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コロナ禍を乗り越えて 親子4代で経営を続ける老舗ゲーセンの「今」

鴫原盛之ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表
「かすが娯楽場」の店内(※筆者撮影。以下同)

新型コロナウィルスの流行がようやく沈静化したこともあり、大手オペレーター(ゲームセンターの経営会社)各社は、既存店売上高や利益が前年度を上回ったことを相次いで発表している。店舗によっては、コロナ禍以前よりも売上が上がったとの情報も耳にするようになった。

一方、大手に比べて規模の小さい、個人経営の店舗の状況はどうだろうか? 以下、本稿では昭和の時代から長らく営業を続けている、昔ながらのゲームセンターの「今」をお伝えしよう。

今回、取材にご協力をいただいたのは大阪新世界、ジャンジャン横丁の一角にある「かすが娯楽場」。昭和34年頃に、現社長の祖父母が個人商店として開業以来、実に60年以上もの歴史を誇る、おそらく全国でも屈指の老舗である。

100坪ほどの店内には、80~90年代に発売された懐かしのビデオ、メダルゲームをはじめ、「ワニワニパニック」などのエレメカ、プライズ(景品)ゲームなど約95台が稼働している。今では滅多にお目にかかれない、貴重なゲームが多数並んだ光景は実に壮観だ。

「かすが娯楽場」の入り口。自動ドアが開くと、懐かしの「ワニワニパニック」が目に飛び込んでくる
「かすが娯楽場」の入り口。自動ドアが開くと、懐かしの「ワニワニパニック」が目に飛び込んでくる

筆者が取材にお邪魔したのは2月21日の日中。メダルゲームコーナーには、近隣に住むご年配の常連客が目立ち、ビデオやエレメカゲームのコーナーでは、外国人観光客や女性のグループ客が、入れ代わり立ち代わりゲームに興じていた。店頭に置かれたガチャガチャコーナーでも、外国人観光客が楽しそうにレバーを回す姿がしばしば見られた。

はたして「かすが娯楽場」は、いかにしてコロナ禍を乗り切り、現在も営業を続けることができているのだろうか? 3代目社長の小林晋(すすむ)(69)氏に聞いてみた。

「かすが娯楽場」の小林晋社長(右)と、スタッフの岡本旭氏
「かすが娯楽場」の小林晋社長(右)と、スタッフの岡本旭氏

苦難を乗り越え、コロナ禍以前の状態にようやく回復

小林社長によると、オープン当時の「かすが娯楽場」はメダルとエレメカ、フリッパー(ピンボール)ゲームを中心に稼働させていたとのこと。現在は小林社長のほか、社長の妹とその息子、従業員2人の5人で店を切り盛りする。

人気のジャンルは、ビデオゲームであれば主に対戦格闘ゲームで、「甥っ子が集めてくれた」(小林社長)という「ワニワニパニック」をはじめとする、いわゆる「もぐら叩き」系のエレメカゲームも、ずっと人気があるそうだ。

懐かしのエレメカゲームコーナー
懐かしのエレメカゲームコーナー

かつては会社員だった小林社長が、家業を継ぐきっかけとなったのは「スペースインベーダー」のブーム期に先代の父親から「戻って来い」と言われたことだった。「スペースインベーダー」が世に出たのは1978年なので、小林社長は実に半世紀近いキャリアの持ち主ということになる。

ブーム期には全部で3店舗を経営していたそうだが、その後「私が順番につぶしていった」(小林社長)結果、現在は1店舗のみで経営を続けている。

「ここは大阪の下町の中の下町、古い商店街でね。この辺の独特の雰囲気に惹かれて、林芙美子とか檀一雄とか、有名作家が泊まり込んでいたこともあった。『ジャンジャン横丁』には、昔は1階が店で、2階に住んでいた人が多かった。近くには飛田新地があって、昭和32年に赤線が廃止される前と後では、客層が全然違った。

 私はここで生まれて、今でもずっと住んどるけど、子供の頃は学校から『新世界に行ったらアカン』と言われていた。昔は土日になると、必ず酔った客同士が喧嘩をしていたし、今でも嫌やなあと思うこともあるけど、コロナが落ち着いてからは若い女の子とか、以前は全然来なかったいろいろな人が来るようになった。近くには動物園と美術館(※)もあるしね」(小林社長)

※筆者補足:「かすが娯楽場」近くにある大阪市立美術館は、現在改装のため休館中

ビデオゲームコーナーは、1台で2~3タイトルが遊べるように改造した筐体(きょうたい)が数多く並ぶ。右から2番目の筐体では、かなりのレアものである海外製の「Vs. The Goonies」が稼働していた
ビデオゲームコーナーは、1台で2~3タイトルが遊べるように改造した筐体(きょうたい)が数多く並ぶ。右から2番目の筐体では、かなりのレアものである海外製の「Vs. The Goonies」が稼働していた

小林社長によると、同店の客数は土日などの多い日で約200人、平日はその半分程度になる場合もあるそうだが客数、売上ともにコロナ禍以前の状態にほぼ戻ったそうだ。前述したように、筆者が取材中も外国人観光客が非常に多く来店しており、インバウンド効果もかなり大きいように思える。

おそらく外国人観光客が多いだろうなと、筆者もある程度は察しが付いていたが、若い女性客も少なからずいることはまったくの予想外だった。彼女たちが「VS.スーパーマリオブラザーズ」や「スーパーストリートファイターIIX」など、古いゲームを楽しそうに遊ぶ姿には大いに驚かされた。

対戦格闘ゲームのコーナー
対戦格闘ゲームのコーナー

ガンシューティングゲームを楽しむ外国人観光客のご一行
ガンシューティングゲームを楽しむ外国人観光客のご一行

コロナ禍の最中は時短などの対策に追われ、「かすが娯楽場」の客数も売上も急減。月の売上が通常の2割程度にまで落ち込んだ時期もあり「店自体が、いつ終わるかもわからない」(小林社長)ほどのたいへんな苦労を強いられた。

「メダルゲームは、40年以上も前から60代のお客さんがたくさんいたけど、もう半分以上があっちの世界に行ってしまった。コロナ禍の最中にも何人かが亡くなり、ほかのお客さんも減って、もうえらいこっちゃ、こりゃ機械をいくつか売らなアカンかなあとか、頭がおかしくなりそうな時期もあった。

 まだ赤字が出る月もあるけど、今はだいぶマシになった。(コロナ禍の最中に)金策に走り回って、政策金融公庫とか商工中金とかから借りられたおかげで、今でも営業を続けられてます。常連さんが『これ使って』と、お金をポンと置いてくれたこともあって、どうにか乗り切れた。本当に感謝やな」(小林社長)

メダルゲームコーナーにも、懐かしのタイトルが数多く並んでいる
メダルゲームコーナーにも、懐かしのタイトルが数多く並んでいる

ポストコロナ時代の頭痛の種は「2024年問題」

店内には貴重なレトロゲームが並ぶ一方、新製品はほとんどなく、今では広く普及している電子マネー決済システムも導入されていない。

両替機も、おそらく導入して優に20年は超えているであろう、古いものをずっと使い続けている。筆者が取材中も、店内の両替機では対応していない現行の500円玉を、社長自ら手作業で何度も両替に応じていた。

新作ゲームだけでなく、新型の500円玉に対応したコインセレクター(識別機)への投資を控えているところにも、店舗経営の苦労の程がうかがえる。

「今年から、お札が変わるのも痛いわな。こないだ500円玉が新しくなったばかりなのに変え過ぎや。次から次へと、金が掛かることが起きる」(小林社長)

以前に拙稿「新500円玉の対応に苦慮するゲーセン さらに待ち受ける『2024年問題』とは」でも解説したように、各地のゲームセンターでは今年7月に発行予定の新札に対応した識別機を購入せざるを得ない状況だ。とりわけ経営規模の小さな店舗では、1機数万円にも及ぶ識別機の購入は大きな負担となる。

両替機だけでなく、写真のようなメダル貸出機も、新札の発行に合わせて紙幣の識別機の導入は必須に。とりわけ小規模の店舗にとっては大きな出費だ
両替機だけでなく、写真のようなメダル貸出機も、新札の発行に合わせて紙幣の識別機の導入は必須に。とりわけ小規模の店舗にとっては大きな出費だ

小林社長によると、自身の後継者となる甥には、すでにゲームの購入や仕入れを任せているそうだ。

また同店では、オリジナルのキーホルダーやTシャツなどのグッズのほか、アーケードゲームの基板を個人で楽しむファン向けにボタンの連射装置を販売するなど、ファン獲得のための商売も行っているが、これも「4代目」のアイデアだ。

「コロナ禍のときに借りたお金は、今も返済中。悩みはいろいろあるけど、お客さんが戻ってきたので、ちょっとだけだが楽になってきた。ここで倒れるまで、あと10年ぐらいは頑張らんといかんな。

 古いゲームがたくさんあるので、興味があったらぜひ遊びに来て下さい。1人でもいいけど、できれば友達も連れて来て、みんなでワイワイ遊んでくれたら嬉しいです。近くには、おいしいものが食べられるお店もたくさんあるので、近くに来たらぜひ顔を出して」(小林社長)

串カツ、たこ焼き、寿司、スイーツなどの飲食店のほか、昔ながらの射的場もあり、独特の風情があるジャンジャン横丁。日々多くの人で賑わう大阪新世界の顔として、今後も同店の繁盛が続くことを願いたい。

(参考リンク)

・「かすが娯楽場」のホームページ

店内ではTシャツやキーホルダーなど、オリジナルグッズの販売も行っている
店内ではTシャツやキーホルダーなど、オリジナルグッズの販売も行っている

ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表

1993年に「月刊ゲーメスト」の攻略ライターとしてデビュー。その後、ゲームセンター店長やメーカー営業などの職を経て、2004年からゲームメディアを中心に活動するフリーライターとなり、文化庁のメディア芸術連携促進事業 連携共同事業などにも参加し、ゲーム産業史のオーラル・ヒストリーの収集・記録も手掛ける。主な著書は「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人第1集」(共にマイクロマガジン社)、「ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生」(Pヴァイン)、共著では「デジタルゲームの教科書」(SBクリエイティブ)「ビジネスを変える『ゲームニクス』」(日経BP)などがある。

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