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殺されたのは婚約者、容疑者は娘。裁判の行方も父親の思いも想像を遥かに超える極上サスペンス『沈黙、愛』

杉谷伸子映画ライター

深い余韻を残すミステリーの底流には、必ずといっていいほど愛があるもの。『沈黙、愛』(英題:Heart Blackened)は、まさにそんな傑作のひとつです。(ハングルが表示できないので記載していませんが、原題の意味は「沈黙」)

グループ企業を率いる実業家で、政界にも太いパイプを持つことをうかがわせるイム・テサン(チェ・ミンシク)。一人娘ミラ(イ・スギョン)との関係はギクシャクしているものの、婚約者である有名歌手ユナ(イ・ハニ)との愛に安らぎを見出していた彼の日常が、突如崩壊します。ユナが無残に命を落とし、ミラが殺人の容疑者として逮捕されたのです。

事件現場はユナのマンションの地下駐車場。ことの次第を捉えているはずの防犯カメラ映像は、時を同じくして駐車場で発生した原因不明の火災によって確認できない状況に。さらに、事件の翌朝、酩酊状態で発見されたミラは何も覚えていないというばかり。

ミラは本当に何も覚えていないのか。状況は圧倒的にミラに不利だが…。
ミラは本当に何も覚えていないのか。状況は圧倒的にミラに不利だが…。

2人の間にいったい何が起きたのか。本当にミラがユナを殺したのか。

真相がわからないまま、イムは娘の無罪を勝ち取るためにあらゆる手を尽くします。接見を拒否するミラのために、彼女が心を許す存在であり、かつて家庭教師をつとめたことのある無名の若手弁護士チェ・へジョン(パク・シネ)を雇う一方、権力を駆使して、担当検事に圧力をかけることも抜かりありません。しかし、世の中には金や権力では動かない人間もいる。

そんななか、ユナの熱狂的なファンである監視カメラ設置業者キム・ドンミョン(リュ・ジュンヨル)が、事件の鍵を握る存在として浮上するのですが…。

無名の若手弁護士チェ・ヘジュンが雇われたのには、理由があった。
無名の若手弁護士チェ・ヘジュンが雇われたのには、理由があった。

関係者の証言や法廷に提出される証拠によって二転三転する状況に息を詰めさせる、まさに極上のサスペンス。

けれども、これはたんに事件の真相を解き明かすだけの法廷サスペンスではありません。もちろん、事件の真相も気になりますが、この作品の最大の魅力は、悲劇的な状況に置かれたイムの父親としての生き方にこそあります。そこにあるのは、たとえ、年の離れた人気歌手と結婚する自分を忌み嫌っていようが、娘のためになら、どんなことも厭わない父親という存在の真実。

愛する人を奪われ、娘が逮捕される非常事態にあっても、事件を利用して資産を増やすことも躊躇わない冷徹なブローカーの顔もさらりと織り込まれていることが、なおのこと、イムの父親としての顔を陰影あるものにしています。

イムの熱狂的なファンであるキム・ドンミョンは、事件の真相を知っているのか?
イムの熱狂的なファンであるキム・ドンミョンは、事件の真相を知っているのか?

ユナのストーカー的なファンであるキム・ドンミョンに見せる嫌悪と諦念。命を絶たれたユナへのせつなすぎる想いなど、イムの感情の機微のかずかずを表情だけで伝えてくれるチェ・ミンシクは、さすがの名演。キム・ドンミョンのユナへの執着に危険な匂いを感じさせるリュ・ジュンヨルら、脇を固める個性的な風貌の男優陣も、ドラマにさらなる緊張感を与えます。

監督は、自身の長編デビュー作『ハッピーエンド』以来、チェ・ミンシクと18年ぶりのタッグを組んだチョン・ジウ。

富も権力も手にした実業家。殺される婚約者は有名歌手。そのドラマティックさに惹かれるとはいえ、一歩間違えばチープになりかねない設定を、シーンの行間を観客に読み取らせる映画的な描写と緻密な構成で魅せるサスペンスに仕上げ、重厚な人間ドラマとして興奮させる手腕には惚れぼれするばかり。

裁判の行方もこちらの想像を超えていれば、父親の娘への思いもこちらの想像をはるかに上回る傑作。とてつもない衝撃の向こうに、静かな感動が待っています。

(c) 2017 CJ E&M CORPORATION, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED

配給:ツイン

『沈黙、愛』

シネマート新宿・心斎橋ほかにて公開中。全国順次公開。

映画ライター

映画レビューやコラム、インタビューを中心に、『anan』『SCREEN』はじめ、女性誌・情報誌に執筆。インタビュー対象は、ふなっしーからマーティン・スコセッシまで多岐にわたる。日本映画ペンクラブ会員。

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