NPBでプレーした「MLB100本塁打以上&100盗塁以上」。読売入団のポランコは96本&98盗塁
読売ジャイアンツに入団したグレゴリー・ポランコは、メジャーリーグで96本塁打と98盗塁を記録している。どちらも三桁に近く、四捨五入すると、ともに100となる。
ナ・リーグとア・リーグ、あるいは両リーグにおいて、通算100本塁打以上と100盗塁以上の「100-100」を記録した選手は、「500-500」のバリー・ボンズ(762本塁打と514盗塁)を筆頭に、250人を超える。そのうち、「100-100」を達成後に日本プロ野球でプレーした選手は、調べたところ、9人が見つかった。
ここには、「200-200」のアルフォンソ・ソリアーノ(412本塁打と289盗塁)や「100-100」のイチロー(117本塁打と509盗塁)は含めていない。彼らが日本プロ野球でプレーしたのは、メジャーデビュー前だ。
それに対し、1995年と1998年に千葉ロッテ・マリーンズでプレーしたフリオ・フランコは、1982~1994年に120本塁打と237盗塁を記録している。1996~97年と1999年、2001~07年を含めた、フランコのメジャーリーグ通算は、173本塁打と281盗塁だ。
「100-100」を達成後に日本プロ野球でプレーした9人と、ポランコを含む「90-90」の5人は、以下のとおり。
ポランコを除く13人のうち、日本プロ野球でシーズン20本塁打以上と20盗塁以上の「20-20」を記録したのは、1973年のドン・ビュフォードだけだ。太平洋クラブ・ライオンズで、20本のホームランを打ち、25盗塁を決めた。この他に、20本塁打以上と二桁盗塁は、1975年のビュフォード(21本塁打と12盗塁/太平洋クラブ)、1977年のウィリー・デービス(25本塁打と10盗塁/中日ドラゴンズ)、1980年のロイ・ホワイト(29本塁打と13盗塁/読売ジャイアンツ)だ。そう多くない。
もっとも、13人中8人は、日本プロ野球で1シーズンに25本以上のホームランを打つか、メジャーリーグ時代のシーズン最多以上の本数を記録している。例えば、トニー・フェルナンデスは2000年に西武ライオンズで11本塁打ながら、メジャーリーグでも、1989年と1997年の11本塁打が最も多かった。
一方、シーズン20盗塁以上は、1973年のビュフォードしかいない。メジャーリーグ時代のシーズン最多に並んだ選手も皆無だ。これは、走ることを求められなかったのかもしれないが、年齢も一因のような気がする。日本プロ野球1年目の年齢(6月30日時点)は、13人とも32歳以上。30代後半の選手も9人いた。
彼らと比べると、ポランコは若い。2022年の年齢は30歳だ。日本プロ野球に適応し、積極的に盗塁を試みれば、「20-20」を記録してもおかしくない。メジャーリーグ時代のキャリアハイは、2018年の23本塁打と2015年の27盗塁だ。2016年は22本塁打と17盗塁を記録し、「20-20」まで3盗塁に迫った。
ちなみに、メジャーリーグでプレーした後、日本プロ野球で「20-20」を記録した選手は、ビュフォード以外にもいる。1993年のメル・ホール(30本塁打と21盗塁/千葉ロッテ)、1997年のタフィー・ローズ(22本塁打と22盗塁/近鉄バファローズ)、1997年のドウェイン・ホージー(38本塁打と20盗塁/ヤクルト・スワローズ)がそうだ。この3人のメジャーリーグ通算は、ホールが134本塁打と31盗塁、ローズが13本塁打と14盗塁、ホージーは4本塁打と12盗塁。日本プロ野球で「20-20」を記録した当時の年齢は、それぞれ、32歳、28歳、30歳だった。
また、福岡ソフトバンク・ホークスに入団したフレディ・ガルビスは、109本塁打と57盗塁を記録している。シーズン最多は、2019年の23本塁打と2016年の17盗塁だ。シーズン20盗塁以上はないものの、2016年は17盗塁とともに20本のホームランも打ち、こちらも「20-20」まで3盗塁とした。現在の年齢は32歳だ。
なお、2020年に読売でプレーしたヘラルド・パーラ(4本塁打と0盗塁)は、その前にメジャーリーグで88本塁打と96盗塁を記録した。2021年にワシントン・ナショナルズへ戻ったパーラは、ホームラン2本(と1盗塁)を加え、「90-90」に到達した。現時点ではFA。来年5月に35歳となる。
ポランコとガルビスについては、それぞれ、こちらでも書いた。