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【パラ閉幕】「今、芸能界は変わらなくていいんですか?」 東ちづるが投げかけること

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
(写真:つのだよしお/アフロ)

芸能界の内側から問いたい

 東京パラリンピック開会式は障害の有無に関係なく、多彩なパフォーマーが集う一大祭典となった。あの式典を見て、初めて知った彼らを「もっと見たい」と思った人は少なくないはずだ。もし、芸能界が変われば「多様性」は広がるーー。そんな思いを持って活動を続けてきた”芸能人”がいる。東ちづるだ。

 彼女は東京オリンピック・パラリンピックの大会公式文化プログラム「東京2020NIPPONフェスティバル」の文化パート「MAZEKOZEアイランドツアー」の総合演出・構成・総指揮、さらにキャスティングまで手掛けた。そこには開会式に集ったパフォーマーも数多く参加している。

依頼は突然に

 2020年11月の東京、いつもと変わらない一日に依頼は突然やってきた。彼女は依頼を受けるか否か、1カ月以上悩むことになる。先方の依頼は本気だった。芸能界で長く活動してきた彼女には、もう一つの顔がある。

 一般社団法人「Get in touch」を2012年に立ち上げ、「まぜこぜ」を目指して走り続けてきた団体トップとしての顔だ。もっとも、彼女にしてみればどちらも自身の「芸能活動」ということになるのだろう。

 東がこだわってきたのは、日本の芸能界には「社会」を映し出すという発想がほとんどと言っていいくらいにないことだ。学園ドラマが映し出す教室の中では、「障害者」はいないことになっている。

 街頭が映るような場面で子供連れはいても、車椅子ユーザーはどこにもいないし、外国人も出てこないことがスタンダードである。障害者が出るケースといえば、「障害」があっても乗り越えられるといった「障害」が主役となる感動ストーリーばかりだ。数少ない主役か消えているか。扱いは両極端なのだ。

 かつて当たり前のように放映されていた「こびとプロレス」も、いつの間にかテレビから無くなり、タブーのような扱いになっていた。

 彼女の友人にこんなことがあった。その友人が車椅子を使って街に出た。子供たちは好奇心を持って自分を見ているのに、その親は「見てはいけません」と言って、視線をそらすように促す。もっと興味を持って、話しかけてくれればそこで会話が生まれるにもかかわらず、こうして障害者は目に入ってきてはいけない存在として認識されていく。ドラマやエキストラに車椅子ユーザーがいない背景がここにあるのではないか、と東は思う。

 現実の社会は、もう「まぜこぜ」になっているはずなのに一体、誰が見えない存在にしているのか。

断れたオファー

 プログラムの公式名称は「ONE-Our New Episode-Presented by Japan Airlines」。冠パートナー企業はJALだ。彼女の構想は、それを聞いた時から固まっていた。それが発表された「MAZEKOZEアイランドツアー」という企画だ。

 飛行機に乗り込むと、そこにはドラァグクイーンのキャビンアテンダントがいて、9つの島を次々に案内する。島にはそれぞれに特色があり、障害のあるダンサーやパフォーマーがいて、普段とは違うメンバーと一緒に歌う平原綾香がいて……次々と観客を楽しませる芸を繰り広げていく一本の映画をオンラインで配信する。

 東自身が掛け合い、「東京2020の公式プログラムで多様性と調和がテーマで、冠パートナーはJALで……」とオファーを出し説明をすると、最初は多くの人が乗り気になる。

 ところが、共演者の名前や詳細を説明すると「一旦、預からせてください」という反応が返ってくる。本人は乗り気でも事務所が断ったり、現場のマネジャーは「受けるべきだ」と粘っても最後は「総合的な判断」を理由に断られたり、あるいは「企画は素晴らしいです。でも、この作品で表現する『多様性』に自分が入ることは、ちょっと考えていません」という返事が来たりもした。

 彼女は私の取材(「サンデー毎日」)にこう答えている。

「さすがに落ち込みましたけど、これが日本の芸能界の現実ですね。別に断った人たちが悪いわけではないんです。普段から、障害のあるアーティストと共演することを想定していないからオファーが来ても戸惑うだろうし、どう見られるのかと考えてしまう。これって仕方ないことなんですよ、経験がないから。だから私たちがずっと活動しているんです」

多様性にあふれた作品へ

 キャストが変わるたびに構成は少しずつ変わった。新型コロナ禍でトラブル続きの現場でもあったが、発表してからもトラブルは続いた。

 彼女がキャスティングしたものの、過去のいじめなどを理由に参加を辞退することになった絵本作家のぶみを巡る炎上騒動もあった。記者会見で、東は「失敗や間違いをしてしまっても、生き直そうとする人は受け入れる社会が健全、多様性だと考えたが、結果的には私の甘さでした」と率直な思いを語った。編集をすべてやり直し、全シーンをカットした。

 結果、出来上がった作品はすべてが多様だった。

 東京を象徴する平原綾香の「お祭りマンボ」のカバー、あわせて踊るのは社会に当たり前ように存在していながら、スクリーンやテレビからは無意識のうちに排除されていた人々だ。彼らが同じシーンに同時に映る。日本語ヒップホップと車椅子ダンサーのコラボ、「こびとプロレス」、そしてこびとの役者をいじる東……。映し出されていたのは期せずしてか、狙ってか世界に通じる基準で、かつ日本文化の特徴を巧みに組み合わせたエンターテインメントだった。

見せかけのヒューマニズムに加担しない

 意味深なラストシーンも彼女からのメッセージだ。

 組織委の森喜朗前会長の女性蔑視発言があって当初の予定から変更した。そのままでは「日本の多様性は広がっていきます」とは言えない。

 綺麗なラストで終わらせることは、彼女の言葉で言えば「見せかけのヒューマニズム」に加担することと同じになる。政治の世界でも芸能界でも多様性のない世界が、エンターテインメントの世界でも再生産され、それを当たり前のものとして観客も含めた多くの人たちが受けいれてきたのが日本の社会だ。

 確かに東京パラリンピックでのアスリートの活躍は素晴らしかった。これまで決して恵まれているとは言えなかった日本のパラスポーツの環境は、これを機に大きく変化するかもしれない。では芸能界はどうだろうか?

 今、ボールは芸能界に投げられている。社会はパフォーマーの存在を知った。ここで変わるかどうかは、ボールを持っている側の意識にかかっている。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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