大阪に「鬼が住む村」があったってホント?
はらぺこライターの旅人間です。今回は鬼のお話について…。
日本各地には昔から伝わる物語や伝説、興味深い地名など色々あります。その中でも鬼に関する話が多いように感じます。
そこで今回は、大阪府河内長野市に残る「鬼伝説」を探索してみました。
大阪府河内長野市の神ガ丘、ここは1899年(明治22年)まで鬼住村と呼ばれていたんだとか。つまり、「鬼が住む村」だったってこと…ですかね?
町村制の施行により川上村 鬼住に。1954年(昭和29年)に川上村は、長野町・三日市村・高向村・天見村・加賀田村と合併して河内長野市に。
更に、「鬼住」の地名も変わって、現在の「神ガ丘」となったそうですよ。
府道214号には、その当時の名残を今に残すものが残っています。
それがこの橋です。
少し分かりにくいので、逆側を見てみると…
ほら、「鬼住橋」の文字。
こちらには「昭和11年9月 架設」とあります。
この橋の下を流れるのは石見川。
鬼住橋から100Mほど東へ行くと、その先には「鬼のたらい」と呼ばれる場所があります。
近くまで行っても看板も案内もなく、雑木林でハッキリ見えませんが、道路から川を覗き込むと、穏やかな川の流れが少し急になっているのが分かります。
そして、茶色く変色し異様な雰囲気も。これは鉄分(温泉成分)による変色のようです。
この「鬼のたらい」には伝説があります。
それは、ここには深い穴があり、その穴の底は和泉市(大阪府)とつながってて、鬼の夫婦がここを行き来していたというもの。
隣の和泉市には「父鬼」という地名が確かにある。なんだか興味深い。
鬼の正体は?
もう少し詳しく知りたく、河内長野市に問い合わせてみました。
そこで教えてもらったのは『鬼住村地下契状』という古文書の話。
これは寛正5年(1469年)の室町時代の中期のもので、ここでは漢字で「鬼住」とあるが、「鬼」の漢字には角がないらしい。
角の無い鬼=邪悪な鬼が仏さまに帰依して改心し角がとれた姿。つまり悪い鬼、怖く恐ろしい鬼ではなかったってことのよう。
これもまた興味深い話だ。
詳しく知りたい方は、河内長野市のYouTubeで確認できます。
別の角度から見ると…
『河内艦名所記』 延宝7年(1679年)には、「昔は鬼住けるとておそろしき所あり」と書かれ、『観音冥応集 二(延命寺所蔵)』 宝永3年(1706年)には…
このような伝承が残っており、延命寺には、この鬼退治に使用した桃の木で作った弓が残っているのだとか。
また、更に別の角度から見ると…
古文書の『観心寺文書』正平2年(1347年)には、この地域を「小西見郷」と書かれています。その文字から推測すると、「ヲニシニ」⇒「オニス三」⇒「鬼住」になったとも。
最後に…
結局、鬼はいたのか?
江戸時代には「鬼住村」が正式な村名として使用されていたそうですが、「小西見郷」が「鬼住」になったのか?それとも、本当に鬼がいたのか?いなかったのか?
もし、鬼がいたのなら、その鬼は良い鬼だったのか?悪い鬼だったのか?
諸説様々で、実際はタイムマシーンでも出来ない限り…これは永遠の謎なのでしょう。でも、地名から色んなことを調べ、聞き、想像するのは面白い。
日本各地の伝説を巡り、また紹介したいと思います。
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鬼住橋
場所:大阪府河内長野市神ガ丘1027
地図(外部リンク)