報道機関が記者を切る時 ~森友事件取材の末に起きたこと~
報道は真実に迫るのが使命。権力に不都合なことでも堂々と報じてこそ意義がある。でも現実はその通りにいかないこともある。NHK記者として森友事件取材の真っ只中にいた私は、ちょうど1年前のきょう(5月14日)組織に切られた。何が起きたのか記しておくことは、報道のあるべき姿を考える上で役立つだろう。
よくない人事の予感
去年までNHK大阪放送局報道部の記者だった私は、森友学園への国有地値引き売却問題(森友事件)を発覚当初から取材していた。しかし政権にとって都合の悪い特ダネは上層部に歓迎されない。
近畿財務局が森友学園の出せる上限額をあらかじめ聞き出した上で、学園の都合に合わせるように値引きして売却額を決めた。財務省の背任の実態に迫る特ダネだ。これをニュースで報じた時、NHKの全国の報道部門のトップである東京の報道局長は「なぜ出したんだ!」と激怒し、私の上司に「あなたの将来はないと思え」と言い放った。特ダネに直接関与していない上司の将来がないというなら、直接原稿を書いた私の将来は「もっとない」だろう。だから「次の人事でよくないことが起きそうだ」という予感はあった。
「不本意なことになって申し訳ありません」
1年前のきょう、5月14日。大阪地検特捜部による森友事件の背任捜査は佳境を迎えていた。担当記者として最大の取材課題になっていた時期。私の携帯が鳴った。上司である大阪局の報道部長だ。
「午後6時に局長応接室まで来て頂けますか?」
その瞬間、「来るものが来た」と直感した。指定の時間に大阪局最上階の18階、局長応接室におもむくと、そこには報道部長だけではなく、報道担当の副局長もいた。非公式の内々示をこんな形で行うことは普通はない。
応接セットに座ると、部長は言いにくそうに告げた。「相澤さんには次の異動で考査部に行って頂くことになりました」
考査部というのは自局の番組の講評をする部署で、取材や制作には携わらない。つまり記者を外して報道とは無関係の部署に行かせるということだ。想定をはるかに超える「よくない人事」に私は凍り付く思いだった。
ここで部長が突然、頭を下げてお詫びを始めた。「こんな不本意なことになって申し訳ありません。東京で決めたことで、私にはどうしようもないんです…」
この人はいい人だなあと私は感じていた。彼は政治部出身の記者で、初任地が報道局長と同じ鳥取で同時期に過ごし、政治部でも重なっている。報道局長は直属の先輩だ。それでも言わずにはいられなかったんだろう。そして上司なのに、私の方が入局年次が2年上だから、いつも丁寧語を使う。
「考査の業務に専念してもらう」の意味は…
ここで横にいた副局長が言葉を発した。「これからは考査の業務に専念してもらう」…びしっと言い渡す口調だった。
業務に専念するのは勤め人であれば当たり前のことだ。しかし、そんな当然のことを普通は内々示の時にわざわざ言わない。それをあえて言ったのは、「報道の仕事はもうさせない」という意思表示だと受けとめた。
人事を受け入れないなら組織を辞めるしかない
この間、私はじっとソファーに座って何も言わなかった。特捜部の背任捜査が佳境を迎えている矢先に担当記者をやめさせる。それをあえてするのは、組織が強い意志を持って、私を記者から外すと決めたということだ。そしてもう二度と記者に戻すことはないだろう。ここで何を言っても何も変わりはしない。組織の意思決定が変わるはずがない。だから黙って聞いていた。
私が何も言わないので、部長が逆に問いかけてきた。
「相澤さん、何かおっしゃりたいことはありませんか?」
「何もありません。もう帰っていいですか?」
私はそのままその場を立ち去った。
後日、後輩記者が尋ねてきた。「相澤さん、その人事を受け入れたんですか?」…そんな人事を拒否しなかったんですか?というニュアンスが感じられた。私は答えた。「人事を受け入れないなら、組織を辞めるしかないんだよ。組織はそういうものだ」
取材先の人たちの抗議行動が記者冥利に尽きる
たまたまこの日、私は2人の知人と会食を予定していた。テレビ番組制作会社の社長と、森友学園の籠池前理事長への取材を通して知り合ったライターの赤澤竜也さん。内々示の席を立った私はまっすぐ会食の席に向かい2人に告げた。
「たった今、記者をやめさせると告げられました。だからNHKを辞めます。記者を続けるのにどこかいい転職先があったら紹介して下さい」
翌日、森友事件追及の口火を切った豊中市議の木村真さんに会った。憤った木村さんは自身のフェイスブックにそのことを書いた。それを見た日刊ゲンダイが記事にした。見出しは「森友問題スクープ記者を“左遷” NHK『官邸忖度人事』断行」。
それを見て、これまで取材上のお付き合いがあった人たちがNHKに対して抗議行動を行った。木村市議と仲間たち。平和展示施設「ピースおおさか」の裁判を闘った人たち。東京の研究者らのグループはNHKに抗議文を出して記者会見した。知り合いの労働問題が専門の弁護士は戦闘意欲満々で電話をくれた。「相澤さん、不当配転で裁判を起こそう。大弁護団を結成するよ!」
裁判の申し出はありがたかったが丁重にお断りした。そしてこうした抗議行動で組織の決定が変わることはなかった。しかし取材先の人たちが私に記者を続けさせたいと望んでいるというのは記者冥利に尽きるものがあり、大きな心の支えとなった。
ふられても愛し続ける
あれから1年。組織に切られた傷は今もうずく。それは例えて言えば、長年大好きだった女性にふられてしまった切なさに近いような気がする。
だが、ふられたからといって好きだった人を嫌いにはなれないように、私は今もNHKを愛している。この組織に31年間所属し、受信料で給料をもらい、受信料で取材してきた。NHK記者の肩書きで多くの方に会い、ニュースを全国ネットで届けることができた。
NHKと視聴者の皆さんに育ててもらって今の自分がある。だからNHKで得た経験をこれからも取材に生かし、読者視聴者の皆さんにお届けしていく。それが、きょう「組織に切られた記念日」の私の決意だ。