大谷翔平とベーブ・ルースをつなぐ、マックス・スタッシ捕手(エンゼルス)のファミリーヒストリー
エンゼルスの大谷翔平が8月31日のヤンキース戦で30号本塁打を放った。
大谷はすでに投手として今季11勝を挙げており、投手として2桁勝利、打者として30本塁打は大リーグ史上初めてと公式ホームページなどが伝えている。大谷は今季10勝目を8月9日のアスレチックス戦で記録しており、ベーブ・ルース以来104年ぶりとなる同一シーズンでの2桁勝利、2桁本塁打を達成していた。
大谷はメジャーリーグに移籍してからベーブ・ルースと比較され、そしてベーブ・ルース以上のことを成し遂げた唯一の存在といってもよいだろう。
ベーブ・ルースのプレーを生で観戦した人は、だんだん少なくなってきているだろうし、現在、大谷を観ている私のような中年は、生きているうちに彼のような選手に巡り合えないかもしれない。「100年に1度」出会えるかどうかのプレーヤーではないだろうか。
ところが、ベーブ・ルースと大谷の間に流れる100年をつなぐメジャーリーガーがエンゼルスにいる。捕手のマックス・スタッシだ。スタッシのファミリーヒストリーをたどっていくと、あるメジャーリーガーにたどりつく。
外野手のマイリル・ホーグという選手である。エンゼルスの球団公式ホームページには、スタッシの叔父がホーグと表記されており、記録サイトのベースボール・リファレンスには大叔父と表記されているが、実際にはもう一代さかのぼり、マックス・スタッシの父親でマイナーリーガーだったジム・スタッシの大叔父にあたるらしい。
ホーグは、1931年にヤンキースでメジャーデビューしており、ベーブ・ルースのチームメートだった。このことは、マックス・スタッシもよく知っているようである。MLBネットワークの動画で、ホーグはあるデーゲームの日に調子が出ずにベーブ・ルースと少し口論になったが、それから仲良くなったというエピソードを披露している。ホーグはヤンキースの一員としてワールドシリーズ優勝を3度経験しており、メジャーリーガーとして13年プレー。通算成績は打率2割7分1厘、28本塁打、401打点。
スタッシの先祖であるホーグが、ただ単にベーブ・ルースとチームメートだったから、大谷とつながっているというだけではない。ホーグと大谷は二刀流でもつながる。
ホーグは1945年まではメジャーリーガーだったが、第2次世界大戦が終わった直後の46年からはフロリダのマイナーリーグでプレイングマネジャーとなった。このとき、ホーグは38歳。プレイングマネジャーになっただけではなかった。本職の野手のほかに、ピッチャーとしても複数シーズンにわたって投げている。なんと三刀流だったのだ。
1946年には打者として500打席以上に立ち、打率3割4分2厘、8本塁打、96打点で元メジャーリーガーの貫禄を見せる一方で、投手としても19試合に登板し、87イニングを投げて、防御率は3.62。
翌年の47年には打率は3割5分を記録し、投手としてもパワーアップ。32試合、173イニングを投げ、防御率は1.82。40歳だった1948年にも3割以上の打率を残しながら、投手としても34試合に登板して完投22試合、24勝4敗で防御率1.32と圧倒的な結果を出した。43歳までプレイングマネジャーを続けた。
ホーグがマイナーリーグで三刀流をしていたことを、私は2020年のアメリカ野球学会SABRのジャーナルによって知った。著者のヘルム・クラッベンホフトさんは大谷の二刀流に刺激を受けて、1946年から1960年までにマイナーで二刀流をしていた選手たちを丹念に掘り起こした。この期間にプレイングマネジャーで、なおかつ二刀流というカテゴリーに11人の名前があり、ここでホーグの名前と出会った。
クラッベンホルトさんによると、少なくない選手たちがマイナーでは二刀流をし、さらにホーグのような三刀流の人までいる。しかし、最高峰のメジャーリーグとなると話は別で、大谷のすごさが際立っているといえるだろう。ベーブ・ルースとチームメートで、マイナーでは三刀流だったホーグも、メジャーで二刀流として結果を出すことの難しさを実感していたのではないだろうか。
だからこそ、草葉の陰から、いや、映画のフィールド・オブ・ドリームスのようにトウモロコシ畑の陰から、後裔のスタッシと、大谷を見守っているような気がする。