バド日本代表の朴柱奉監督が代表合宿中止に憤る背景…「改革、環境整備、関係性構築」が水の泡?
バドミントン日本代表の朴柱奉監督が都内で取材に応じ、パリ五輪に向けた展望を語ったが、そこで明らかになったのは味の素ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)で予定していた代表合宿が、予算不足で中止になったことだった。
「今年の五輪のためにプログラムを作ったが、協会の予算の問題があって、予定通りのプログラムができず残念だった」
さらに「(代表合宿なら)食べ物、トレーナー、情報、クリニック、スタッフもいて、練習のカリキュラムも違った。それプラス、他の競技も合宿をやっていて、全体的に五輪へ準備する雰囲気になっている。もっと五輪に集中できたが、残念だった」と語ってもいた。
これだけ朴監督が合宿中止に憤るのは、ヘッドコーチ就任から十数年、努力して築き上げてきたものが崩れ去ったこともあるが、プラン通りに代表強化を進められなければメダル獲得が難しいと肌で感じているからに違いない。
2004年就任から日本代表監督は今年で21年目
6年前の2018年。女子ダブルスで2016年リオデジャネイロ五輪金メダルの“タカマツ”ペア、高橋礼華と松友美佐紀にインタビューした時のことだ。それ合わせて、朴柱奉監督にも日本バドミントン界がなぜこれほど強くなったのか、その背景について色々と聞く機会があった。
その時に語っていた話が今も忘れられない。朴監督は現役時代、シングルス公式戦103勝、国際大会では67回の優勝を誇る名プレーヤー。1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得し、2001年には国際バドミントン連盟の殿堂入りを果たした人物。
現役引退後は、マレーシアやイングランドでコーチを務めた、2004年から日本代表ヘッドコーチに就任。今年で21年目と、それこそ日本のバドミントン界に改革のメスを入れた人物として知られている。現在の日本のバドミントンの成長と発展に、欠かせない人物であるのは間違いない。
「私が来日前の代表監督は所属チームの指導者。専任はいない」
「一昔前まで、このような状況は考えられなかった」。開口一番、朴監督は2004年に来たばかりの頃のバドミントン日本代表は、相当ひどい状況だったと正直に語っていた。
「当時の日本代表の現状には、驚かずにはいられませんでした。とにかく変えなければならないことがたくさんありました。日本代表なのに練習環境は整っておらず、選手もコーチも戦う意識が低かった」
さらにこんな話もしていた。
「国際大会に参加することだけに意味があって、負けても自分たちにはあまり関係ないという雰囲気がありました。そこにはいくつか理由がありました。ヘッドコーチの私は協会所属になります。そこから給料をいただいている身ですが、私が来るまで代表のコーチを務めていたのは、各所属チームの指導者たち。当時は代表コーチを務める日数だけの日当だけが支払われていたんです」
ようするにシステムが代表を強化するという視点が欠けていて、強豪国よりもかなり遅れを取っていたというわけだ。代表の専属コーチが存在しなかった時代があり、所属チームと代表のコーチを務める“二足のわらじ”状態が続いた。
朴監督はまずそこにメスを入れた。
「コーチングスタッフは男子シングル、女子シングル、男子ダブルス、女子ダブルスにそれぞれ一人ずつ専任をつけるように協会に要望しました」
担当コーチが集中して指導できるようにした。さらに朴監督が驚いたのは、「劣悪な練習環境」だったという。
「私が驚いたのは、練習環境が整っていないことでした。当時は味の素ナショナルトレーニングセンターのような施設がなかったので、合宿する場所を確保するのも大変でした。一般的な体育館を予約したり、体育大学の体育館を借りたりして練習していたのです。それがだめなら地方までいって練習場所を確保していましたよ」
「昔の日本代表には勝利への使命感はなかった」
そして当時の代表合宿がどのような状態だったのかも赤裸々に語ってくれた。
「私が日本に来る前は、代表合宿は1年に4回くらいあったと聞きました。ただ、国際大会が行われる前に3~4日くらい合宿して、本番を迎えていたそうです。もしくは、各自がチームで練習し、試合前になれば空港に集まって、そのまま出発するというのもあった。国際試合が終わり、日本に帰国したらそのまま解散です」
さらにスタッフの責任感や使命感の欠如についても指摘していた。
「代表チームのコーチも選手も、勝たなければならないという使命感などありませんでした。とにかく、コーチも選手も負けても悔しいという気持ちはなかったかもしれません。各自が所属するチームの強化と結果が最優先だったわけです」
朴監督は、日本のバドミントン界が抱える問題を表に出し、一つずつ解決するように働きかけていったという。
「困難だった協会とチームとの関係性構築」
朴監督が一番困難だったと感じたのは、「協会とチームのスムーズな関係性を構築」だったという。
「私が代表に選ばれた選手を預かるわけですから、現場では私がスタッフたちと話し合って、いろんなことを決めます。でも所属チームの立場からすれば、『自分の選手』という認識が強く、代表でも選手を管理したがる傾向がありました。『●●選手は何日に合流します』とか『●●選手は混合ダブルスには出場させられない』などです。ただ、代表に来たら、そこはもう所属チームの選手ではありません。代表では代表スタッフがすべてを決めないといけない。バドミントンには種目も色々あるので、例えば、混合ダブルスを誰にするのが一番いいのかなどをたくさん考えます。そこでチーム側から『あの種目はケガする可能性があるので、出すことはできません』と言われたこともありました。こうした溝を埋めるのに、相当な時間と労力を費やしました。仮に代表で結果を残していなければ、私は今ここにいないでしょう(笑)」
代表強化のためと、各チームのコーチたちを説得し、理解をしてもらうために何度も議論を重ねた。時には言い争うこともあったというが、日本代表を世界選手権や五輪でメダルを取らせるという情熱、結果を示すことで協会とチームの関係はスムーズになった。
「コーチや選手の意識改革にはコミュニケーション」
朴監督の性格もあると思うが、韓国の人は会うたびに「食事しましたか?」とあいさつのように必ず聞いてくる。食卓を一緒に囲むことで、コミュニケーションをとることをものすごく大事にしている人が割と多いようにも感じる。
朴監督もコミュニケーションを大事にすることの重要性を説いていた。
「コーチや選手の意識を改革するために、一番大事なのはコミュニケーション。私が描いていることを協会に伝え、チームとも話し合って理解してもらいました。そうでないと、今の日本代表がここまで強くなってはいないと思います」
これだけ長らく日本で指導していると朴監督の教え子たちが、各チームのコーチになることが増えたという。顔見知りだからこそコミュニケーションも円滑になり、何よりも「私のトレーニング方法、スタイル、代表チームの運営方式などを知っている教え子たちが多いので、日本代表にも協力してもらえるようになりました」と話していた。
ここ数年のバドミントン日本代表の躍進の背景には朴監督の努力や共に働くスタッフや協会、チームとの関係性、選手たちの努力と才能がうまく噛み合わさった、ということがあったのだろう。構築してきたものを予算がないという理由で水の泡にするのはもったいない。
もしかすると内部でのコミュニケーションが噛み合わず、強化施策が予定通りに進んでいないような感じにも見受けられる。世界を知る朴監督の憤りは、日本バドミントン界がパリ五輪でのメダルが厳しい状況に追い込まれていると見て間違いないが、与えられた環境で前に進むしかない。