イギリスのアジア系首相誕生は多文化共生の表れか、民族対立のリスクか
- インド系のスナク氏がイギリス首相に就任したことは、イギリスですでに高まっていたインド系とパキスタン系の対立をエスカレートさせかねない。
- そこにはインド本国におけるヒンドゥー・ナショナリズムの影響がある。
- スナク氏はムスリムを念頭に「イギリスを中傷する者を過激派とみなすべき」と繰り返し、これはイギリスの保守派の支持を集める一因となった。
史上初のアジア系としてリシ・スナク氏がイギリス首相に就任したことは歴史的な出来事ではあるが、イギリスで民族対立がエスカレートするリスクを抱えている。とりわけ注意すべきは、アジア系首相やその支持者に対するものではなく、アジア系同士によるヘイトとテロだ。
インド系首相の光と影
スナクがアジア系として初めてイギリス首相に就任したことは「多文化共生の表れ」と評価することもできる。
ただし、全く逆のことをいうと、スナク首相誕生によってイギリスで民族対立が激化するリスクも大きい。
スナク首相誕生がイギリスのインド系市民の高揚感をこれまでになく高め、これがもともとインド系と対立しがちだったイスラーム系、とりわけパキスタン系との緊張をいやが上にも高めるからだ。
インドとパキスタンは隣国同士だが、カシミール地方の領有権問題を抱え、独立以来いわば犬猿の仲で、1998年にはお互いに核武装するに至った。
かつてこの一帯を植民地として支配したイギリスにはインド系、パキスタン系の移民が多いが、彼らはこれまでしばしば本国同士の代わりにイギリスで衝突してきた。
その最大のものは9月、イングランド中部のレスターで双方の住民が衝突し、数十人の逮捕者を出した事件だ。
そのきっかけはクリケットの国際試合でインド代表がパキスタン代表に勝ったことだった。その直後から数百人のインド系の若者がインド国旗を掲げ、ムスリム系住民の多い地域にまで押し寄せたのだ。
サフラン・テロの拡散
こうした対立は双方に原因があるが、近年さらにエスカレートしている。
その一因は、インド本国におけるヒンドゥー・ナショナリズム(ヒンドゥー至上主義、ヒンドゥトヴァ)の台頭にある。
ヒンドゥー・ナショナリズムは「インドはヒンドゥー教徒の国」とみなす立場だが、その延長線上には少数派排斥の動きがある。とりわけムスリムはキリスト教徒とともにその標的になりやすい。
現在の与党・インド人民党(BJP)が政権を握った2014年頃からインドでは、ヒンドゥー教徒の群衆がムスリムに集団で暴行を加えたり、イスラームの施設を破壊したりすることが増えた。こうした状況をインド政府は止めるより、むしろ黙認してきた。
例えば2021年9月に北部アッサム州で、ムスリムに対する迫害に抗議するデモが発生したが、この時に警官の発砲で何人もの死者が出た。おまけにその遺体を撮影していたジャーナリストは逮捕された。
10億以上の人口を抱えるインドは「世界最大の民主主義国家」とも呼ばれるが、モディ首相率いるBJPはヒンドゥー・ナショナリズムを前面に掲げてきた。その結果、多数決の原理は少数派への迫害をむしろ加速させてきたといえる。
これをオーストラリア国際問題研究所は、ヒンドゥーの聖なる色にちなんで「サフラン・テロ」と呼ぶ。
その影響はインド国内にとどまらない。
インド系コミュニティは各国にあるが、そのなかにはインドの与党BJPの海外支部(OFBJP)の支持者も珍しくない。そのため、ヒンドゥー過激派の脅威は世界に拡散している。
例えば昨年9月にアメリカの50以上の大学が参加して、ヒンドゥー・ナショナリズムについて学術会議が開催された際、多くの参加者に殺害予告などが送りつけられ、出席をとりやめる参加者が続出した。「反ヒンドゥー的」とみなされることは、今やこうしたリスクを背負うことになる。
9月にイギリスのレスターでムスリム居住区に押し寄せたインド系の若者たちは「ジャイ・シュリ・ラム(ラーマに栄光を)」と繰り返し高唱していたという。
ラーマはインド神話最大の英雄で、これを讃えるジャイ・シュリ・ラムは、ヒンドゥー・ナショナリストの合言葉である。
スナク首相とヒンドゥー
保守党の党首選においてスナク氏は富裕層も多いイギリス国内のインド系はもちろん、インド本国からも物心両面で支持を集めた。
こうした背景を考えると、スナク首相誕生でインド系市民の間で高揚感がこれまでになく高まることは避けられず、それはパキスタン系との衝突をエスカレートさせやすくするとみられる。
もちろんスナクはパキスタン系と衝突するインド系を支持したり、賞賛したりしているわけではないし、明白なヒンドゥー・ナショナリストともいえない。
しかし、スナクもヒンドゥー教徒であることをしばしば強調してきた。
例えば、保守党党首の座を目指していた最中の8月18日、ヒンドゥーの祝日クリシュナ・ジャンマシュタミに先立って、スナクはロンドン近郊ワトフォードにあるヒンドゥー寺院を多くの信者とともに詣でたが、その様子はSNSで広く発信された。
こうしたことからインド本国には「スナク氏のヒンドゥー信仰は首相就任以前からのもの(要するに首相就任後に急にヒンドゥー教徒のふりをしたわけではない)」と強調するメディアもある。
また、ヒンドゥー・ナショナリズムの出先機関ともいえるOFBJPイギリス支部もスナク首相就任に祝意を表明している。
反ムスリムでの一致
こうしたスナク首相の誕生はインド系の自信を深め、それは結果的にこれまで以上にパキスタン系との衝突がエスカレートすることが懸念されるわけだが、それはイギリスにおける白人右翼と共鳴しやすい。
スナクが首相の座を射止められた一因には、イギリス社会にあるイスラーム系への反感をテコにしたことがあった。
日本ではあまり報じられないが、スナクは保守党党首選でこれまでのテロ対策を不十分と批判し、「イギリスを中傷する者を過激派と扱うべき」と主張し、物議を醸した。
イギリスの治安機関はこれまで、学校や地域などでムスリムを監視し、テロ組織に近づかないようにしてきたが、これがかえってムスリムの反感を招き、逆効果であるとして、保守党政権下で見直し作業も進められてきた。
これに反対するスナクの主張は、何をもって「中傷」と呼ぶか曖昧で、治安機関の裁量を極限まで大きくしかねない(政府批判を取り締まる手段として不敬罪を用いるトルコのように)。
そのうえ、そこには暗黙のうちにイスラーム主義者が想定されているとみられたため、野党・労働党やイスラーム系団体、人権団体などだけでなく、保守党内部からも異論があがった。
しかし、結果的にはこれが保守派の多くの支持を集め、スナク氏に勢いをもたらした。
ヨーロッパでは2010年代にイスラーム過激派のテロが増え、これが保守派を中心に反移民感情を強めさせてきた。
そのなかで、フランスのマクロン大統領に代表されるように、反テロやイスラームへの警戒を力説し、保守派の支持を取り込もうとする手法も定着してきた。
スナクはこの点でマクロンとほぼ同様だが、異なるのは反イスラームで共通するヒンドゥー・ナショナリズムの社会的認知がこれによってヨーロッパで高まったことだ。
そのため、スナク首相誕生がイギリスでこれまで以上に人種、民族、宗教に基づく分断を促しても不思議ではないのである。