“パリプラージュ”で新型コロナ無料スピード検診実施中
「Paris Plage(パリプラージュ)」というのをご存知だろうか?
「プラージュ」は仏語で「浜辺、海岸、海水浴場」という意味。つまり「パリ海岸」というネーミングのイベントで、夏の間セーヌ川の岸辺やヴィレット地区の運河沿いが水辺のリゾートになるというもの。パリ市の主催で2002年から毎年行われている。
たくさんの寝椅子やテントが設けられているので、そこで思い思いに日光浴をするもよし、特設プールで泳いだり、様々なアトラクションに参加することもできる。ドリンクやアイスクリーム、軽食のスタンドも登場するし、ピクニックを楽しむ人たちもいる。つまり、パリに居ながらにしてヴァカンス気分を味わうにはうってつけというわけだ。
新型コロナ禍にある今年は、感染防止の理由から見合わされたアクティビティもあるが、水辺にはいつも通りカラフルな椅子が並び、ブルーの幟がはためいている。
パリ在住年数が二桁になって久しい筆者にとって、近年は特段行ってみたい場所ではなくなっていたのだが、今年はちょっと違った。
というのも、「パリプラージュ」の企画の一環としてPCR検査が行われているというのだ。
インターネットで「パリプラージュ」の地図を検索すると、たしかに「COVID-19検診」というコーナーがある。
これは体験してみなくては、と、セーヌ川にかかるマリー橋のたもとを目指した。
地図では検診コーナーの時間は14時から18時となっていたので、14時過ぎくらいに到着するように向かった。
最高気温が35度を超える日が続いているさなか、この時間に炎天下を歩くのは本意ではない。だが、酷暑がいわば味方したのと、たくさんのパリっ子がヴァカンス先に出払った8月半ばということが手伝ったせいだろう、並んでいる人は数えるほどだったので、私も列に並ぶことにした。
ちなみに、「パリプラージュ」が始まった頃のネット記事などでは、数時間前から待っていたり、その日の定員がいっぱいになってしまったために受けられなかった人もいたという。
受付のお兄さんから、A4版の問診票2枚と無地のシール3枚、そして予定時刻を書いたメモが配られる。
問診票の記載項目はざっと次のような内容だ。
氏名、性別、生年月日、住所、電話番号、メールアドレス、保険番号、結果を伝えたい医師がいればその名前、集合住宅に住んでいるかどうか、新型コロナ感染症らしき症状があるかどうか、あるとしたらいつ頃からか、新型コロナ患者と接触があったかどうか、あるとすればいつか、PCR検査を希望するか否か…。
問診票2枚は同じもので、2枚共に記入してサインをする。
そもそも、この問診票を受け取るときに、自分が何者であるか、IDカードや保険証を示したりする必要は一切ない。つまり保険のない人、旅行者、外国人でも等しく受けられるというものなのだ。
順番を待つ間に問診票を埋めてゆくのだが、用意のいい人はマイボールペン持参で来ている。ふらりと軽装で出て来てしまった私はあいにくボールペンがない。失策である。そんな人のためにパリ市のマーク入りのボールペンが用意されているのだが、本来ならば人の手に触れていない筆記用具を使うのが賢明だろう。
また、立ったまま紙に記入するのは不便だからと、受付にはバインダーも用意されているようなのだが、やはり用心の気分があるせいだろう、それを使う人の数は少なく、私も四苦八苦しながらバインダーなしで済ませた。
記入している時間も入れて、待ち時間はおそらく10〜15分ほどだったろう。順番がまわってきて、抗体検査のコーナーへ。2人の担当者のうち、腕のタトゥーが勇ましい若い男性の前に誘導された。
男性は使い捨てのゴム手袋をあらたに両手にはめて、私の左手を取った。指先に針を刺し、そこから出る血液を採取するらしい。
汗をかいていた手にそのまま針を刺されてはたまらない、と思い、とっさに「消毒しなくては」と言うと、「大丈夫。そういうことは私がやりますから」
「写真を撮ってもいい?」と問えば、「写真を撮るか、テストを受けるかどちらかにしてください」ときっぱり。
すごすごとカメラを引っ込めた。
男性は私の左手の中指をさっとガーゼで拭き取り、血のめぐりをよくするためだろう、少し揉んでから専用のキットでパチンと一瞬で針を刺した。
昔から注射が大嫌いだった私は、残念なことに問題の箇所のその瞬間を直視することができない。
男性は血液をしごき取り、テストキットに入れているようだったが、私はそれすらも観察せずに席を立ち、渡された小さなガーゼで指先の1ミリほどの赤い点をしっかりと押さえた。
次はPCR検査。
鼻の穴に長い綿棒のようなものを入れるシーンはテレビで何度も見ていたから、心の準備はできている。
グリーンの防護服に身を包んだ女性の前に座る。すると「あなたは日本人ね。“オゲンキデスカ”」と、メガネの奥の瞳が笑っている。
(問診票に国籍を書くところがあったっけ?)と、一瞬疑問がよぎったが、なんのことはない。私の苗字「SUZUKI」で、彼女はすぐに察したのだった。
待っている間は、先にテストを受けている人の様子がいやでも気になる。
綿棒をはずされた途端に「グフッ」という声にならない音とともに(参った!)というような格好になる男性がいたり、涙目になったまましばらく立ち上がらない女性がいたり。なるほどあまり気分のいい検査ではないことが伝わってきていた。
だからこそ、なのだろう。私の担当になった女性は、カタコトでも日本語で話しかけて、こちらをリラックスさせようとしてくれているのだと思える。
果たして、長い綿棒が鼻の奥の奥まで入っていく感触は、痛みはないがかなり特殊だ。婦人科検診…。そこまでオオゴトではないものの、思わず過去のそれを連想してしまう違和感がある。
「ああ、いいですね。そうそういい感じ」
と、両方の鼻の穴の措置が終わるまでの間、女性は上手にこちらの機嫌をとってくれた。
そしてほんの短い間だったが少し質問をしてみると、彼女は看護婦さんで、PCR検査は感染拡大が盛んな時期から今まで病院や様々な施設で実践してきたこと、「パリプラージュ」での働きはボランティアなどではなく「ちょっと」の報酬が支払われているらしいことがわかった。
さて、コーナーの出口で待つこと2、3分ほどだっただろうか。名前を呼ばれて、抗体検査の結果をもらう。
陰性、陽性(IgM, IgG, IgM+IgG が検知されたかどうか)のいずれかにチェックが入ったA4版の紙が渡された。
紙には、先に自分で氏名、生年月日、検査場所を記入したシールの1枚が貼られ、そこに検査時刻と結果判定時刻が書き加えられている。
ちなみに私は陰性だった。
「PCRの結果は?」と、紙をくれた係の女性に訊けば、「明日以降1週間以内に連絡がいきます」との答えがかえってきた。
ところで、スピード抗体検査キットは市内の薬局でも入手できる手軽さはあるものの、信頼性は今ひとつという声もある。
今回の結果用紙にも、陰性の場合は「おそらくウイルスとの接触がなかった」、陽性(IgM)の場合は「おそらく病気が進行中。さらに徹底的な検査が求められる」というように、決定的な診断とは言えないのだという意味合いの文章があり、陰性であっても、用心を続けることが求められている。
一方、PCR検査について言えば、パリには受診できるラボラトリーが複数あり、インターネットで調べることも簡単だ。だが、すぐには予約が取れないし、症状が出てから医師の処方箋を持ってというケースが多いだろう。
今回の「パリプラージュ」での検診は、幸いにしてほとんど待つことなく体験できたせいもあるが、ごくリラックスした日常の風景の中で無料でスムーズに済ませられるのが、なんとも快適でありがたかった。
思うに、たとえ症状は出ていなくても、感染の不安を多くの人が抱えている。私もその一人だ。
発症してたいへんな事態になってしまうのはもちろん怖いが、もしかしたらそれ以上に心配なのは、知らないうちに近しい人にうつしてしまうかもしれないということ。漠然とした不安のために行動も思考もついつい後ろ向きになってしまっている気がする。
そんな日常だからこそ、大仰に構えず、深刻になりすぎず、体験として気軽にトライしてみるというくらいの気分で受けられる「パリプラージュ」の新型コロナ検診は画期的。まさに「コロナと生きる」時代ならではの、粋な企画といえるのではないかと思った。
今年の「パリプラージュ」は8月30日まで開催されている。