シリアで新政権発足から1ヵ月:シャルア(ジャウラーニー)総司令官の打倒を訴える初めての抗議デモが発生
シリアでバッシャール・アサド政権が崩壊してから1ヵ月と1日が経った2025年1月9日、新政権の打倒を訴える初めてのデモが発生した。
抗議デモが発生したのは、ラタキア県ジャブラ市東の山岳地帯に位置するアイン・シャルキーヤ町。住民のほとんどは、アラウィー派宗徒で、アサド前大統領をはじめとするバアス党、シリア軍、治安機関の高官らを多く輩出してきた地域のただなかに位置する。
弾圧された前日の抗議デモ
発端は、1月8日にアイン・シャルキーヤ町で、新政権を担うシリア軍事作戦総司令部、内務省総合治安局の要員による犯罪を指弾し、彼らの退去を求める抗議デモが発生したことだった。
シリア軍事作戦総司令部とは、アサド政権を崩壊に追い込んだ武装勢力の連合体で、「シリアのアル=カーイダ」として知られるシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)が主導、アブー・ムハンマド・ジャウラーニーの名で知られていた同機構指導者のアフマド・シャルアが総司令官を務めている。一方、内務省総合治安局は、シャーム解放機構の治安部隊である総合治安機構を母体とし、2024年にシャーム解放機構によるシリア北西部の支配を支えてきたシリア救国内閣内務省の所轄下に置かれ、現在に至っている。いずれもシャーム解放機構の暴力装置としての役割を担っている組織である。
1月8日に発生した抗議デモに対して、シリア軍事作戦総司令部と内務省総合治安局は、激しい発砲を加えるなどして強制排除を試みた。また、アイン・シャルキーヤ町近くの農場では、住民3人が殺害された。
新政権の支配に異議を唱える「シリア人民抵抗」によると、殺害されたのは、アンマール・イッズッディーン氏、ムーサー・イッズッディーン氏、ムハンマド・フサームッディーン氏の3名。また、英国で活動する人権団体のシリア人権監視団によると、この3人は家族で、うち1人は子供、殺害したのは外国人戦闘員だった。
シャルア打倒と外国人戦闘員退去を求めるデモに発展
1月9日、アイン・シャルキーヤ町では3人の葬儀が行われた。葬儀は、アラウィー派宗徒の怒りによって包まれ、シリア人権監視団や「シリア人民抵抗」によると、数千人がその後抗議デモを行い、シャルア総司令官の打倒、外国人戦闘員の退去を訴えた。
アサド政権が崩壊する以前は、シャーム解放機構が支配していたイドリブ県、アレッポ県西部の各所で、ジャウラーニーの打倒、総合治安機関による住民の恣意的逮捕、拘留者の釈放を求めるデモが連日続いていた。
筆者が監修している「シリア・アラブの春顛末記:最新シリア情勢」のアーカイブを確認すると、こうした抗議デモは、シャーム解放機構を主体とする武装勢力が「攻撃抑止」軍事作戦局を名乗って、アレッポ市などに一大攻勢をかける前日の2024年12月26日まで続いていた(「シャーム解放機構の支配下にあるイドリブ県、アレッポ県各所でジャウラーニー指導者の打倒や逮捕・拘束中の家族らの即時釈放を訴えて抗議デモ(2024年11月26日)」)。
アサド政権が崩壊して以降、12月21日にアレッポ市で、1月6日には首都ダマスカスで、7日にはスワイダー市シャーム解放機構が不当に拘束した民間人やシリア軍の元将兵の釈放を求める抗議デモが行われていた。だが、シャルア(ジャウラーニー)の打倒を明言したのは、1月9日のアイン・シャルキーヤ町での抗議デモがアサド政権崩壊以降で初めてのものとなった。
アラウィー派が感じる疎外感と恐怖:外国人戦闘員の存在
アイン・シャルキーヤ町での抗議行動の背景には、新政権樹立後のアラウィー派が感じている疎外感と恐怖がある。
新政権は、12月半ば、ムハンマド・バシール暫定内閣が閣議決定(決定第18号)で、アラウィー派のいかなる人物も、軍隊および内務省に加入することを厳格に禁止した。
シリア軍事作戦総司令部と内務省総合治安局は、アラウィー派が多く住むシリア中部のヒムス市のワーディー・ザハブ地区、ザフラー地区など、ハマー県農村地帯、ラタキア県、タルトゥース県各所で、「アサドの民兵の残党」を掃討するとして大規模な治安作戦を実施している。
これによって、シリア軍の元将兵や民間人多数が逮捕され、シリア人権監視団によると、その数は約9000人に達しているという。彼らは、ダマスカス郊外県のアドラー刑務所、ハマー県のハマー中央刑務所、イドリブ県のハーリム刑務所に収監されているとされる。
こうした作戦と継続して、アラウィー派の宗徒や宗教施設を狙った攻撃も頻発するようになっている。12月19日には、ハマー県のラビーア村にあるアラウィー派の廟複数ヵ所が何者かによって破壊された。また12月24日には、アラウィー派が暮らすハマー県のジャドリーン村が襲撃を受け、家具などを略奪された。
1月7日には、アラウィー派の若い男性1人が、ラタキア県のカルダーハ市とジャブラ市を結ぶ高速道路で、シリア軍事作戦総司令部に所属する武装組織によって何らかの容疑をかけられ、殺害された。
これらの殺戮や犯罪行為に誰が直接関与しているのかを知るすべはほとんどない。だが、シャルア総司令官や、新政権の幹部らが宗派対立による不和や内乱の回避に尽力すると繰り返し発言するなか、こうした方針を理解していない(あるいは受け入れようとしない)過激派が新政権の末端におり、そのなかに少なからず外国人戦闘員が含まれていることだけは確かだろう。
12月23日には、ハマー市中心部に飾られていたクリスマス・ツリーがウズベキスタン人戦闘員によって放火される事件が発生したが、シリア軍事作戦総司令部の傘下で活動する武装勢力メンバーらによるキリスト教徒やアラウィー派に対する暴行や差別的な言動は多く報告されている。
こうした状況への怒りが、おそらくは1月5日のラタキア市ウワイナ地区でのシリア軍事作戦総司令部の戦闘員2人の殺害事件の引き金にもなっている。シリア人権監視団や「シリア人民抵抗」によると、殺害された2人は、シャーム解放機構所属のハッターブ大隊司令官のムヒーッディーン・トゥルキーと、同じく司令官(所属組織は不明)のアブドゥッラフマーン・カズアリーで、いずれもトルコ人だった。
アサド政権崩壊から1ヵ月が経ち、宗派対立への危機が高まるなか、シリア社会では、分断的な「モザイク」ではなく、さまざまな宗教・宗派、エスニック集団が調和のなかで共存する「ナスィージュ」(アラビア語で「織物」を意味する)としての姿が強調されるとともに、世俗主義が主唱されるようになっている。シリアで言うところの宗派主義とは、政教分離や公的空間での宗教行為の禁止ではなく、他者の信仰を尊重しつつ、その行為の是非について介入しないことを指す。
指導部だけでなく、その末端に至るまで、「ナスィージュ」としての共生と世俗主義をどの程度受容できるかが、新政権に課せられた喫緊の課題である。