日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか
3回目で最終回の今回は、欧州の極左について解説したい。
日本では、極左どころか左派政党すら瀕死の状態であるが、欧州には「新極左」と呼ばれるような新しい潮流と政党が誕生している。
具体的には、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスの「不服従のフランス」、ギリシャ発祥のDiEM25などである(ポルトガルのブロコも入るかもしれない)。
これらは共産主義の「人民の平等」「富の平等」の精神を受け継いでいる。反資本主義グローバリゼーション、反ネオリベラリズム、反民営化、反アングロサクソン流の色彩をもつ。
ただし「すべての財産を国有化しろ」と主張している党はない。
日本では「共産主義」というだけで、変なものを見る目で見られがちである。日本はアメリカの影響が強烈に強いためだろう。しかし欧州大陸は、基本的に左派が強い大陸であることを思えば、このような潮流が出てくるのは不思議なことではない。
世界のベストセラー『21世紀の資本』を書いたトマ・ピケティが、ヨーロッパ人でありフランス人であるのは、偶然ではない(この方は、いかにもフランスの左派らしい気さくなムッシューである)。
フランスの例をあげるなら、思想・哲学としての共産主義が授業などで取り上げられるのは、ごく普通のことだ。
例えば、ソルボンヌ・ヌーヴェル大学(パリ第3大学)の欧州研究学院では、一昨年前の「社会政治思想」の授業は丸ごと、共産主義を研究する授業だった。(ただし、経済的・政治的には、共産主義は完全に終わったものとして扱われている点は、日本も欧州(西欧)も同じである)。
そもそも共産主義の源流はフランス革命であり、世界最初のプロレタリアートの政権は1871年のパリ・コミューンである。その後、欧州大陸の各国で、次々と革命が起こっていったのだ。なので、今起きている「新極左」は、共産主義の思想というよりは、その元であるフランス革命的という言い方はできるかもしれない。
欧州の全体を見れば、大陸の西と東では、共産主義に対する受け止め方は大きく異なるだろう。この稿で取り上げるのは、西欧の話になる。
新極左はEUをどう思っているのか
新極左や極左の政党は、EU(欧州連合)に対してどのような立ち位置なのか。
彼らが「反EU」かというと・・・かなり微妙である。
全体の傾向でいうと、彼らはEU(やIMF)の緊縮財政政策を極めて厳しく批判するので、反ユーロ・反EUに見える。
しかし、「反」=脱退という意味で使うのなら、彼らはダイレクトにEUやユーロの脱退を唱えてはいない。彼らが脱退を主張するときは、「国民投票にかけて」とか「交渉が失敗したら」などのワンクッションが入るようだ。
今のところ「新極左」と呼べるような政党で政権党なのは、ギリシャのシリザだけだ(正確には20近くの左派政党・グループが集まった「急進左派連合」)。
シリザのチプラス首相は、EUの緊縮財政政策を猛批判し、ドイツを帝国主義者のように非難し、ロシアに擦り寄った。選挙戦の激しくEUを攻撃する威勢の良い言葉を聞いていれば、本当にEUやユーロを脱退するのではと思わせる様相だった。
でも、周知のとおり今もってEUを脱退してはいない。それに、公けに「EUを脱退する」と主張したことは、実は一度もないというのだ。
フランスの新極左の主張
もう一つ例をあげよう。フランスの「不服従のフランス」党である。
党首はジャン=リュック・メランションという人だ。「フランス革命に登場する革命の闘士って、こういう男だったんじゃないか」と思わせるような人である。
本人もそれを意識しているのか、ポスターに、「権力をつかめ!」(上記写真)とか「バスティーユを取れ!」などの文言を並べる。いつも決まって、極左を意味する赤色のものを身につけている(ネクタイ、マフラーなど)。
この党は、現行のEUを定めるリスボン条約の大幅見直しを迫り、「最終的にはフランスがEUに残るか否か、国民投票にかける」という。政策は左派であるし、「今のフランスの第5共和制(ド・ゴールが制定)はあまりにも独裁的であるから、もっと市民の声を反映するシステムの第6共和制を実現するべき」と主張している。移民に対しては融和的である。NATO(北大西洋条約機構)も脱退し、入る組織は国連だけだという。
でも、フランスとフランス語圏の役割を強調しているのを見ると、一瞬極右と見間違うくらいだというのは言い過ぎか。
このように、新極左の政党というのは、概してEUを猛攻撃して、愛国心に訴える傾向がある。共産主義というのは、国民国家の枠を超えるグローバルな思想のはずだが、なぜかこうなっている。実に不思議だ。
どういう人が支持をするのか
「不服従のフランス」党を見ていると、ヨーロッパ以外の地域(アフリカ、中東、南米など)から移民してきた子孫のフランス人に、人気が高い傾向がある。
なぜなのだろうか。
まずは経済的な問題。彼らは概してそれほど豊かではない。「富の格差による、下と上の階級闘争」を思わせる発言は、とてもしっくりくるものだ。
次に、アイデンティティの問題。彼らは「自分はフランス人で、フランスを愛したいけれど、どこかよそ者」という複雑な思いをもって生きている。そういう人たちにとってヨーロッパ人になること、「ヨーロッパ」の連合は、違和感をおぼえるもののようだ。でも国連なら大丈夫、問題ない。世界市民的な発想の方が、居心地がいい。
それに、極右が「フランス人」を主張すると、自分ははじかれる不安があるが、極左的な立場から「フランス人」を強調するのは、逆に自分の居場所があると感じられるようだ。
これらの人々は、コアな支持層といえるだろう。
フランスの例をあげたが、フランスだけではない。スペインもギリシャも、たくさんの異なる人々が混ざってできあがっている国である。スペインは南米からの移民が多く、フランスは北アフリカからの移民が多い国だ。新極左政党のコアの支持者の傾向は、類似しているのではないかと思う。
それから、近年急激に新極左が力を伸ばしてきたのは、中道左派(社会党系)が支持を失ってきたことと関係がある。
原因はいくつかある。大きいのは経済政策だ。失業率は高い(特に若者の失業は深刻だ)。左派らしい減税や福祉の充実をやってほしいのに、国の財政赤字と、EU(やIMF)が指導する緊縮財政政策のために実現が難しい。
さらに、移民の大量流入でヒューマニズムに反する発言が増えて、眉をひそめる人や「彼らはもはや左派の資格がない」と思った人もいる。
このように、失望した多くの人たちが支持者となって、新極左政党に流れてきて、大きな力となった。
EUをめぐって極左が対立
新極左は、極右と同じくらいEUを攻撃するが、そうではないケースもある。興味深い例があるので、紹介しよう。
フランスの二大政党の一つ・社会党(中道左派)は、昨年の大統領選と国民議会選挙で、歴史的な大敗を喫した。5年続いたオランド社会党政権は、極めて厳しい評価を受けたことになる。
超逆風なのはわかっている中、社会党候補として大統領選に出馬したのがブノワ・アモンである。「ベーシックインカム」を政策に掲げるなど、かなり極左寄りの政策を打ち出しのは大いに話題をさらった。
しかし、社会党への大逆風には逆らえず、大敗した。その後社会党を去って、「Generation.s」という新しい政党を立ち上げた。
彼は右傾化するフランスに危機感を抱き、「不服従のフランス」党のメランションに、「政策は似ているのだから、反EU的な態度を変えてくれるなら、共闘しよう」ともちかけた。しかし、断られたのだ。
このことは、大変興味深い。中道左派の人物や政党の政策案が極左寄りになっていき、もはや極左と区別がつかなくなってきていたのだが、実は大きな違いがあることになる。「反EU・反ユーロ」を声高に唱えているか否かで、中道左派か新極左かが区別できるようになるかもしれないのだ。新たな定義というべきだろうか。
そして今アモンは、ギリシャ発祥の新極左、DiEM25に近づいている。ギリシャのチプラス内閣で2015年に財務大臣をつとめた経済学者ヤニス・バルファキスがつくった政党だ(DiEMとはDemocracy in Europe Movementの略)。
DiEM25は「もっと別のEUをつくるために、ヨーロッパ人が共に戦おう」という姿勢だ。現在すでにある制度に基づいてヨーロッパ・ニューディールを実現させ、2025年までに新しいヨーロッパ憲法を創ろうと提唱している。
汎ヨーロッパ的な政党を目指しており、アモンとバルファキスは、国の枠を超えて、来年の欧州議会選挙で共闘すると決めた(ちなみにDiEM25は、五つ星運動にも共闘を呼びかけていた)。
筆者は、まだ小さいが、この動きに注目している。
極左とは言うけれど・・・
新極左と呼ばれる人たちは、階級闘争的に「下と上」の対立軸を強調する。資本主義や市場経済、金融機関が民主主義を弱めるという論理をもっている。そしてEUやユーロ、緊縮財政政策を攻撃するのだ。
しかし、彼らの中に「財産を国有化するべき」と唱えている党は、一つもない。
筆者は「この人たち、EUがなかったら、どうしていたんだろう」「攻撃する対象があって、まとまれて良かったね。日本なんかこんなに困っているのに、何もないよ」と思うことがある。
ギリシャのチプラス首相と同じで、どうせ、政権をとってもEUを脱退するわけがないと、冷めた見方もする。「(1)EUの本質とは」の記事で書いたように、EUというのは基本が左派である。それに、本当にEUを脱退したら、排他的な極右と同じになってしまうという矛盾が生じる。
つまりは、すべて、EU内の壮大な内輪もめに見えないこともない(ちょっと皮肉すぎるだろうか)。
新極左の本音?
この点、とても興味深い、新極左の本音に見える発言があるので紹介しよう。
スペインのポデモス党のパブロ・イグレシアス党首の発言である。2015年2月、ニューヨーク市立大学大学院センターで行われた講演と質疑応答で、こう答えている。
「マーストリヒト条約については、私の意見では、あれは間違いでした。国家の主権が損なわれたからです」。「欧州中央銀行という独立機関に、国家のもつ非常に大切な権限を与えてしまいました。自国通貨をもち発行するという権限です」
「今となっては、他に選択肢がなくてとても残念です。『スペインをユーロ圏から離脱させたいのですか』ときくジャーナリストに、『そんなことはない』と答えると、『じゃあユーロ通貨を好むのですね』と言われました。いいえ、私の理想ではないのですが、これが現実であり、別のものをつくるのは、たぶん無理でしょう」
「私が資本主義の弊害を強く認識していたとしても、わが党が選挙で勝ってできることは限られています。せいぜいが自由市場経済の隅っこの部分で、小さな改革をするだけです。おまけに、経済大国と渡り合わなければいけません。選挙に勝っただけで、資本主義は変えられません」
「我々はただ、民主主義のもとでは金融業界の権限は制限される、ということをはっきりさせたいだけです。システム全体を変えるほどの力はありません」
ここまで率直だと、かえって知性を感じてしまう。
もちろん、発狂と見間違うほどの共産主義アレルギーのあるアメリカでの質疑応答だから、彼ら向けに言葉を選んだ側面はあると思う。また、ここまで率直に話したのは、アメリカという「欧州の外」で、テリトリーの外だったからだと感じる。
資本主義のEUを変革
だから、筆者は前述のDiEM25に注目しているのだ。
バルファキスは、ごく短期であるがチプラス政権に大臣として携わった経験があるためか、言っていることがずっと建設的に見える。まだまだ荒削りで不明な点も多いが、とても面白そうな存在である。
反EUをいたずらに叫ぶのではなく、「今のEUは資本主義の構造だから、もっと別の内容の、社会主義的なEUをつくる」という姿勢なのである。まず極左的な精神の政策をEUで実現して、それを世界に広げていくのだとしたら、このほうがずっと思想に矛盾がないように思える。しかも、経済学者のせいか、経済政策により具体性がある。
前述したように、本当にEUを脱退するなら、極右と同じになってしまう(実際、極右と極左はなんだか似てきている)。
それでも脱退して、昔の共産主義のような「万国の労働者の団結」「プロレタリア(労働者)による世界革命の実現」「財産の国有化」を叫ぶのなら、是非はともかく、それも筋のとおった一つの思想であり、極右とは明確に区分けできる。でも、それもない。
さらに、「EUは地域ブロックであり、世界市民の実現に反する存在だ」「世界の労働者の団結に、EUはじゃまだ」とでも論理的に主張すればよさそうなものなのに、聞こえてくるのは、ブリュッセルに対する敵愾心を感じさせる発言ばかりだ。
なぜしないのだろうと、筆者はずっと疑問に思っていた。「(1)日本人が誤解するEUの本質とは」の記事に書いたように、「EU愛国主義」というような、EUで排外的にまとまるという様態や意識そのものが、一般市民にはほとんど(まだ)存在しないからだと気づいた。ほとんど存在しないものに対して意義を唱えようがない、というのが筆者の結論だ。
だから、彼らが脱退を主張するときは、「国民投票にかけて」とか「交渉が失敗したら」「一つの選択肢として」などのワンクッションが入るようになるのではないか。
結局、プロテストしているだけのように見えてしまう。「そもそも彼らは本当に極左なのか」という意見が出るのも、当然というべきだろう。あれだけ痛烈なEU攻撃・ユーロ攻撃をしておいて、今やすっかりEUになじんでいるように見えるギリシャ・シリザのチプラス首相の前例があるだけに、よけいにそう思う。
このように様々に割れている「新極左」であるが、彼らは欧州レベルでは団結はしていることは、付け加えておく。
今も一応残っている共産党も、新極左と呼ばれる党も、かなりそちらよりの社会主義政党も、欧州議会では一緒に「欧州統一左派」を組んでいるのである(これが「北方緑の左派同盟」とくっついて、「欧州統一左派・北方緑の左派同盟」という欧州政党をつくっている)。
極右と極左に分離する欧州で、極左の武器
大量の絶え間ない移民は、「あなたに人権を語る資格があるか。ヒューマニズムを唱える資格があるか」という問いの踏み絵になってしまった。同じ人間として彼らを助けられないのなら、人間の平等だの人権だのヒューマニズムを語っても、白けるだけである。
こんな状況でも、移民に親切で、援助活動を行っている人たちはたくさんいる。本当に驚いてしまう。彼らを見ていると、感動する。人として打ちのめされる思いがする。自分は、人間の平等を目指して闘ってきた欧州大陸に生きているのだと実感する。
「移民は、同じ人間として、ヒューマニズムの点から受け入れるべきか」。この問いに政党レベルで「イエス」と答えている所は、もはや欧州の南のほうでは、新極左くらいになってしまった。彼らは移民の保護に好意的である。この点では新極左の政党は大したものだと、感嘆している。そして、極右と極左がなんだか似て見えてくる昨今、この1点が極右と極左を決定的に分ける、極めて重要な点なのだ。
中道右派はどんどん極右に近づいて行き、中道左派はどんどん極左に近づいて行き、両極端になっていく。突きつけられた問いが、いかに人間として過酷かを物語っている。
ただ、北のほうでは中道左派がもちこたえているし、緑の党(左派)がある。フランスのように、今までのカテゴリーに入らない新しい政党がいきなり政権をとるケースもある。この違いは、やはり欧州の南北経済格差だろう。あと、新極左のあり方が、ラテンアメリカの影響を受けているためもある。
最後に一つ、新極左と呼ばれる政党の長所を述べておきたい。
欧州大陸には、昔からさまざまな「異質」な人間がやってきた。理由は簡単だ。大陸だからである。民族の違い、宗教の違い、肌の色の違い、文化や習慣の違い・・・もう殺し合いはしたくない、心の底からうんざりだ、どうやったら平和に共生できるのかーーそのためにヒューマニズムはうまれたし、欧州連合は建設されたと言っていいと思う。
しかし人間は、異質なものに対しては、恐怖も覚えるし、差別感情をどうしてももってしまうのだ。
それに、差別社会は、差別を拡大再生産してゆく。「私は×××だから差別されている。辛い。でも、あの人たちよりはマシ。あの人たちは×××だから。私は違う」というように。×××に当たるものは、国籍、身分、出身、職業、性差、宗教などであるが、自分の力や個人の力では変えようがないものであることがほとんどである。
現代の欧州大陸においては、問題になるのはほとんど「移民(またはその家族)」である。
共産主義思想のもつ階級闘争理論というのは、これを覆い隠す作用がある。移民(またはその子孫)が差別されているのは、出自のせいではない。貧しいからこうなるのだ、悪いのは金持ちだ、貧しい人たちみんなで団結しよう!ーーという主張は、人種差別を乗り越えて平等を実現するための一つの方法であり、思想なのだ。新極左の政党は、この武器をもっていると思う。
とはいえ、マルクス・エンゲルスの場合は、その先に「財産の国有化をして平等を実現」という理論と具体的な方法論があった。だからこそ、是非はともかく、世界中に波及した、一つの偉大な思想だったのだ。今の新極左には、それはない。結局、「極左『風』」ということになるだろうか。
最後に繰り返しになるが、新極左と呼ばれる政党が政権をとったら、本当にEUを離脱するかどうかは、筆者ははなはだ疑問だと思っている。つまり、中道左派も極左も、実は両方あまり変わらないのかも???
もっとも、「極左」の定義そのものを、時代とともに変えなくてはならないのかもしれないなとも思う。
* * *
今の状況では、「もう移民はうんざりだ」という人々の気持ちは、無理もないと思う。あまりにも短期間に増えすぎた。これ以上の流入を阻止するのは、全体の合意だろう。
そして、今もう既にいる人については、人間としての待遇を損なうことなく対処を考えるという姿勢や言動をかなぐり捨てた時、追い出せ、排斥しろ、という時、人は極右になる。
たった1枚の薄布を着ているか否かで、アートを表現するダンサーで芸術家なのか、裸を売りにする風俗ダンサーで売春なのかの評価が分かれてしまうように、人間の尊厳は、そのたった1枚の薄布を、意地でも着続けるか否かにかかっているのではないだろうか。
参考記事
日本人が誤解するEU(欧州連合)の本質とは何か。欧州の極右とは、そして極左とは。(1) EUについて