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不倫は恐ろしい!北条政子が夫・源頼朝の愛人「亀」を襲撃した事件の顛末

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
北条政子。(提供:アフロ)

 最近、芸能人の不倫が報道されたが、誠に残念である。今回は、北条政子が夫・源頼朝の愛人「亀」を襲撃した事件の顛末をたどることにしよう。

 昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、小池栄子さんが演じる北条政子と江口のりこさんが演じる亀(以下「亀の前」)の激しいバトルが注目された。政子は亀の前が源頼朝の愛人だったことを知ったので、激昂して屋敷を襲撃したのだ。

 亀の前は良橋太郎入道なる男の娘であるといわれているが、生没年は不詳である。亀の前は『吾妻鏡』にも登場するのだから、実在した人物と考えて差し支えないだろう。

 亀の前は、永暦元年(1160)に源頼朝が伊豆に流された頃から関係があったという。亀の前は美人であり、非常に穏やかな性格だったといわれているので、頼朝が夢中になるのに時間は掛からなかった。

 しかし、流人だった頼朝が女性と関係を持つことができたのかという疑問が残る。当時、流人はある程度の自由があり、獄舎に繋がれることがなかった(監視下にはあった)。それゆえ頼朝は亀の前と関係を持つなどし、流人生活をそれなりに楽しんでいたのだ。

 寿永元年(1182)、政子は比企谷に移り、頼家の出産準備に入った。同じ頃、頼朝は亀の前を鎌倉に呼び寄せ、小中太光家の屋敷に住まわせた。不倫である。その後、亀の前は頼朝との関係を続けるべく、飯島(神奈川県逗子市)の伏見広綱の屋敷に移った。

 出産後の政子は、2人の関係を知って逆上し、牧宗親に広綱の屋敷を破壊するよう命令した。宗親の襲撃により、亀の前が広綱の屋敷から逃げ出すと、這う這うの体で鐙摺(神奈川県葉山町)の大多和義久の屋敷に身を寄せた。

 頼朝は宗親が亀の前を襲撃した事実を知って激昂し、宗親の髻を切り取った。これは武士にとって最大の辱めである。宗親は土下座して許しを請うたが、決して頼朝は許さなかったという。

 その後、亀の前は再び光家の屋敷に移ると、頼朝との関係を続けた。一方、広綱は政子の怒りが解けず、理不尽なことに遠江国に流罪となったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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