【体操】プロ転向の内村航平、仲間の思いを背に「体操を広める」
ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪の体操男子個人総合で2大会連続金メダルを獲得し、リオ五輪では男子団体総合でも金メダルに輝いた内村航平が、2011年4月の入社から5年半あまりにわたって所属した株式会社コナミスポーツを11月末で退社し、日本の体操選手として初のプロ選手として活動していくことになった。11月27日に東京都品川区のコナミスポーツ本店で開催された体操教室イベントの場で正式に発表された。
体操教室では全国各地のコナミスポーツクラブから集まった約200人のチビっ子たちに前転、後転、倒立を指導。合間には子どもたちから思い思いの質問を受けて答えるなど、内村自身も楽しそうな表情を見せていた。
プロ宣言はイベントの最後。SMAPの『ありがとう』の曲が流れる中、コナミスポーツの落合昭社長から「このたび内村選手より、日本の体操界のために新たに自分の力を試してみたいという話があり、11月30日にコナミスポーツクラブを卒業することになった」と発表があった。
続いて内村が「今後は日本体操界初のプロという形で体操を広めていきながら、競技をやらせてもらう。今後は競技力を維持するのを第一としながら、体操の普及という部分でも力を入れたい。子どもたちに体操を広げていき、そこから未来の日本代表選手が生まれてくればうれしい」とスピーチ。在籍中に計3つの五輪金メダルを獲得し、世界選手権の個人総合で4度優勝を飾るなど、最高の支援態勢を整えてくれたコナミスポーツに対しては「今回のリオ五輪では4人が日本代表ということで、子どもたちのお手本になるチームだったと思う。僕もここで成長させてもらった」と感謝した。
内村の言葉を受けた落合社長は、「今後も内村選手と同じベクトルで、一緒に努力していきたい。“卒業後”も仲間のいる体育館に、いつでも戻って来てほしい。新たなチャレンジをする彼を、我々も応援していきたい」と伝えた。
体操競技部の加藤裕之監督も「(内村の)入社会見のとき、内村選手を体操史上最強の選手にすると宣言した。そういう意味では当初の目標を達成できたと思う。この6年間に内村選手が見せた体操スピリットは若手に受け継がれてきた。卒業してもチームコナミとしてこの絆は永遠に不滅だ」と述べた。
日体大時代からのチームメートである同い年の山室は「10年の付き合いなので少し寂しいが、これからも多くの人々に夢や希望を与える存在、子どもたちにとってヒーローのような存在であってほしい」とエールを送った。
ともに高校生だった2006年に初めてナショナルメンバー入りした1歳下の田中佑典は、プライベートでは内村と同じ車種の大型バイクに乗ってツーリングにも出掛ける仲。「一緒にコナミで練習し、たくさんのことを学ばせてもらった。ナショナルに一緒に入ったころは“ウッチー”と呼んでいたが、今は航平さんと呼ばせてもらうようになった。ただ、リオ五輪では童心に返ったような気持ちになった。ホンマ、ありがとう」と、彼らしい表現で先輩を送り出した。
今年入社した加藤凌平は、「航平さんと一緒に練習したくてコナミに入ったという部分もあるので、少し寂しい気持ちはあるが、これから航平さんが体操を広める新しい挑戦を心から応援する」と、ややしんみりした口調でエールを送った。加藤には個人総合で内村を追い越していくという使命がある。
山室から、チームメートの寄せ書き入りのウエアを手渡された内村は、「こんな素晴らしいプレゼントをもらえるとは思っていなかった。涙は出ないけど、すごくうれしい。五輪で金メダルを取っても泣かなかったので、多分、泣くことはないかなと思うけど、でもすごく、うれしさでいっぱい。一緒に練習してすごくいい思い出をつくらせてもらった」と感無量の様子だった。
リオ五輪で団体金メダルに輝いたときに内村が会見で語っていたように、日本では体操競技や体操選手についての認知度はまだまだ高くない。内村はプロ転向のニュースが出た後、「体操の面白さと同時に、体操の難しさも伝えたい」とも言っていた。体操の魅力をいかに伝え、未来へつなげ、広げていくか。内村の新たな挑戦は、ジャンパーの寄せ書き通り、体操仲間の思いを背に受けての道となる。