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「タイムカード廃止」で無限残業へ?! 有名私学の恐るべき実態とは…

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
画像はイメージです(写真:アフロ)

 12月1日、三田労働基準監督署が、東京都港区にある広尾学園中学校・高等学校に対し未払い賃金、タイムカードの廃止、年5日の有給休暇の未取得に関して是正勧告を出したことがわかった。

 私立小学校、中学校、高校の教員の労働環境改善に取り組む「私学教員ユニオン」と、在職の非常勤講師が厚生労働省で記者会見を行い明らかにした。是正勧告とは、労働基準監督署が法律違反を公に認定し、使用者へ改善を求める行政指導のことだ。

参考:広尾学園に是正勧告 非常勤講師への賃金未払い、タイムカードも廃止(2023年12月1日・朝日新聞)

 現在、学校現場では、常勤講師(フルタイム・1年更新)や非常勤講師(パートタイム・1年更新)と言われるような、低処遇かつ1年更新の細切れ雇用で働く「非正規教員」が増えている

公立学校では1〜2割、私立高校では約4割が不安定で未来が見えない非正規教員として働いていると言われている。授業等、学校現場の基幹的業務を担う非正規教員を「雇用の調整弁」として使い捨てにすることは、生徒との信頼関係の構築や継続的な教育等を阻害し、結果として教育の質も下げる社会問題となってきている。

 今回、労働基準監督署へ通報をした在職の非常勤講師のAさんは、1年契約のため「雇い止め」(雇用契約の打ち切り)の危険もある中で、有名校の改善を通じて教育業界全体を変えたいと思い行動を起こしたという。本記事では、広尾学園で働く非常勤講師の労働実態や労働基準監督署からの是正勧告の内容を通じて、非正規教員問題について考えていく。

どれだけ時間外労働をしても「定額働かせ放題」の非常勤講師たち

 私学教員ユニオンへの調査をもとに、Aさんの労働環境と労働基準監督署から出された3つの是正勧告の内容について順を追って見ていこう。

 まずは未払い賃金については、広尾学園では、以下のように授業1コマ(50分)に対して、授業準備や教材研究等のために30分間の「準備時間」が契約上認められ、賃金が支払われている。

 資料:Aさんの雇用契約書の給与部分(私学教員ユニオン提供)
資料:Aさんの雇用契約書の給与部分(私学教員ユニオン提供)

 しかし、契約上の「準備時間」に当たる30分間だけでは、膨大な業務を行うことは、事実上不可能であったという。実際には、授業準備や教材研究、小テストの作問・採点、レポートの課題作成・提出後の評価、生徒の質問対応、定期試験問題の作成・印刷・梱包・採点・平常点の換算など多くの業務が発生するからだ。

 また、雇用契約書には「時間外、休日、深夜勤務は原則禁止とする」との記載があるが、学校は非常勤講師たちの時間外労働を黙認しており、授業以外にどれだけそれらの業務を行なっているかの管理もできていなかったという。

 こうした対応が矛盾したものであることは、定期試験の採点に明瞭に現れている。採点業務は学内で行わなければならないため、休日出勤をして朝から夕方まで出勤して採点をしている非常勤講師もいる。しかし、それらの非常勤講師には、業務だからこそ支給されるはずの交通費が出るだけで、肝心の採点や成績処理業務に対する賃金は支払われなかったという。

 以上のように「授業1コマ(50分)+準備時間(30分)」を原則の契約とする一方で、それ以外にどれだけ働いてもその分の賃金が払われない「定額働かせ放題」の状況が非常勤講師に広がっているというのが労働組合側の主張である。

 Aさんは独自に労働時間や業務内容の証拠を残しており、今回、労働基準監督署はAさんの働き方について、労働基準法24条、37条違反(賃金未払い、割増賃金未払い)の是正勧告を出した。学校側が作成した「形式的な契約」の正当性は認められなかった形だ。

文科省の「教員の働き方改革」にも逆行するタイムカードの廃止

 次にタイムカード廃止の問題についても見ていこう。私学教員ユニオンによると、広尾学園で働く非常勤講師は、2022年8月までタイムカードで出退勤時間を管理されていた。ところが、2022年の9月から突然タイムカードが廃止され、紙媒体の「出勤簿」(カレンダーのようなもの)へハンコを押すだけの形に変わったという。

 これでは、その日に出勤したかどうかはわかっても、何時から何時まで働いていたのか、客観的な記録は残らない

 タイムカードを廃止した理由について、学園はAさんらへ、「タイムカードを使用する人が多くなりタイムカードを置くスペースがなくなったから」などと言ったという。これが、社会的にタイムカード廃止の理由にならないことは明らかだろう。

 現在、教員の劣悪な労働環境は社会問題となっており、文科省も「教員の働き方改革」を進めている。その中で、教員の過重労働の防止や心身の健康・安全を把握するなどの上では、客観的な労働時間管理は最重要事項とされている

 そもそも、2019年に法改正がなされ、タイムカードなどでの「客観的な労働時間管理」が法的にも使用者へ義務付けられている

参考:客観的な記録による 労働時間の把握が 法的義務になりました(厚労省)

 また、文科省も教員の労働時間をタイムカードなど客観的な方法で把握することについて、「法律で義務づけられており100%を目指したい」と以下の2020年の記事の中で述べ、公立学校への導入を徹底させてきた。

参考:進む教員のタイムカード管理 6府県が9割超、最低は…(2020年12月25日・朝日新聞)

 以上からも、2022年9月にタイムカードを廃止した広尾学園の対応がいかに国の「教員の働き方改革」の流れに逆行しているのかが、よくわかるだろう。労働基準監督署は、この状況に対して、労働安全衛生法66条の8の3違反(タイムカードなどによる客観的な労働時間の把握ができていない)として是正勧告を出した。勤務時間が記録されなくなることで、長時間労働や賃金不払いが生じるリスクも広がってしまうことは明らかだ。

 一般的には、「タイムカードの廃止」を行う使用者の狙いは、そもそも労働時間をわからない状態にすることで、労基法違反が指摘された後も賃金支払いを免れるようにするところにある。「置くスペースがなくなったから」などと理解に苦しむ主張をしている点から見ても、今回のケースでもこうした不法な狙いがあった可能性は否定できないだろう。

法的義務である年5日の有給休暇の消化を1日もできず

 最後に、年間5日の有給休暇の消化についても検討していこう。2019年4月、国は「働き方改革」の一環として法改正をし、年10日以上の有給休暇が付与される労働者に対して、年5日の有給休暇の「確実な取得」を使用者へ義務付けた。

参考:「年5日の年次有給休暇の確実な取得」(厚労省)

 広尾学園でも、Aさん含めた非常勤講師の中に、年間10日以上の有給休暇を付与されている教員もいるという。その場合、法律上は「年間5日以上」の有給休暇を実際に利用させなければならないわけだが、広尾学園はその義務を果たしていなかったという。

 特にAさんは、2022年度に15日の有給休暇が付与されていたが、たった1日さえも有給消化できていなかったという。このような状況は明確な法律違反であったため、労働基準法39条の7違反(法律で義務となる年5日間の有給休暇の消化ができていない)として労働基準監督署は是正勧告を出したようだ。

非正規教員の労働環境改善は教育環境改善にもつながる

 労働基準法は、労働者が働く上での「最低限の基準」を定めた罰則付きの法律であり、使用者として最優先に守るべきものだ。現状の違法状態は早急に改善すべきであろう。

 そのうえで、より重要なことは、なぜこのような状況がこれまで学内でまかり通ってきたのかや、非正規雇用の使い捨てが社会全体に与える影響をも考慮し、対策について考えていくことだ。

 今回のような事件の背景には、非正規雇用労働者の権利行使の困難さがあるだろう。というのも、私学教員ユニオンによると、Aさんの他にもこのような違法行為を認識している非常勤講師は学内にいるという。しかし、声を上げるとすぐに嫌がらせや雇い止めなどの報復を受ける危険性があるため、問題を認識していたとしても「泣き寝入り」をせざるを得ない構造がある。

 そうした中で、広尾学園では、非正規教員は年々増加しており、今では約半数となっているという。下表が、学校が私学教員ユニオンへ開示した直近5年間における雇用形態別の教員数のデータである。5年間で非正規雇用である常勤教職員と非常勤講師が11名増える一方、正規雇用の専任教職員は13人も減少している。

 2022年の非正規率は、約47%にも及び、学内では正規教員から非正規教員への代替が進んでいることがよくわかるだろう。

資料:学校から私学教員ユニオンへ提出された書面の数値から作成
資料:学校から私学教員ユニオンへ提出された書面の数値から作成

 冒頭に触れたように、教育業界全体に広がる非正規教員の労働問題は、教育の質にも影響する問題だ。非正規教員の増加により、広尾学園でも、毎年約20人の教職員が退職しコロコロと入れ替わっている状況だという。毎年のように、担任や授業担当者、部活顧問などが変わる状況では、教育の前提となる生徒や保護者との信頼関係の構築や、継続的に質の高い教育を生徒へすることは困難ではないか。

 声を上げたAさんは、「広尾学園の問題が社会的に認知されることは、日本の教育業界全体の改善につながると考えています」と訴えている。教育業界全体へ大きな影響力を持つ「有名校」こそが、率先してより良い労働環境や教育環境の構築を進めるべきではないか。

 そして、Aさんのように声を上げ、まずは違法状態を是正するところから改善を進めることが、非常に重要な一方になるのではないだろうか。

 最後に、私学教員ユニオンでは、年度末に向けて増えてくる雇い止め等、非正規教員からの無料労働相談を強化しているという。もし、私立学校で働いている方で、今回のAさんのような問題を抱えている方は、ぜひ私学教員ユニオンや労働弁護士などの専門家へ相談をしてみてほしい。労働問題に対して、我慢したり退職したりするのではなく、Aさんのように仲間と共に「改善をする」という選択肢があることを知ってほしい。

※なお、広尾学園側には今回の是正勧告についての見解を求めているが、現時点で回答を得られていない。

無料労働相談窓口

私学教員ユニオン

電話:03-6804-7650(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)

E-mail:soudan@shigaku-u.jp

公式LINE ID: @437ftuvn

*私立学校の教員の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。

【非正規教員労働相談強化中!】年度末での雇い止めを告げられた方はご連絡を!

NPO法人POSSE 

電話:03-6699-9359(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)

E-mail:soudan@npoposse.jp

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*筆者が代表を務めるNPO法人。労働問題を専門とする研究者、弁護士、行政関係者等が運営しています。訓練を受けたスタッフが労働法・労働契約法など各種の法律や、労働組合・行政等の専門機関の「使い方」をサポートします。

ブラック企業被害対策弁護団

03-3288-0112

*「労働側」の専門的弁護士の団体です。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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