誰もが「右へ倣え」な時代に響く、ロックに生きることの潔さ
今回は80年代のアイルランドを舞台に、バンドを結成した高校生たちの青春を描く『シング・ストリート』をご紹介します。
バンドものというと、結成して対立して空中分解、っていうパターンが多いですが、これはまた全然違うタイプ。しょっぱなからデュラン・デュランとか出てきて、同世代の人は「ジョンが!ニックが!!」と大興奮すると思いますが、そんなん知らなくても全然楽しめる青春ものです。『Onceダブリンの街角で』とか、キーラ・ナイトレーとマーク・ラファロが共演した『はじまりのうた』など、音楽映画の秀作を次々撮っているジョン・カーニー監督の最新作ですが、ご存知かな~。ご存じじゃなくても、行かせていただきますけども。
まずは物語。
舞台は80年代、大不況にあるアイルランドのダブリン。父親の失業を機に学費の安い(そしてガラの悪い(^^;))公立高校へ転校したコナーは、初日から学校一の不良とド保守の校長の両方に目をつけられ前途多難です。でもいいこともあるんですねー。それは学校の前のアパートに住む年上の自称モデル、ラフィーナの存在です。
彼女に一目惚れしたコナーは「誰とも口を利かないお高い女」と言われている彼女に話しかけ、「僕のバンドのビデオに出ない?」と誘います。もちろんそんなの口から出まかせで、そこから、学校のはみ出し者みたいな連中を寄せ集めたバンドづくりが始まります。
映画の大きな見どころは、生き生きと描かれる懐かしの80年代です。
私もその当時に十代を過ごした一人ですが、こういう半ば不純な動機でバンドを組んでた高校生は当時は山のようにいて、みんなそれぞれに好きなバンドのファッションや髪型を真似て曲をコピーして、友達を呼んでライブしたりしてたんですね。
コナーはまさにそういう少年なのですが、父親は失業中だしお金なんてあるわけがなく、でもその中でどうにかこうにかやっていくバンド活動が、ダサさと一生懸命さと、それゆえの輝きに満ちていて、すごーくいい。
ラフィーナを誘ったビデオ撮影なんて、それぞれに持ち寄った変な服を衣装らしく着るんだけど、サイズは合ってないわ、テイストもバラバラだわ、化粧は下手だわで、もうダサさの極致だし、彼らがとるビデオの映像の質感とか、これどっかで見たことある!っていう演出とか、「懐かし~!!!」と大興奮しながら笑っちゃうくらいの80年代ぎっしりぶりです。
さてきっかけはどうあれ、やがてコナーは音楽の世界そのものにハマっていくわけですが、それを導くメンターが、コナーの兄でロックオタクのブレンダンです。この高校生の青春映画がなんでこんなに大人の心に響くか、その理由はこの人なしでは語れません。ブレンダンはコナーより6歳年上の長男なのですが、離婚が法的に禁じられたアイルランドで、完全に愛情を失った貧しい父母のもと、あらゆることを諦めてきたお兄ちゃんです。
そうした鬱屈の中で生きている彼が、まるで白いキャンバスのようなコナーにそのロック魂を注入してゆくのですが、これがもういちいち傑作です。部屋の壁いっぱいに並ぶLPのアルバム(!)から、その時のコナーのお悩み別に「これを聴け!」と適切な1枚を取り出して聞かせ、コナーがその悩みから脱する際に作った曲が、いちいちその影響丸出し(ファッションも変わりますし)なのもすごくウケる。「フィル・コリンズを聞く男に女は惚れない」など思わず納得の名言も山盛りです。
こうした音楽を通じて変貌してゆくコナーが、カトリックのド保守な田舎町でだんだん特異な存在になってゆくことは想像に難くありません。髪を染めメイクをして学校に現れたコナーに「オカマ野郎」と絡んでくる同級生、呼び出して折檻する校長先生などに、でもコナーは一歩も引きません。
私は音楽は詳しくはありませんが、そもそも「ロック」の概念には「既存の価値観へのプロテスト」、カウンターカルチャー(対抗文化)といった部分が色濃く、だからこそ古い時代に挑む若者を熱狂させ、時に自由を得るための政治的原動力や象徴になっていくものなのかなと理解しています。
すこし前に「フジロックフェスティバルに政治を持ち込むのか?」みたいなことが話題になっていましたが、あれはほんとナンセンスで、例えば1969年の伝説のロックフェス、ウッドストックなんかも「ベトナム戦争反対」の思想が色濃かったりするし、イギリス60年代の海賊放送局を描いた『パイレーツ・ロック』なんかを見ると、若者が楽しんでいるだけのロックを政治が危険視する、が先だったりもします。
コナーの兄ブレンダンが「ロックをやるなら笑われる覚悟が必要」というのはまさにそれで、誰もが常識に疑問を持たずに「右へ倣え」で生きる社会の中、「ヘンテコな人」「オカマ」「ダサい」と笑われながらも自分の生き方を貫くのがロック――とするならば、コナーはどんどんロックな人になっていくわけです。
ここに絡んで泣かせるのがやっぱりブレンダンで、保守的な世界の「長男」という役割から、結局のところ抜け出すことのできなかったブレンダンは、そうした「末っ子」コナーの自由と無邪気を嬉しく見守りながら、その反面で嫉妬してもいて、それが噴出する場面が本当に切ない。
生まれた時から兄姉が作った道があるのが当たり前の「末っ子」は、兄姉がどこでコケたか、どんなふうにすれば大けがしなくて済むかも知っていて、さらにその経験の裏に、道のない荒れ野を一人で傷だらけ泥だらけになりながら歩いてきた彼らの経験があることにも、どこか無頓着なんですね。
でも最後には、やっぱり兄は、そんな弟を全面的にバックアップするんです。
この作品、音楽もの、っていう以上に、兄弟もので、ラストシーンなんて兄弟姉妹のいる人であれば間違いなく泣けてしまうと思うのですが、上手いなーと思うのは、30代40代の大人である観客の私たちもまた、いつしかこのお兄ちゃんの視線でコナーを見始めることです。
状況が許さない、臆病になってしまった、身の程を知ってしまった--そんな観客たちはブレンダンと一体化し、文字通り荒波だらけに違いない未来に、それでも全然恐れず進むコナーに、胸がぐっとくるに違いありません。
ぜひぜひお楽しみくださいませ!
『シング・ストリート』
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