完全子会社で東京ドーム建て替えの可能性も 球場建て替えの歴史から今後を考察
先日、巨人の本拠を所有、運営する株式会社東京ドームの株式に対する公開買い付け(TOB)が実施され、三井不動産が議決権ベースで84.8%の株式を取得、完全子会社化したというニュースが流れた。三井不動産は、株式の20%を巨人の親会社、読売新聞本社に譲渡し、ドームに加え周辺のホテル、遊園地、商業施設の再整備に共同で取り組んでいくという。プロ球団が本拠地球場を所有、もしくは傘下に収めるのは近年の日本球界の流れではあるが、今回の読売新聞による東京ドームの「子会社化」の先には、老朽化もささやかれている東京ドームの建て替えも念頭にあるという。
バブル真っただ中という時期に誕生した日本初のドーム球場
東京ドームの開場は、昭和の実質最終年にあたる1988(昭和63)年(翌年1月8日から平成に年号が変わった)の3月のことである。この年には、東京ドーム開場に加え、青函トンネル、瀬戸大橋が開通するなど、バブル経済の中、近未来を予測させる巨大建造物が次々と登場した。
当時学生だった私は、日本一周の旅に出、廃止間際の連絡船で北海道に渡り、帰りは青函トンネルをくぐって本州に戻り、その足で東京ドームのこけら落としとなる巨人対阪神のオープン戦を観戦した。この時球場外から見た、大都会の真ん中に現れた白いドームとガラス越しに見える巨大スタンドに胸を躍らせたことを今でも鮮明に覚えている。それはまさに「夢のドーム球場」だった。
しかし、あれから早33年。日本初のドーム球場も、1990年代のドームブームを経た今では物珍しさもなくなり、当時「ホームランが激減するのでは」と懸念された「国際規格」を満たす両翼100メートル、中堅122メートルのフィールドも、現在ではここで放たれるホームランが「ドームラン」と揶揄されるなど、「狭い」部類の球場とされるようになっている。それに加え、時とともにくすんだ白屋根に「老朽化」がささやかれるようになっている。そしてなによりも、時代は全天候型のドーム球場から、広島のマツダスタジアムに代表される単なる観戦の場に留まらない娯楽空間である「ボールパーク」に移ってしまった。
老朽化した「昭和の球場」からドームへ。平成の球場建設ラッシュの背景
平成はまさに「ドームの時代」だったと言っていい。東京ドーム開場後、1990年代に日本ではドームブームが訪れた。1993(平成5)年に福岡ドーム(現福岡PayPayドーム)、97(平成9)年には大阪ドーム(現京セラドーム大阪)、ナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)が相次いで開場。99年には西武ライオンズ球場がドーム化された(現メットライフドーム)。このドーム建設ラッシュは2002年の札幌ドームまで続くが、この背景のひとつとして、この時期多くのプロ野球本拠地球場が老朽化による建て替えの時期を迎えていたことが挙げられるだろう。
鉄筋コンクリート建造物の法定耐用年数は47年。実際にはメンテナンス次第では100年はもつと言われているが、現実には鉄筋コンクリート造りのマンションなどは45年ほどで建て替えられることが多い。
日本のプロ野球の本拠地球場で最古のものはいわずもがな阪神タイガースの本拠、甲子園球場である。開場は1924(大正13)年というから、当初からある内野中央スタンドは今年で築97年ということになる。現在見られるマンモススタンドが出そろったのは、1929(昭和4)年にアルプススタンドが完成した後、大阪タイガースが発足し、日本職業野球リーグ開始とともにこれに加入した1936(昭和11)年の11月に、「ヒマラヤスタンド」と名付けられた大きな外野スタンドが建設されてからのことである。この年を起点としても、築85年というこの球場はまさに「聖地」と呼ぶにふさわしく、1990年代のドームブームの際のドーム化の声もかき消し、今や建て替えなど口にすることもはばかられる「歴史的建造物」となっている。昔の建物は頑丈だとはよく言うが、1995年の阪神淡路大震災でも、基本構造には支障が出ず、2008年から翌09年にかけてのリニューアル工事を経て現在に至っている。
一方、甲子園の次に古い1926(大正15)年開場のヤクルトの本拠、神宮球場は、東京五輪後に取り壊され、秩父宮ラグビー場の跡地に新球場が建設される予定となっている。
その次に古いのは意外なことに、一番新しい球団、楽天の本拠、楽天生命パークである。ネーミングライツ以前は宮城球場と呼ばれたこの球場の開場は、高度成長前の1950(昭和25)年。2004年の球団創設後、ここに本拠を置いた楽天球団が増改築を繰り返し、「ボールパーク化」していることもあり、一時期議論の俎上に上がったドーム球場新設などの案は棚上げになり、築71年を経ても、今しばらくは使用されるものと思われる。
古さの点では、DeNAの本拠、1978(昭和53)年開場の横浜スタジアム、その翌79年開場のメットライフドーム(開場当時は西武ライオンズ球場)が続くが、この両球場も前者は東京オリンピックに備えて内野スタンドの増築、後者は1999(平成11)年にドーム化された上、このオフに、大幅なリニューアル工事を施しているため、当分新球場建設はないだろう。
ということで、東京ドームは12球団の本拠地の中で6番目に古い球場となり、残りの6球場はすべて平成になってからの建設である。一番新しいのが2009(平成21)年開場のマツダスタジアムだが、築12年ということでまだまだ新しい印象がある。
東京ドームの前身球場は、現在ドームホテルが建っている位置にあった1937(昭和12)年の開場の後楽園球場だ。この球場は、ドームと入れ替わりで1987(昭和62)年にその役割を終えたので、その生涯はちょうど50年ということになる。
後楽園は日本で最初にプロ野球興行を念頭において鉄筋コンクリート造りで建設された球場であった。この球場の開場以降にプロ野球チームの本拠となり、新球場建設や移転により閉場、現在は取り壊されている球場は、藤井寺(1928-2005年)、西宮(1937-2002年)、平和台(1949-97年)、日生(1950-97年)、大阪(1950-98年)、川崎(1952-99年、現在はフットボール場に改築)、駒沢(1953-61年)、広島(1957-2010年)、東京(1962-72年、ただし取り壊しの1977年直前までアマチュアが使用していたという説もあり)の9球場。後楽園を含めた10球場の開場から閉場までの平均「寿命」は約45年である。先に挙げたマンションの建て替えサイクルとほぼ同じと言っていい。
ただし短命だった東映(現日本ハム)の本拠、駒沢球場は1964年東京五輪に際して球場の敷地を本来の持ち主である東京都に返還せねばならなかったという理由から移転、東京(現ロッテ)の本拠、東京スタジアムは、経営難と球団の身売り(1969年からネーミングライツスポンサー、71年より正式な親会社)という理由からロッテ球団が撤退したということで、球場の老朽化が閉場の理由ではない。この2球場を除けば、「平均寿命」は54年ということになる。あたりを見回しても、築50年というコンクリート建造物は決して珍しくはないことからも、現実にはコンクリートのスタンドを備えた球場も、メンテナンスさえきちんとおこなっていれば、50年を超しても使用できるのだろう。
1948年に開場、木造スタンド焼失の後、1952年に再建された中日の旧本拠、ナゴヤ球場は、スタンドが大幅に縮小されながらも開場から73年、現在のスタンドに再建されてから69年を経た今も二軍の本拠として存在している。また東京ドームと同じ1988年に開場したオリックスの旧本拠、ほっともっとフィールド神戸も大阪に移転したオリックスのサブフランチャイズとして今なお機能している。
建設サイクルが短くなってきた北米の球場建設事情
日本が新球場建設ブームに沸いた時代と北米のそれは重なる。メジャーリーグの本拠地30球場のうち、実に24球場が東京ドームが開場した1988年以降に建設されている。ただしこれには、新球場への建て替えだけでなく、球団数拡張に伴う新造も含まれる。
この新造ブームによってチームが去った20の旧本拠地球場のうち、ヒューストンのアストロドーム(築56年)と、サンディエゴのクアルコム・スタジアム(築54年)はいまだ健在である。残りの球場は主亡き後、取り壊された。
そのうち、1922年開場のボルチモアのメモリアル・スタジアムと1923年開場のニューヨーク・旧ヤンキースタジアムは、それぞれ1950年と1976年に再建されている。現存のふたつの旧本拠を除外し、再建された2球場については再建時の開場年からカウントすることにすると、18の旧本拠の開場から閉場までの「平均寿命」は約43年となる。この数字をどうとらえればいいのだろう。
一見、日本の数字と変わらないようにも見えるが、日本の場合、故があって短命に終わった駒沢、東京球場を除いた球場の「平均寿命」となると54年である。この数字からは、新球場建設の大きな要因が旧球場の老朽化にあると考えられる。それに対し、アメリカの場合、1990年代に球場が新造されているにもかかわらず、その後、さらに新球場が建設された例があるのを考えると、球場建設のサイクルはどんどん短くなり、またその要因は老朽化以外にも求められることが推察できる。
1990年代に新球場が建設されながらも、2010年代には早くも「新・新球場」に移転をしたのはテキサス・レンジャーズの本拠、アーリントンと、アトランタ・ブレーブスの事例である。
1995年、野茂英雄投手が日本人としてメジャーリーグ・オールスター戦の先発マウンドに立ったテキサス州・アーリントンのザ・ボールパーク(現グローブライフ・パーク)は、レンジャーズがこの地に移転してきた1972年以来使用してきたアーリントン・スタジアム(マイナリーグの球場として1965年開場)に代わって1994年に開場した、レンガ作りの外観をもつネオクラシック調の「ボールパーク」だ。この球場は現在もまだ健在であるのだが、レンジャーズは昨シーズンより隣接する敷地に新造された開閉式の屋根をもつグローブライフ・フィールドに移転した。昨シーズンは残念ながらコロナ禍によりレンジャーズの公式戦はここで行われることはなかったが、ドジャース対レイズのワールドシリーズが開催されている。前球場のグローブライフ・パークが本拠地球場だった期間は、たったの25年だった。
アトランタの場合、ブレーブスをミルウォーキーから迎えるために1966年に造られたフルトン・カウンティ・スタジアムが使用されてきたが、1996年の五輪に際して野球場に転用することを前提に隣接する土地にメインスタジアムを建設、五輪の翌年からターナーフィールドとしてブレーブスの新本拠となっていた。ところが、この新球場は旧球場の30年よりはるかに短いたった19年でその役割を終え、現在はカレッジフットボールのスタジアムに改築されてしまっている。「主」のブレーブスは、郊外の町、カンバーランドに新造されたトゥルイーストパークを本拠としている。
このふたつの球場の事例を見ると、現在のメジャーリーグのスタジアム建造のサイクルは、40年どころか、20~30年と短くなってきていると考えられる。この要因は無論建物じたいの耐用年数ではないだろう。アーリントンの場合、真夏の暑さと考えると、空調の効く屋根付きの方が集客にプラスになるだろうし、アトランタの場合は、フルトン・カウンティ・スタジアムやターナーフィールドはダウンタウンに位置していたものの、地下鉄駅からかなり距離があり、周辺の治安にも問題があったため、球場に足を運ぶファンの中核をなす富裕層の多く住む、郊外の衛星都市に本拠を移したというのが移転の理由らしい。つまり、現在のアメリカの球場建設のサイクルは、集客施設としての「旬」を目安にスクラップ&ビルドを繰り返すというものになっているのである。また、球場を巨大なエンタテインメント空間に変える巨大ビジョンやアトラクションなど様々な舞台装置が複雑化していることを考えると、小規模の修繕、修築を繰り返すより、完全に老朽化してしまう前に、器ごと建て直すという流れになってきているのだろう。
東京ドームは今年で築33年。空気圧で屋根を支えるなどの複雑な構造を考えると、確かに新球場建設をそろそろ考える頃かもしれない。
1990年代に日本でドームブームが起こっている間、アメリカでは球場を単なる観戦の場ととらえず、ショッピングや食事をし、遊戯施設さえ備えた巨大な娯楽空間とする「ボールパーク化」が進んだ。この波は、日本よりかなり遅くプロ野球が発足し、球場の整備も遅れていた韓国にいち早く上陸した。韓国では2010年代になって3つの本格的なボールパーク様式の新球場が建設されている。
東京ドームの行く末はどうなるのか。「日本初のドーム球場」という歴史的価値を重んじ、甲子園と同じく、現在の施設を修繕しながら維持していくのか、あるいは、時代の最先端を行く新球場を建設するのか。もしそうなれば、現在の球場、ホテル、遊園地、ショッピングセンターをまとめたアメリカのそれに負けない巨大ボールパークに建て替えるのも一興だろう。しかし、それをこれまでと同じ後楽園の地で行うのは現実的でないだろう。そうなると、一時期ささやかれていた卸売市場の去った築地や代々木公園への移転のように、都内のいずれかの地を代替地として探すのもひとつの手ではあるが、ファン心理がそれを許すかどうかも難しいところだ。
今回のTOB前は、100億円かけて現球場を修築整備するということだったが、今回の「子会社化」によって、その「現状維持」の方針から、東京ドームの未来図は大きく変わろうとしている。
(写真は筆者撮影)