大変面白い『首』が海外では受けないかも。その理由
※以下、しばらく『首』への絶賛が続きます。本論を読みたい人は、最初の見出しまで飛ばしてください。
北野武監督の『首』、シッチェス・ファンタスティック映画祭で見て大変面白かった。
なんたって、今の価値観を「壊している」のがいい。
美しいものと正しいものしか生きていけないホワイト社会で、多様性が持てはやされながらも実は多様を認めない社会で、汚いものと間違っているものを描いている。
つまり、時代に逆行している。
コンプライアンスなんてなかった昭和が今から振り返ると下品なのだから、民主主義の代わりに身分制度があって、天下取りのために殺し合いをしていた戦国時代が、想像を超えるほど下品で下劣なのは当たり前だろう。
とはいえ、『首』で描かれているものが下劣であることは、北野武監督の品性が下劣であることを必ずしも意味しない(あるいはそうかもしれないが)。
もし今の日本がブラック社会であれば、ホワイトな作品を世に出したのではないか。
映画監督なら壊してなんぼ、時代と逆行してなんぼ、である。
時代に寄り添い、大衆の好みをリサーチしてヒットしそうな作品を作るなんてのは、ビジネスマンであってアーチストではない。ひねくれ者で、はみ出し者で、変わっていて、異端者で、時代の価値観からすると正しくなくてなんぼ、である。
というわけで、もし北野武本人が品性下劣であってもまったく構わない。品性正しい監督の品性正しい作品を見るくらいなら、品性下劣な人が作る下劣な作品を、ホワイトな今だからこそ見たい。
俳優はみな、素晴らしくうまい。
日本映画を見る度に、俳優なのかを疑う美男美女たちの演技に失望させられてきたが、『首』には日本映画界の底力を思い知らされた。特に加瀬亮。素の本人との激しいギャップこそ、うまさだ。
俳優ビートたけしも良かった。他の主演作では無口の孤独なアウトロー役が多く、表情作りがもう一つだったが、やはりしゃべってなんぼの役者だ。周囲の名優との掛け合いには大いに笑った。
ここから本論。
①受けない理由:信長って誰?
本能寺の変がサスペンスになり得る人、誰が死ぬのかを知らない人が海外ではお客である。日本の小学校で歴史を習ってない人たちだ。
非常にテンポが良く合戦やエピソードが挟まっていく展開で、131分があっと言う間に過ぎていく。が、それゆえに物語に置いていかれる人が出てくるだろう。「集中力を要求される作品」という評が多かった。
②受けない理由:顔の区別が付かない
オフィシャルサイトには、人物相関図があり、人物ごとの短い紹介があり、各人の紹介ビデオまで用意されていて至れり尽くせりだ。
この現地語版が公開時には求められる。たくさん登場人物がいてそれぞれのキャラは見事に立っているが、それでも海外では迷子が出てくるはずだ。
東洋人の顔の区別は基本的に付かない。みんながチョンマゲ、甲冑、かみしも姿なのでなお更である。
③受けない理由:グレー社会だから
「こんな狂った戦国時代を見た事があっただろうか!?」というオフィシャルサイトの売り文句には、NHK大河ドラマ視聴済みという前提で「ない」と言える。NHKという白が背景にあってこそ『首』の黒が目立つのだ。
加えて、海外は日本ほどホワイトではない。私の住むスペインは母国に比べるとずい分、グレーに見える。普通に、人種差別もあるし汚職もあるし不倫もあるし犯罪も多い。
JAL機炎上時の乗客の冷静な態度は「日本以外ではあり得ない」と絶賛された。人の振る舞いとその大本にあるモラルもかなり違う。
弥助はスペイン語をしゃべっていた。
弥助の黒い肌をからかうシーンがあるが、弥助の方も日本人をイエロー呼ばわりしていて笑えた。ああいう政治的に正しくないギャグはこっちでは受ける。
まとめると、灰色の中では『首』の黒がそれほど映えない。
追記1:日本で大コケと言われ、大コケと言われるだけで見に行かない、ということが起きているようだが、ぜひ見てほしい。
大コケと酷評は違う。大コケというのは興行収入が思わしくないなどの報道で、作品を見てなくても書ける。だが、酷評は批評なので見ないと書けない。
見た人の酷評によって見ないのはわかるけど、見ていない人の大コケ報道によって見ないのは逆にもったいなくないですか?
一般料金2000円は痛い出費だ。大きな賭けである。だけど、私は見た。大変面白かった。よって、おススメするしかない。
追記2:日本人にも海外の俳優の顔の区別は付かない。『雪山の絆』ではかなり苦労するはずだ。
※写真提供:シッチェス映画祭