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多様な視点をもつために

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
沖縄科学技術大学院大学(OIST)の夕景 写真:OISTのHPより

 筆者は現在、沖縄県にある沖縄科学技術大学院大学(OIST)で、同大のマネジメントやガバナンス等について研究している(注1)。なお、その成果に基づき大学を含めた日本の知的組織のマネジメントへの政策提言をする予定だ。

 これで、筆者は、日本国内では、これまでに東京都および関東周辺(以下、東京と称す)、大阪府(以下、大阪と称す)、沖縄県(以下、沖縄と称す)(注2)の3か所で、勉学や仕事・活動をしたことになる。それらの経験から、「日本は狭い島国」といわれることもあるが、地域ごとの違いや特色があることを実感している。それは、日本という社会も、ある程度の発展段階になったことで、多様でかつきめ細かな対応が必要となってきたということであり、明治維新以降の中央集権的な対応では、各地域のニーズにあった政策などができないような段階にきていることを意味しているのである。

 筆者が、このように考えるようになったのも、実際にいくつかの地域にある程度の期間滞在したり、生活したりして、多様で多面的な視点をもてたお陰だ。

 そして、筆者は、ここ十年以上は城西国際大学の東京キャンパスにある大学院を中心に教育と研究をしているが、同大学院の院生のほとんどは留学生だ。コロナ禍もあり、留学生の出身は、現時点ではかなり中国に偏っているが、これまでにアジア、欧米、アフリカそして日本各地等の多種多様な国々・地域となっている。

 そして現在は、OISTで研究活動をしているが、同大学は、教員・スタッフ・学生も外国人や女性比率が非常に高く、非常に多様性に富んであり、社会実験的な取り組みもしている興味深い組織だ。そしてOISTのある沖縄社会も、歴史的にも文化的にも、日本の地域のなかでも、独自性の高い地域であるといえるだろう。

Lab4から望む沖縄科学技術大学院大学(OIST)のキャンパス 写真:筆者撮影
Lab4から望む沖縄科学技術大学院大学(OIST)のキャンパス 写真:筆者撮影

 また筆者は、マレーシアや米国(ハワイ州、ミシガン州)(注3)、そして当然日本でも、ある程度の期間滞在し、勉学や活動をしてきた経験もある。

 そして当時としてはかなり異端だったともいえるが、大学在学中、海外から日本をみてみたい、考えてみたいと思ったのだ。しかも当時も欧米はある程度の方々が留学したりしていたので、別の国・地域に滞在したいと考えた。そこで、特に日本との深い関係性から、東南アジアを選択した。そのなかでも、東アジアや東南アジアだけでなく他のアジアや中東などにも関わる民族、文化、言語などが多様に混在するマレーシアを選んで(注4)、留学(おそらく遊学)したのだ(注5)。

マラヤ大学 写真:マラヤ大学のHPより
マラヤ大学 写真:マラヤ大学のHPより

 マレーシア滞在以前に半年ほど留学した米国ミシガン州(注6)では、アメリカ人はいうまでもなく、南米やアジアをはじめとする世界中の多くの国々からの留学生と接し、交流する機会があった。

 その後、米国のハワイ州にあるイーストウエストセンター(East-West Center)からグラントを得て、同地において滞在・留学した。

 同センターは、米国の連邦議会が設立した組織で、当時は毎年アジア太平洋の国・地域から100名(うち3分の1はアメリカ人。当時)がグランティー(奨学生)として選ばれ、隣接のハワイ大学の大学院に通いながら、相互に交流等をしながら、同センターの研究・教育などの活動に参加する仕組みだった。

イーストウエストセンターのジェファーソン・ホール 写真:同センターのHPより
イーストウエストセンターのジェファーソン・ホール 写真:同センターのHPより

 筆者はこのような複数の国・地域で生活することで、自分の持っている価値観や考え方等を、別の価値観や考え方等と比較し、相対化できるようになったと思う。 

 また自分の持つもとは異なるさまざまかつ多くのものが存在することを理解し、受容し、受け入れることがかなりできるようになったといえるかと思う。またいまだ十分ではないが、忍耐強さやコミュニケーション力は向上できたといえるだろう。

 留学なども含めて、2つの国・地域で生活あるいは滞在したことのある方はある程度はいるだろう。しかし、筆者の経験からすると、3つの国・地域などで生活・滞在すると、物事の組み合わせのバリエーションが相乗的に増えるので、比較や物事の相対化の力が飛躍的な向上するのではないかといえる。

 複数の国・地域での生活や滞在の経験を持つことは、結果としてそうなることはあるにしても、自分の生き方や人生において、基本的に自ら仕掛けていかないとできないことも多い。またそのような生活や滞在は、ストレスフルなことも多いのも事実だ。

 しかし、グローバル化等が進展し、社会及び世界は、ジェンダーや人種などにおいて多様な方向性へと指向されている現在、そのような経験をし、多様な視点をもてることは、ある意味で強みであり求まられていることであるといえるだろう。

 このようなことから、3つ以上の国・地域にいて生活や滞在することは、強くお勧めしたいところである。

(注1)今回このように機会を提供していただいた、ピーター・グルース学長をはじめとしてOSITおよびその教職員の皆さん方には感謝申し上げたい。

(注2)東京では、政府(行政、国会)、政党、民間組織、大学などのさまざまな仕事や活動をしてきている。大阪では、大阪大学で大学におけるイノベーションや新しい活動や組織づくりに関わった。沖縄では、OISTに籍を置き、研究・調査活動中。

(注3)米国では、ワシントンD.C.では長期の継続滞在ではないが、頻繁に訪問し、仕事・活動をした時期もある。さらに、仕事や調査・研究等で、世界の30か国ぐらいは訪問している。

(注4)マレーシアは、多言語社会であるが、イギリス領であったこともあり、英語が通じたので、言語的にも比較的滞在しやすかった。

(注5)当時日本人ビジネスマンが東南アジアでも活躍し、日本の商品が当地域を席巻してはいたが、ゼロではなかったが、留学先として異例であった。筆者はマラヤ大学に籍を置き、留学した。

(注6)米国ミシガン州では、ミシガン大学に籍を置いていた。

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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