シャドー(影)とは、抑圧された欲求のこと。性格改善をする上で、ぜひ知っておいて欲しいこと。
こんにちは。
精神医学と性格心理学に詳しい
心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。
今日は、「性格改善する上で知っておいて欲しいシャドー」というテーマでお話したいと思います。
シャドーとは、影という意味ですが、心理学でシャドーと言うと、自分の「無意識」の中にいる「もうひとりの私」という意味になります。
たとえば私は、現在63歳で、30代の半ばに脱サラしてカウンセラーになったわけですが、あの時、もう少し頑張れば、ひょっとしたら、そのままサラリーマンを続けられていたかもしれません。
30代の半ば、私は、サラリーマンとして生きるのをやめ、自営業者になることを決意して、実際にカウンセラーになったわけですが、
時おり、あのままサラリーマンを続けていたらどうなっていただろう…と考えることがあります。今頃、退職金をたっぷり貰い、ホクホク幸せに生きているのではないか? と想像したりします。その実際にはいない、サラリーマンで定年を迎えただろう私が、いわゆる私のシャドーということになります。
深層心理学者のユングは、この「サラリーマンとして生きられなかった私」が今もなお「私の無意識」に息づいており、現実にいる私に影響を与えている…と考えました。そう、このシャドーとは、私と似ている私でもあり、私と正反対の性格を持つ私でもあり、私に影響を与え続ける、無意識の中のもうひとりの私なのです。
この記事をご覧の方で、「初めてシャドーという言葉を知った」と仰る方は少ないないかと思いますが、このシャドーという概念は知っておいたほうがいいです。何故なら、シャドーという存在は、意識化するだけで、心のザワザワが消えたり、腹立たしさが消えたりするからです。
ちょっと例を挙げます。
私はカウンセラーとして、独立起業した時、クライアントが訪ねてこないことに、かなり焦りを覚えました。その頃、20年ほど前のことですが、空前のカウンセリングブーム&カウンセリングスクールブームが日本に到来しました。当時の私は、「心理臨床をちまちまやって、1人のクライアントから数千円もらうより、カウンセリングスクールを開いて、1人の生徒から数十万円貰うほうが、よっぽど楽にお金を稼げていいなあ」と強く思いました。
でも私は、結局、カウンセリングスクールを開きませんでした。臨床経験が少ないくせに、人様からたくさんお金をもらってカウンセリングを教えるのは、不誠実で間違っているだろうと思ったからです。
20数年前、西暦2000年頃、私の予想通り、カウンセリングスクールは乱立され、何処もそこそこに繁盛しました。
その頃、カウンセリングスクールを開いた人は、撤退の時期さえ間違わなければ、さぞお金を儲けることに成功したことと思います。臨床経験が、ほとんどないくせに、さもわかったような顔をして、カウンセリングを教える先生方。当時の私は、しばらくずっと、そんなカウンセリングスクールの先生たちに、腹立たしさと嫌悪感を持ちました。
そう、私にとって、カウンセリングスクールの先生は、私のシャドーだったのです。私が選択しなかった、もうひとりの私、シャーだったのです。だから怒り感情を覚えたのです。でも今の私は、カウンセリングスクールの先生のことは、好きではないものの、腹立たしさや嫌悪感を持ったりする存在ではありません。今の私は、20年前の私と違って、自分のシャドーに気付いているからです。
シャドーは、「抑圧された欲求」とも言えます。
「無意識に我慢していること」「やりたかったけれど、できなかったこと」などがシャドーになります。
男前の女性が、可愛い子ぶりっ子で、男性から人気を集めている同性女子を見て、腹立たしく感じるのは、男前の女性にとって、可愛い子ぶりっ子の女性が自分のシャドーだからです。
自分のシャドーに気付くと、心に平穏が訪れます。相手に寛容になれます。
そっちの道へ行けなかった、もしくは行かなかった自分が、心の奥底にいるんだなぁという感覚です。
私が今もなお、カウンセリングスクールの先生のことが好きでないのは、私の問題です。カウンセリングスクールの先生が悪いのではなく、自分の抑圧された欲求、シャドーが原因です。それを知っているからこそ私は、カウンセリングスクールの先生を貶めるようなことを言ったりしたりしないでいられるのです。
というわけで、今日は、「シャドー」についてお話しさせて頂きました。
今日も最後までお読みくださって、どうもありがとうございます。
心から感謝申し上げます。
この記事を書いた人は、心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。