あなたの周りにもいますよね。「否定から入る人」の心理を、現役プロ心理カウンセラーが解説します。
こんにちは。
精神医学と性格心理学に詳しい
心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。
今日もテーマは、「否定から入る人」です。
世の中には、何でも「否定から入る人」っていますよね。
私は今、あるプロジェクトに入っているのですが、いろんなしがらみで抜けたくても抜けられないのですが、会議中はボーッとしていることが多いです。その会議では、長から「竹内先生、何か意見ないですか?」と訊かれても、「すいません。ございません」と答えることがほとんどです。
何故かと言うと、私が何か意見を言うと、必ずと言っていいほど、理由も言わず、「そりゃダメだな」と言うか、もしくは首を傾けて無言を貫くか、という行為しかしないからです。会議に出ている私のモチベーションはダダ下がりです。結局いつも、長の思う通り、言った通り、事は進められます。ホント意味ない会議だなあ…と思うのですが、私にはどうしようもありません。←まぁ、正直、そんなに悩んでないですけどね。
「否定からしか入らない人」って、男性に多いイメージですが、女性にも大勢います。
例えば、「痛いよー」と泣いている我が子に向かって、「痛くない!」と言うお母さん。「お腹空いたよ」と言っている我が子に向かって、「空いてない!」と言うお母さん。「今日は疲れたよ」と言う旦那さんに向かって「疲れてない! 私の方が疲れている!!」と言い放つ奥さん等々。
私は、心理カウンセラーという仕事をしている者ですが、カウンセリング中はもちろん、普段も、極力 話し手の言葉を遮らないよう否定しないよう心掛けています。事実 私は、「でも」とか「しかし」とか「だって」という言葉を使うことは滅多にありません。
私の友人で、「違うて、違うて」という言葉遣いを癖にする者がいるのですが、そしてその友人は、学校の先生、しかも校長先生をやっていたのですが、その友人にとって、「違うて、違うて」という否定言葉は、ひとつのつなぎ言葉の役割をしているのです。そう、「ねえ、ねえ」とか「あのさ」とかいう言葉と同義語になっているということなのです。
ここまでお話ししてきて、思い出したことがあります。
私は、心理カウンセラーになる前、10数年間ほど、サラリーマンをやっていたことがるあるのですが、私の部署に、何を言ってもしても、絶対にと言っていいほど、否定からしか入らない先輩がいました。
ある日、同僚と、「○○さん、いつも否定から入るよね。○○さん、何て言ったら、『そうだなぁ』とか『そうだよ』と言うかなぁー」と話し合っていました。で私は、はたと思いつき、その先輩に向かって、自分のアイディアを実行に移したのです。
私は、ハサミを差し出し、「○○さん、これはハサミですよね」と言ったのです。
私は、さすがにこう言えば、「そうだよ」という言葉以外、出る筈がないと確信していたのですが、なんとその先輩は、「見ればわかるだろ。馬鹿か?」と言ったのです。私は、大変に驚き、「その手があったか?」と感心しました。見事に私の負け、完敗、撃沈です。
「否定から入る人」って、本当に凄いですね。
こちらが何を言っても否定から入りますものね。
さて、「否定から入る人」は、何で否定から入るのでしょうか?
それは、否定すると、一瞬自分が、相手より賢く偉くなったような気がして、己の自己重要感・自己肯定感がアップするからです。
この自己重要感と言うのは、非常に大きな、そして根源的な欲求で、私たちは、この欲求を満たしたくて、日々たくさんのお金と時間と労力を注いでいる…と言っても過言ではないくらいです。
そう、否定から入る人は、その行為をすることによって、己の自己重要感をアップさせているのですね。この自己重要感をアップさせる行為というのは、ひとつの快楽です。この快楽に憑りつかれた人は、その悪しき癖をなかなか手放すことが出来ません。そして、「その結果、どうなるか?」というと、人から嫌われ、結局のところ、一瞬 自己重要感を満たしたと引き換えに、愛と所属欲求や群居欲を満たされなくしてしまっている…ということです。
この記事をお読みのあなたは如何ですか?
自己重要感を満たしたくて、否定から入りますか?
自己重要感を満たしたくて、人に不快感を与えますか?
そして、その結果、人から嫌われますか?
よーく考えましょう。自分の口から出る言葉は大事です。
否定から入らないこと。人を、そして人の話を尊重する…ということです。
今日も最後までお読みくださって、どうもありがとうございます。
心から感謝申し上げます。
この記事を書いた人は、心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。