事の際、土砂などの流出を防ぐために、つなぎ合わせて使用する。今回は、約400メートルにまでつなぎ、ポリエステル製の巨大なカーテンが、豪雨時に海に出てくる汚水と汚物を堰き止める。

 その効果はどうだったか。「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」(2019年3月)によると、2018年、大会開催と同時期となる7月から9月にかけて、同水域における降雨時の大腸菌等の流入防止対策による水質安定化を図るため、以下の調査・実験を行っている。

 東京都オリンピック・パラリンピック準備局、東京2020組織委員会「水質水温調査」

 期間:2018年7月24日〜8月9日、8月25日〜9月6日(計27日間)

 場所:お台場海浜公園内の6か所

 内容:競技を実施するエリアの水質(大腸菌数、ふん便性大腸菌群数、腸球菌数、pH、COD、透明度、油膜)

 結果:大腸菌類の数値が27日間のうち12日間で、それぞれの競技における基準を超過

 東京都オリンピック・パラリンピック準備局、港湾局「水中スクリーン実験」

 期間:2018年7月24日〜8月9日、8月25日〜8月31日(計22日間)

 場所:お台場海浜公園内

 内容:水中スクリーンの設置による大腸菌等の流入抑制効果を検証するための実証実験。3重スクリーンと1重スクリーンを設置し、水質調査を行う、流入抑制効果を検証。

 結果:3重スクリーン内では、調査期間(22日間)の全てで水質基準内の数値となり、大腸菌類の抑制効果を確認。台風以外の日を中心に、スクリーン内のpH、COD、腸球菌数、透明度について、水質基準を超過する日があった。また、記録的な高温が続いたこともあり、スクリーンの内側は、外側と比較して平均1℃(最高3.8℃)高い結果となった。

 3重スクリーン内では大腸菌類の抑制効果は認められた。しかし、他の水質項目については超過する日があり、また、スクリーンの内側は水温が上がりやすく、新たに熱中症など懸念が浮上している。

分流式の切り替えには30年

 理想を言えば、水質改善の最善手は、下水道を合流式から分流式に切り替えることだろう。あらためて2つの方式の特徴を以下にまとめる。

 合流式の特徴

・下水道が1本ですむので建設費・維持管理費が少なく、他の地下埋設物との競合が少ない

・管径が大きく勾配が小さいため汚物が管内に堆積しやすい

・大雨などで対応できる流量を超えると、未処理のまま河川などに放流される。そのため水質汚濁を招く可能性がある

 分流式の特徴

・下水道が2本必要で建設費・維持管理費が高く、他の地下埋設物と競合する

・汚水は下水処理場で処理されるので、河川や海への流出はない

・道路などが汚れていた場合は、雨水はその汚れとともに河川や海に放流される

分流式の下水道(拙著「水の科学」より)
分流式の下水道(拙著「水の科学」より)

 なぜ、この2つの方式があるのか。

 初期の下水道建設計画は、洪水を防ぐこと、普及を進めることが優先され、コストの安い合流式による整備が進められた。だが、各地で環境汚染が広がるようになると、分流式が取り入れられるようになった。分流式は雨水・汚水を区別して処理するため、雨が降っても雨水と生活排水、工業排水が混ざることがない。そのため汚水が確実に下水処理される。

 だが、東京都内の下水道が分流式に切り替わるには、あと30年以上かかるともいわれ、オリンピックには到底間に合わない。工事やコストについて現実的に考えても、これから分流に切り替えていくのは無理だろう。

流域全体で水質・水量の対策を急げ

 冒頭の「川だけ地図」(国土交通省)で示した通り、東京湾には江戸川、荒川、多摩川、鶴見川などが注いでいる。雨が降り、雨水が集められ流れゆく範囲を流域という。雨が流れて川となり、いくつもの川が一筋の流れにまとまって大海へ注ぐ。水は、埼玉、千葉、神奈川など広い範囲からやってくる。ひとたび雨が増えれば、水とともに汚染物質が東京湾に集まってくる。それを水際で食い止めようとしても、根本的な解決にはならない(オリンピック期間中だけ泳げればよいのであれば、さまざまな技術を投入すれば可能だろう)。

 地元には「東京湾を泳げる海に」という悲願があり、これまでも市民がさまざまな努力を続け、海をきれいにしてきた。

 悲願を現実にするには、もっと大きな力が必要だろう。

 流域全体で雨水を貯めることで水量を調整し、また、生活排水を抑制していく努力が必要だ。

 荒川流域を俯瞰して見ると、甲武信岳からしみ出た清らかな水の流れは、百数十キロの旅路を経るうちに、緑とも茶ともつかない濃い濁りに変わっていく。

 荒川流域には980万人が住んでいる。この各家庭が汚染源である。生活排水が流れ込み、水中の酸素量が少なくなる「貧酸素化」も進んでいる。貧酸素化が進むと貝類や底性生物が死滅し、水質は悪くなる。また、土壌から溶出したリン酸が植物プランクトンの発生を助長し、さらに貧酸素化を促す。貧酸素化は、荒川の川底だけではなく、河口の東京湾でも進んでいる。

 7月8日、隅田川で、コノシロやコイなど約3000匹の魚が大量に死んだ。東京都環境局は、水中の溶存酸素量が通常の値の半分以下だったと発表している。これについては、Yahoo!ニュース「「油を台所から流さない」49.9%と3000匹の魚大量死は関係あるか」にまとめた。

 トイレの水を流すことを止めるのはさすがに無理だが、台所から油を流すのを止めることはできる。それが豪雨時の河川への流入を防ぎ、東京湾の水質改善に貢献できる。検査項目にあったCODや透明度の改善につながる。この問題に対し、1人ひとりがやれることはある。

 もう1つは広い範囲で雨を貯めることだ。

 近代の町づくりにおいて、雨は洪水をもたらす「やっかいもの」と考えられてきた。「下水道法」では、雨水は下水という扱いだ。降った雨は、下水道を通じてすみやかに街の外へ追い出すべきものと考えられてきた。簡単に言えば、私たちは、水をコンクリートで制圧しようとしてきた。連続堤防で川をまっすぐにし、洪水をできるだけ早く海に押し出そうとしてきた。

 しかし、雨水は貯留すれば、個人宅や地域で活用することができる。かりに東京都内のすべての一戸建て住宅が屋根に降った雨を貯めたとすると、1億3000万トンの水が確保でき、これは利根川水系の八木沢ダムが東京都に供給している水量を上回る。江戸川・荒川・多摩川・鶴見川などの各流域で取り組めば、さらに水量は増え、下水道への負荷を軽減できると同時に、各地域で水環境を豊かにすることができる。

 具体的な雨水の貯留方法は、Yahoo!ニュース「8月6日「雨水の日」。命がけで雨乞いした古代王、雨に無関心すぎる日本の政治家」にまとめた。

 海外では「グリーンインフラ」への取り組みが活発になっている。「グリーンインフラ」とは、自然環境が有する多様性を活用し、地域の魅力、居住環境の向上や防災・減災等の多様な効果を得ようとするもの。雨水活用もその1つである。

 オリンピックまであと1年。東京都や大会組織委が進める対策とともに、東京湾に注ぐ川の流域に暮らす人の協力が必要だ。これは単純にオリンピックのためというだけでなく、気候変動に適応した社会をつくることにつながる。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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