あのテレビ番組でも辿った?路線バス“徒歩・県境乗り継ぎ“ルート をゆく!(福島→栃木・群馬→新潟編)
☆県境・自治体境、なぜバスがない?
路線バスで目的地を目指すテレビ番組で、県境を越えるシーンは大きな見せ所となっている。越境を目前にしてバスはあえなく終点となり、乗り継ぎ先は峠の向こう・・・となると、あの二人組+マドンナでなくとも愚痴だらけの道中になるだろう。
これからたどっていく2つの行程は、テレビ東京系「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」で登場したことがある“路線バス徒歩乗り継ぎ・県境越え“ルートだ。県境や自治体境でバス路線が途切れている理由としては乗客の減少だけでなく、「片側の自治体が補助を打ち切った」「同県側の道路状況の改善で、距離が近い隣県の町に移動する必要がなくなった」「バイパス経由のバスや鉄道に需要が移行した」など、様々な事情を持つ。
短くて2・3Kmから長くて十数Kmの徒歩は、番組に出演される方であれば、次の乗り継ぎへのプレッシャーでそれどころではないかもしれない。しかしそんな制約がない方なら、この土地やバス路線の歴史・背景を感じつつ、ちょっとしたトレッキング気分で県境の向こうのバス停を目指していくのもいいだろう。
(注:実際には筆者がテレビ放送と関係なく徒歩移動したため、テレビ放送時と逆側に移動している場合もあります。またこれらのルートは、隣の県に手早に移動する手段としては実用性・必要性が一切ないことをご了承ください)
☆徒歩乗り継ぎプラン① ゆっくりと歴史探索トレッキングコース
福島交通・新白河駅〜白河の関→那須町民バス・追分線
(徒歩区間:白河の関バス停〜追分バス停 2.6Km)
まずは、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」第16弾・郡山〜会津若松(2014年1月4日放送)の4日目で登場した区間から。なお第5弾・郡山〜会津若松(2009年9月5日放送)でも、宿泊先の送迎でこの峠を越えている。
福島県・栃木県の県境を越える徒歩ルートの見どころは、なんといっても福島県側にある鎌倉時代の史跡「白河の関」だ。福島県側のJR東北本線・白河駅や東北新幹線・新白河駅から福島交通のバス路線「新白河・白河の関線」で到達できる。
都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関
…能因法師
卯の花をかざしに関の晴着かな
…曾良
数々の歌人・要人たちの歌にもあるように、奈良時代から平安時代にかけて、ここに関所(白河の関)があった。この場所は当時の陸奥(みちのく)国の入り口でもあり、律令制による中央への集権を進めていた朝廷にとって、陸奥・蝦夷に睨みを利かせるための重要な拠点だったのだろう。しかし、その律令制が綻びを見せ始めた頃に忽然と歴史から姿を消し、江戸時代末期に白河藩第3代藩主・松平定信がその遺構を見つけるまで、その場所判然としなかったという。
路線バスは、白河の関バス停からひとつ先の「関の森公園」バス停で終点となり、数分待ちで折り返す。ここから関所跡の方に歩くと、遺構とされる巨大な土塁によってすぐにアップダウンを余儀なくされ、また近くには1300年の歴史を持つ白河神社も鎮座する。この遺構が数百年にわたって見つからなかったことが、ちょっと不思議だ。
さて、「白河の関」を出て、路線バスが越えることのない峠越えの徒歩ルートに入ろう。人で溢れていたバス停・観光施設から先は人家の気配がぷっつりと途絶え、勾配を上がるごとに両側の山が迫ってくる。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では4日目(最終日)ということもあって緊迫した雰囲気だったが、普通にトレッキングで越えるだけなら、道中としてはかなり快適な部類に入るだろう。はるか向こうに見える峠道の切り通しから風が抜けてくる上に、通過する車もあまり見かけない。
なお、白河の関を擁していたこのルートは、国越え・県越えのメインの役割を卒業している。前述の通り関所も早くに消滅、南北に移動する車や路線バスも5kmほど西側を走る国道294号線(旧奥州街道)などを使うため、この山道を越える必要はまったくないのだ。なお国道を経由していた黒磯駅〜白河駅などの県境越えバス路線も、現在では全系統が廃止となっている。
とはいえ、この徒歩ルートは“県境を越える“感がとても強い。峠に差し掛かる手前で道路は一気に高度を上げるため、目の前にあらわれた急勾配を越えなければいけないのだ。県境の看板の真横にあり、国の境目としての威厳を放つかのような立派なお社を横目に見つつ、いよいよ「那須国」(栃木県)へ!
峠を越えてすぐ、鄙びた日用品店が坂の下に見えたら、そこはもう栃木県那須町・追分集落だ。目の前に停まった小型バスに乗り込めば、1時間ほど山道に揺られて黒磯駅に到達できる。
短距離ながらちょっとした急坂もあり、「白河の関観光」というオプションもついたこの徒歩コースは、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の徒歩乗り継ぎではかなり楽な部類に入るので是非ともおすすめしたい。ただし2路線とも極めて本数が少ないため、時間が合わなければ、第16弾で描いたルートのように、ジェイアールバス白棚線・古関バス停までさらに歩くという手もある。
なお福島県側から茨城県への路線バス乗り継ぎなら、福島県矢祭町から茨城県常陸太田市へ、棚倉街道を越えるルートが有名だ。もともと茨城交通のバスが福島県・東館まで乗り入れるかたちで繋がっていたこともあり、県境の明神峠を越える1区間が2005(平成17)年に廃止、福島県側が福島交通に移管されたものの、路線が途切れた区間(福島交通・大めかりバス停〜茨城交通・里川入口バス停)の徒歩距離はたった900m。峠も低いので、徒歩10分強で到着できる。
☆徒歩乗り継ぎプラン②実際にはまず難しい”冬の上越国境越え”
みなかみ町営バス・法師線→南越後観光バス・苗場線
(徒歩区間:吹路バス停〜西部クリスタル前バス停 11.7Km)
さて、もう一つお勧めする乗り継ぎコースは、実際の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」第13弾・東京〜新潟(2013年1月5日放送)の3日目 でも宿泊施設の方(マドンナ・田中律子さんのお友達)の送迎で一気に越えているため、無理に歩いて踏破する必要はないだろう。なお筆者も、腰痛であっさりダウンしたため、踏破を断念したことを申し添えておく。
この徒歩ルートで越えるのは国道17号(三国街道)の県境に立ちはだかる「三国峠」だ。群馬県側のみなかみ町営バス・吹路バス停(永井宿バス停でも良い)から新潟県側の南越後交通バス・西武クリスタル前バス停へ、路線バスを乗り継ぐための距離は11・7km、高低差300mをクリアする必要がある。この区間を徒歩で越えるのは、もはやトレッキングというより登山に近い。
群馬県側のバス路線は以外と繋がりが良く、前橋市から渋川市・沼田市・みなかみ町と、以外とスムーズに移動することができる。途中の立ち寄り地点である後閑駅は狭いバスロータリーで方向を変えるために転車台が準備されているなど、少ない平地をやりくりしている様子がちらほらと窺える。遠くから眺める分には「雄大だなぁ」と見惚れていた山々は近づくにつれて見るからに険しさを増し、この先に待っている徒歩での山越え・県境越えに、無言で再考を促しているかのようだ。
沼田・後閑から猿ヶ京を抜けて越後の国境へ向かう三国街道は、江戸時代には越後の諸大名の参勤交代にも使われていた。「猿ヶ京」という地名も、戦国時代にこの街道を進軍した武将・上杉謙信によって付けられたといわれている。歴史ある街道はカーブを描きながらゆるやかな勾配を登り、沼田市内か50分ほどで終点・猿ヶ京バス停に到着する。
400年以上の歴史を持つこの温泉街は、ほとんどの地域が1959(昭和34)年に完成した相俣ダムに沈んだこともあり、かなり高台にある温泉旅館も多い。どうりで、バス車庫前でタクシーが「どこ行くの?これ乗ったほうが楽だよ?」と言わんばかりに待ち構えている訳だ。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では、ここから秘湯・法師温泉へ向かう町営バスに乗り継ぎ、「永井宿」バス停で下車して、新潟県側の宿泊先を探していた。なお、バスの終点・法師まで行けば、目の前には法師温泉でただ1軒の旅館・長寿館がある。1895(明治28)年に建築された鹿鳴館様式の建物で知られ、過去には歌人・与謝野晶子、作家・川端康成も逗留し、俳優・阿部寛さん・上戸彩さんなども映画「テルマエ・ロマエ」撮影で訪れている。なお日帰り入浴は3時間のみ(11時〜14時)、受付けていない日もあるため、峠を越えるならここで投宿して、一晩ゆったりと過ごしてからでも良いだろう。
猿ヶ京から三国峠に駆け登るルートは険しく、とても路線バスがあったように思えない・・・のだが、実は存在した。しかも、峠の向こうに広がる一大スノーリゾートへ向かう、昭和30年代の“ヤング“が集うルートだったという。
この峠に「三国トンネル」が開通したのは1959(昭和34)年、新潟県側に「苗場国際スキー場」が開業したのは1961(昭和36)年のこと。まず群馬県側から東武バスが猿ヶ京〜三国山頂までバスを開業させ、新潟県側の道路改修を待って新潟県側の越後交通(当時)と調整を行い、後閑駅〜猿ヶ京〜苗場間のバス路線が誕生した。
間もなく日本中に空前のスキーブームが到来し、各地のスキー場に向かう臨時列車やバス路線も次々と開設される。このエリアは新潟県とはいえ首都圏に近いこともあり、拡張を繰り返していた苗場スキー場へ向かうバスは、後閑駅からの路線バスだけでなく都内から直通する急行バスも運行されていたという。トンネル完成の数年前までは分け入るのも精一杯だった秘境が、一躍路線バス天国となったのだ。
しかし、昭和末期に相次いで開業した上越新幹線や関越自動車道はみごとに三国峠を避け、首都圏からは新幹線で越後湯沢駅まで行くか、高速道路経由で乗り入れるスキーバスの方が圧倒的に便利になった。そして1990年に開業した新幹線駅直結のスキー場「ガーラ湯沢」の人気もあり、「オシャレなスキー場といえば苗場」という構図自体にも変化が生じた。
沼田駅・後閑駅〜苗場間のバスは、バブル期まで冬季運行の路線として生き残っていたが、そもそも渋谷や六本木にもクルマで繰り出す当時の“ヤンエグ“達が、スキー場に行くのに峠越えの路線バスを使うわけがない。こうして三国峠を越える路線バスは、1995年には消滅してしまった。
ちなみにこの三国峠をどうしてもバスで越えたい場合は、冬季限定の高速バス「苗場ホワイトスノーシャトル」を使うと良い。コロナ禍の中で運行体制に変更はあったものの、2021−2022シーズンは週末を中心に3月まで運行されている。
なお東武バスが苗場から撤退したのちも、新潟県側の区間の大半は南越後観光バス(越後交通から路線網を継承)が受け持ち、現在も上越線・越後湯沢駅〜苗場スキー場前~西武クリスタル前間の路線を運行している。かつての東武バスの終点・苗場スキー場や「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で一行が投宿した貝掛温泉などを経由するこのバスは、週末には1日12往復(2021年12月現在)と、周辺の路線バスの中では運転本数が多い。
かつては「馬で登れない」と言われた険しい峠も、2022年春に控えた「新三国峠トンネル」の開通で、かなり改善されるだろう。なお徒歩でバスを乗り継ぐのであれば、テレビ番組やこの記事とは逆方向で、新潟県側から下り坂を降りた方が良いだろう。もちろん冬場は避けたほうが良い。
☆「陣取り合戦」でも県境越えが!どんなドラマが生まれるのか?
徒歩区間でいえば、この他にも、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」第12弾(2020年1月4日放送)の初日に登場した福鉄バス・かれい崎バス停→福鉄バス・糠長島バス停間の4・6kmが比較的歩きやすい。ただ、糠長島に到着したバスがたまにかれい崎まで回送される場合があるのは少々悔しい。どうせ走っているなら乗せてよ!と言いたくもなるが、歩けど歩けど、本当に何もない。越前町と南越前町の町境を越えるこの区間、やはり徒歩しかなさそうだ。
また祐徳バス・長崎県営バス「県界」バス停のように、放送後にバス路線が廃止され、乗り継ぎが難しくなっている箇所もある。(2019年に祐徳バス・竹崎入口〜県界間がコミュニティバス転換)状況は刻々と変化しているので、機会があればまとめてお伝えしたい。
乗り継げるルートも徐々に少なく、徒歩移動の距離も増えていく中でも、路線バスを取り扱う番組はいまも健在だ。その中でも、2021年12月29日には、テレビ東京系で「水バラ ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦6」が放送され、“元祖”側にご出演の太川陽介さんと「Z」ご出演の羽田圭介さんが、いよいよ直接対決を行う。
今回の「陣取り合戦」のルートは三重県伊勢市〜奈良県・東大寺ということもあり、どのタイミング、どのルートで奈良県に入るかが重要なカギとなってくる。同時に今回の場合は、三重県内でかなり途切れているバス路線の乗り継ぎも、かなりの難問だ。三重県〜奈良県に繋がる路線バスのルートは・・・
※以下、ネタバレ要素があります。ご了承ください。
・JR亀山駅〜JR加太駅~亀山市コミュニティバス・中在家車庫~伊賀市コミュニティバス・一ツ家バス停(うまく乗り継げば徒歩4Km。ただし接続が・・・・)
・JR津駅〜三重交通15・16系統線・榊原車庫〜津市コミュニティバス伊勢奥津駅前〜近鉄名張駅
(第11弾にも登場、その後数年で大きな路線改編。乗り継げるが本数極小)
・JR津駅〜三重交通91系統・平木バス停〜三重交通12系統・汁付バス停
(三重県津市〜伊賀市への峠越え、ここから奈良方面に繋がる。徒歩5Km)
・JR松阪駅〜三重交通・スメール方面〜飯高・森コミュニティバス〜東吉野村コミュニティバス(徒歩9Km弱)
・JR松阪駅〜三重交通「熊野古道ライン」JR熊野駅〜熊野市バス・桃崎バス停~R169ゆうゆうバス・下桑原(徒歩10Km以上、遠回りなので可能性は薄い)
今回は県境以前に、三重県側の自治体間移動の困難さも、かなりの焦点となってくる。県境近くの上野市・名張に到着すれば、そこから奈良県に向かう選択肢は月ヶ瀬、曽爾、山添など経由地の選択肢はさまざま。その中で2つのチームは、どのように陣取りを繰り広げつつ、県境越えルートを描くのか。そして太川さん、羽田さんのこれまでの経験は生かされるのか。
なお「水バラ」では、2022年1月3日には「ローカル路線バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 10」が放送される。さらに、未確定ではあるものの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の皆様がバスで移動されている、という直近の目撃情報もあったようだ。
バスの乗り継ぎからどのようなドラマが生まれるか、心して見守りたいと思います。
〈了〉