日本での劇場公開日に母がこの世を去った…。ソフィア・コッポラが『プリシラ』で語っていた、母への想い
4月12日、エレノア・コッポラがこの世を去った。享年87歳。その同じ日、ソフィア・コッポラの最新監督作『プリシラ』が、日本で劇場公開された。
エレノア・コッポラは、フランシス・フォード・コッポラ監督の妻で、夫が撮った『地獄の黙示録』の製作舞台裏を追った1991年のドキュメンタリー『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』で監督の一人を務め、単独の監督作として、ダイアン・レイン主演の『ボンジュール、アン」や、ロザンナ・アークエット主演の『Love Is Love Is Love』(日本未公開)などコメディ作品を手がけたほか、やはり夫の監督作『コッポラの胡蝶の夢』に絡めた2007年のドキュメンタリー『Coda: Thirty Years Later』を監督として送り出していた。同作にはコッポラ一家のホームムービーなど貴重なクリップも収められている。映画はもちろんのこと、夫のワイナリーの事業も支え、亡くなるまで人生を共にした。
長男のジャン=カルロ・コッポラは映画プロデュースに携わりつつ、22歳の若さで逝去。次男のロマン・コッポラは俳優でプロデューサーとして活躍。そして長女のソフィア・コッポラは、言わずと知れた映画監督・脚本家。さらにジャン=カルロの娘のジア・コッポラも映画監督になったし、親戚にはニコラス・ケイジ、ジェイソン・シュワルツマンという人気俳優もいて、“映画一族”という名がここまで似合うファミリーもいない。
しかし近年、ソフィア・コッポラが「巨匠の娘」と紹介されることは少なくなった。20年前の『ロスト・イン・トランスレーション』でアカデミー賞脚本賞を受賞し、その後も『マリー・アントワネット』などで世界三大映画祭の常連となったソフィアは、父の影も過去のものとなり、一人の映画作家として世界の映画ファンから認められる存在になった。監督作の確固たるスタイルから、ガーリーカルチャーの第一人者と称され、リスペクトを受けている。
そのソフィアの最新監督作『プリシラ』は、あのエルヴィス・プレスリーと結ばれたプリシラ・プレスリーの回顧録を映画化したもの。14歳でエルヴィスに出会い、見初められたプリシラが、グレースランドに呼ばれ、やがて結婚、出産するまでの10年間ちょっとが描かれる。当然のごとく、ソフィア・コッポラらしい映像、美術がぎっしりで、その視点はプリシラに凝縮された、まさに“ガーリー”な一作となっている。
先述したとおり、近年は父親の名が言及されなくなったため、ソフィア・コッポラのインタビューでも両親の話が出ることは少なくなった。そんなソフィアが、昨年行われた『プリシラ』の会見で、母親のことを話し出したのである。
「プリシラの物語には、私の母の世代の女の子なら誰もが経験したことが詰まっていると感じました。母があの時代に何を経験したか。私や、また私の娘の世代で経験することは大きく変わりましたが、共通点も見つけることができるのです」
会見の後日、ソフィアとのインタビューでこの答えについてもう少し突っこんで聞いてみた。
「あの時代の女の子たちの髪型やメイクアップがなぜ、あんなスタイルだったのかに思いを巡らせました。同時に、プリシラは仕事に就かず、エルヴィスと一緒に生活しただけで、それは当時の女の子にとって、ある意味、当たり前。私はあの時代に生まれなくて良かったと思ったのも事実です。あの時代から何がそのまま今に受け継がれ、何が変わったのか。プリシラの成長した時期を母の人生に重ねて描くことは、とても興味深かったです」
この時のインタビューでソフィアは『プリシラ』の映画製作で最も楽しかった時間が、美術のディレクションだったことを明かしていた。
「あの時代の航空チケットをデザインしたり、エルヴィスが表紙になった雑誌を再現するために、エルヴィス役のジェイク(ジェイコブ・エロルディ)のスチル撮影する時間を、私は心から楽しみました。映画製作のプロセスでは、やっぱり美術が最高に好き!」
当時のカルチャーを蘇らせるうえで、ソフィアは母エレノアにアドバイスをもらったかもしれない。母親の生きた時代との繋がりを感じながら撮った『プリシラ』。エレノア・コッポラは、元気なうちに観ることができただろうか。おそらく観ていたと信じたい。さまざまな新しい経験を積んだであろう時代を、人生の最後に娘が監督作で再現してくれたことに、エレノア・コッポラは満足して旅立っていったのではないか。
なおソフィアの父、フランシス・フォード・コッポラは現在85歳。映画作りへの野心は衰えておらず、最新作『メガロポリス(原題)』が5月のカンヌ国際映画祭でお披露目される。日本での公開などは、まだ決まっていない。
『プリシラ』は、TOHOシネマズ シャンテほかで全国公開中