なぜバルサは“混乱”しているのか?シャビの突然の解任…二転三転の監督人事とラポルタのノスタルジー。
難しい時期に差し掛かっているのは、間違いない。
リーガエスパニョーラ最終節、バルセロナは敵地サンチェス・ピスファンでセビージャに勝利。2位でシーズンを終えた。この試合は、シャビ・エルナンデス監督にとって、バルセロナでのラストマッチになった。
「調子は良い。この数日は、難しかった。だが私は落ち着いている。喜びや誇りを感じている。バルサの監督として、2年半、やらせてもらった。簡単ではなかったが、それは就任する前から分かっていた」
「今シーズンがスタートする前、タイトルの獲得を目標にしていた。それは果たせなかったけれど、我々はベストを尽くした。過去を振り返るなら、2つのタイトルを獲得して、ビッグマッチで良いゲームをした。素晴らしい経験だったし、多くの学びがあった。この機会を与えてくれたクラブに感謝したい」
これはシャビ監督の言葉だ。
■レジェンドの帰還
今年1月27日、ビジャレアル戦に敗れた後、今季限りでの退任を宣言していたシャビ監督だが、一転、4月25日にジョアン・ラポルタ会長との会見で残留を明言していた。それから、わずか1ヶ月。今度はラポルタ会長からシャビ監督に“最後通牒”が突きつけられた。
シャビ監督は2021年11月に、バルセロナの指揮官ポストに就いた。
レジェンドの帰還に、バルセロニスタは沸いた。シャビはバルセロナの黄金時代を支えた選手だ。とりわけ、ジョゼップ・グアルディオラ監督の率いるバルセロナ(2008年−2012年)で活躍したのは大きかった。
「ペップ・チーム」では、シャビ、セルヒオ・ブスケッツ、アンドレス・イニエスタが中盤の要として機能した。また、シャビは、最後にバルセロナがビッグイヤーを掲げた2014−15シーズン、リオネル・メッシ、ルイス・スアレス、ネイマールの「MSN」という3トップを擁したチームでキャプテンを務めていた。
シャビの帰還。それはバルセロニスモにノスタルヒーア(ノスタルジー/郷愁)を漂わせるに十分の出来事だった。
一方、ラポルタ会長は、バルセロナの黄金時代において、トップを務めていた人物だ。フランク・ライカールト監督の招聘、ロナウジーニョの獲得、グアルディオラ監督の昇任を決めたのは、彼である。事実、ラポルタ会長なくしては、バルセロナの3度のビッグイヤー獲得(2006年/2009年/2011年)はなかっただろう。
だが、ラポルタ会長は変わってしまった。シャビもまた、監督として、選手時代のような輝きを放てなかった。
通常、監督がトップレベルで結果を出すためには、時間が必要だ。例えば、ジョゼ・モウリーニョ監督はベンフィカやポルト、ディエゴ・シメオネ監督はラシン・クルブで監督キャリアをスタートさせている。
バルセロナのトップチームの監督として、就任一年目でセクステテ(6冠)を達成したグアルディオラは例外的だった。
無論、シャビは「バルサのDNA」を知り尽くす男として期待されていた。元々、バルセロナのカンテラーノである。加えて、ペップ・チームで、「MSN」のバルセロナで、チームのスタイルとプレーモデルを知悉するようなパフォーマンスを、毎試合のように披露していたのが彼だったからだ。
ただ、シャビとグアルディオラでは、状況が異なった。特に、経済的な事情が、まったく違った。グアルディオラが、デコやロナウジーニョ、サミュエル・エトーらを“切る”判断ができたのに対して、シャビは大物選手を切ることはおろか、望むような補強をさせてもらえなかった。
「ラポルターシャビ」の関係は、奇妙なものになっていた。それはまるで、熟年離婚を一向に決断しない不仲な夫婦のようだった。
そして、もうひとつ、忘れてはいけないポイントがある。
メッシの存在だ。
■ポスト・メッシ時代
バルセロナは2021年夏にメッシを放出している。 契約期間の満了に伴い、フリートランスファーでパリ・サンジェルマンに移籍。50%の減俸を受け入れていたメッシだったが、それでも心のクラブに残留するという想いを果たせなかった。
メッシとシャビ監督の再会が叶わなかったのは、悲運としか言いようがない。だが重要なのは、バルセロナが「ポスト・メッシ時代」に対峙したという点だ。
ラディスラオ・クバラ(1950年―1961年)、クライフ監督(1988年―1996年)、そういった名選手や名監督が去った後、バルセロナは苦しんだ。
それと同様に、メッシの残した穴は大きく、その穴に嵌まるように、シャビは落ちていってしまった。
いま、コインはラポルタ会長の下に戻された。
ノスタルヒーア(郷愁)に頼る真似は、もはや許されない。レジェンドが2人(クーマン/シャビ)、すでにクラブから追われている。ハンジ・フリック監督の就任が迫るなか、復職から5シーズン目、後のない会長のギャンブルがはじまる。