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「最強世代は“うぬぼれ世代”になってはいけない」リオ五輪・手倉森監督がU-23日本代表の課題を指摘

金明昱スポーツライター
沖縄でインタビューに応じてくれた手倉森監督

 2019年にV・ファーレン長崎の指揮官に就任し、今年2年目のシーズンを迎える手倉森誠監督が、キャンプ地の沖縄でインタビューに応じてくれた。

 手倉森監督を訪ねた理由は、4年前のリオデジャネイロ五輪を経験した立場から、U-23日本代表の現状をどのように見ているのか聞いてみたかったからだ。

 取材当日(1月16日)は、AFC U-23選手権(東京五輪アジア最終予選)で日本代表が2連敗を喫してグループリーグ敗退が決まり、消化試合となったカタールとの最終戦(1-1)の翌日だった。

「テレビで試合を見ましたが、残念な結果になりました。日本の選手たちは確かにうまい。組織的なサッカーをやれているけど、泥臭さや強さ、厳しさが足りなかった。カタールとの最終戦は、連敗している危機感が足りなかったように見えました。選手たちは、国民の期待を背負っていることや敗退した現実を吹き飛ばす力も示せなかった。こうして訪ねてきてくれたから、過去にあの大会を経験した監督として、お話しできればと思います」

 のっけから手倉森監督の“熱量”が肌に伝わってくる。

「これから話すのは、これからの日本サッカーが発展するためだと思っているからです」

 当初の予定では1時間のインタビューのところ、約2時間30分にも及んだことを先に伝えておきたい。

 それくらい日本サッカー界への思いは熱かった。

リオ五輪“谷間の世代”を世界で戦えるチームに

 4年前の手倉森ジャパンは、“谷間の世代”といわれていた。

 当時のメンバーには南野拓実(リヴァプール)、中島翔哉(ポルト)など、現A代表の主力級がそろっていたが、崖っぷちの状況だったのだ。

 特に国際大会での経験不足を指摘され、「1996年アトランタ大会以来続いている五輪出場が途絶えるのでは」と不安視されていた。

 4年前のアジア予選の時は、相当な緊張感と覚悟があったと振り返る。

「自分たちが(日本サッカー界に)穴を空けてしまう世代になるのではという危機感はものすごくあった。でも絶対に見返してやると思ってやってきました。そんな中、(リオ五輪出場権をかけた)アジア選手権で優勝した。選手たちを奮い立たせるためにも、対戦国のメンタリティーや国の情勢、日本の置かれている立場など、さまざまなものを選手たちに伝えました」

 2016年AFC U-23選手権では北朝鮮、タイ、サウジアラビアと戦いグループリーグ3戦全勝。

 準々決勝ではイラン、準決勝ではイラクに勝ち、決勝では韓国と戦い、0-2からの逆転で優勝を勝ち取っている。

「国際大会はJリーグとは違う。日本代表は、アジアでナンバーワンでなくてはならない。でも対戦国は、そんな日本に勝ちたい、日本のサッカーを壊しに必死になってくらいつく。北朝鮮と韓国の関係や、韓国は徴兵制がある、イランとイラクも政治的な問題がたくさんあって、サッカーで国民を勇気づけようと命がけの選手も多い。そのアジアで勝つことは、簡単ではないことを覚悟させないといけない。大和魂が必要だと、選手たちの気持ちに火をつけてあげないといけない」

 現在のU-23日本代表には、必死さが足りなかった――手倉森監督が、そう言いたいことが、この言葉からもよく分かった。

選手と積極的にコミュニケーションを取り、チームの士気を高める手倉森監督
選手と積極的にコミュニケーションを取り、チームの士気を高める手倉森監督

「経験優先」の功罪

 アジア制覇を果たした手倉森ジャパンは、2016年リオ五輪本大会でも戦うチームへと変貌を遂げていた。

 グループリーグ初戦のナイジェリアに4-5で敗れるも、2戦目のコロンビアに2-2、3戦目のスウェーデンには1-0で勝利した。

 1勝1敗1分で大会を去ることになったが、最後には世界と戦えることを証明してみせた。

 大舞台での経験を機に中島はFC東京からポルトガルへ飛び立ち、井手口陽介、浅野拓磨、植田直通も海外移籍を勝ち取った。

 そうした選手の成長を目の当たりにしてきた手倉森監督はその後、日本代表コーチとして2018年ロシア・ワールドカップ(W杯)も戦い、ベスト16入りも果たした。

 だからこそ今のU-23日本代表の現状と結果が歯がゆい。

「森保ジャパンのアジア選手権は、とても難しいシチュエーションだったと思います。自国開催で五輪出場がすでに決まっていて、強くならないといけないことよりも『経験』を優先させてしまったように感じてならない」

 手倉森監督はそう断言する。

「なぜすべての選手を使わなかったのか」

 日本サッカーの将来を心配しているからこそ、思いは続く。

「カタールとの試合は消化試合になってしまったのに、これまで使っていなかった選手を思い切って使ってもよかったのではないか。経験をさせたいのなら起用してもよかったと思いますし、連敗したあと、そのメンバーで勝てたのなら、この世代の競争意識は育めたかもしれない。五輪までに選手たちを成長させるために、この世代の競争意識は大切。『何がなんでも五輪に出るんだ、出たいんだ』という意欲と、『五輪ではメダルを取らないといけない』という使命を持つ選手を増やさないといけません」

チームを引き締めるためのタイミングはあった

 アジア選手権で敗退しても、東京五輪は自国開催なので本大会には出られる。その部分を大いに心配していた。

「協会もチームも、本大会には出られるという思いが危ういと思っていました。その中で経験を積ませ、成長させられればいいという意識が、勝たなければいけない思いより、強くなったのでは」

 慢心やおごりが現在のU-23日本代表を作ってしまったのかもしれない。この世代には、確かに優秀な選手がいて、海外組も多くいる。

 これまでの大会でも、ブラジルに勝つなど、結果を残してきた。自分たちの力を過信し、油断していた部分は多少なりともあったかもしれない。

「私が指揮したリオ五輪では、グループリーグ1勝1敗1分。この時は南野、中島、浅野などが活躍して『日本にもこんなにいい選手がいるのか』と世界に広まった大会でした。そこから、今の東京五輪世代にも海外移籍のチャンスが広がった部分も少なからずあると思います。そして、メディアも大会前から“最強世代”とはやし立てたことで、よりプレッシャーを強めましたし、うぬぼれも生まれたかもしれない」

 

 結果は惨敗。結果を出さなければ、叩かれてしまう。

 さらに手倉森監督は「アジア選手権前にチームを引き締めるためのタイミングはあった」と指摘する。

 それは昨年11月、広島で開催されたキリンチャレンジカップ2019のコロンビア戦(U-22)だった。久保建英(マジョルカ)、堂安律(PSV)を擁しながらも0-2で完敗。

「この試合は、もっと選手たちに『もっと強くならなくてはいけない』、『何がなんでも五輪でメダルを取らなければいけない』と、危機感を煽るチャンスだったかもしれない」

日本サッカーの未来を真剣に考えているからこその熱い話が続いた
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五輪とA代表の監督兼任を懸念

 手倉森監督は、五輪代表とA代表の“監督兼任”についても懸念していた。リオ五輪を経験しているからこそ、分かることがある。

「A代表と五輪代表の監督を兼任することは、かなりの重労働だと思います。監督のメンタリティーは、大勝負で発揮しなければならない。私の経験上、五輪とW杯という大舞台では、相当なエネルギーが必要です。そのエネルギーを発揮するにしても、いずれ分散されます。五輪で1試合をこなしただけでも疲労困憊です。森保監督は、ほぼ毎月試合を指揮していますからね。大変です」

 森保監督が、兼任監督になったときに、こう伝えたという。

「『すごく重労働でしんどくなると思うから、協会のフォローをうまく活用しなくてはいけない。一人ですべてをやったらくたびれてしまうよ』と。森保監督は責任感の強い男ですから」

 五輪を経験した手倉森監督としては、五輪代表とA代表の監督を兼任するのは難しいのではないかと、感じている。

 しかしながら、日本サッカー協会はこのまま森保監督が指揮を執ることを確認。約6カ月後に東京五輪で本番を迎えるとあって、こうなれば監督と選手の力を信じて突き進むしかない。

「今回の雪辱を本番で果たすしかないわけですが、このピンチがチャンスになる可能性もあります。そこに賭けるしかないでしょう」

「国民に強いメッセージを発信せよ」

 そして、最後に森保監督へ熱いエールを送る。

「『いまに見とけよ!』という気持ちを見せてほしい。『俺はこうするんだ』、『日本サッカーをこうしていくんだ』という気概を見せてほしいです。代表監督として、国民に向けてメッセージを伝えてほしい。サッカーに興味がない人にも関心を持ってもらいたいですし、日本代表がどんなサッカーをしようとしているのか、きっちり伝えてほしいです。そして、森保監督がやりたいこと、しようとしていることをもっと伝えてほしいですね。そうすれば、日本サッカー界の人間はもちろん、国民もついてくる!」

 手倉森監督の力強い言葉は、日本サッカー界に一石を投じるものだろう。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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