心技体と「知」で戦う時代へ。立命大vs京大のアナリスト対決
データ班、アナリスト。近年、アマチュア球界でも広がりつつあるこの分野において、立命館大学と京都大学は専任の学生スタッフを置いている。春季リーグ戦第4節での直接対決では両者の頭脳が激しく火花を散らした。
育成やサプライズ先発に継投策。京大の三原は投球分析の専門家
開幕を1ヶ月後に控えた3月上旬、京都大学のブルペンで左の主力投手、牧野斗威(4年・北野)が投球練習を行なっていた。捕手が構えるインコース付近にきっちり投げ込んだが甲高い捕球音は返ってこない。それもそのはず。牧野の持ち味は打者の手元で微妙に動くクセ球だ。ラプソードで計測した回転効率は60%台後半から70%前後。綺麗なバックスピンであるほどこの数値は高くなり、空振りの奪えるホップするようなストレートを投げ込む好投手なら優に90%を超える。誰しも低い数字より高い数字の方が嬉しいもの。牧野も回転効率を高めようと取り組んだことはあった。だがそれだと威力のない中途半端な球になってしまう。ならば回転効率が高くないことを武器にするのが生きる道。そのようなアドバイスを送ったのが投球分析を専門とする野球経験のないアナリスト、三原大知(4年・灘)だ。入試という非常に高いハードルを超えなくてはならない京都大学では、完投能力の高い好投手の入部を待つというのは現実的ではない。総合力で及ばなくともそれぞれの特徴を磨き上げることで底上げに成功、強豪私学とも戦える投手陣を作り上げた。
三原は練習では各投手に応じたアドバイスを送り、試合では投手起用に関して大きな権限を持つヘッドコーチとしてベンチ入りする。1勝1敗で迎えた関西大学との開幕節第3戦、先発マウンドに上がったのは正捕手の愛澤祐亮(4年・宇都宮)だった。周囲を驚かせたこの奇策は三原が2年前から密かに温めていた極秘プラン。実行に移すまでの過程は1月末に「ひょっとしたらあるよ」と伝え、2月上旬にブルペン入り。その投球を見て2月半ばにはリーグ戦登板を正式に通達した。重要なマウンドを任された愛澤は4回を2安打無失点と大役を果たす。この好投に三原は「僕としては予想通り。期待通りのピッチングをしてくれました」としてやったり。昨秋王者の関西大学はノーマークのアンダースロー投手に翻弄され、勝ち点を落とす。京都大学にとって開幕節での勝ち点は2002年秋以来、関西大学から勝ち点を挙げるのは関西学生野球連盟が誕生した1982年の秋以来という快挙だった。
このサプライズ起用は試合前から決めていたもの。試合中に的確な判断力を発揮したのが4月22日に行なわれた立命館大学との1回戦だった。5回2失点と試合を作った水江日々生(3年・洛星)に代打を送り、1点ビハインドの6回からは継投となった。もう1点もやれない状況の中で牧野が3回を無失点、最終回は徳田聡(4年・北野)が無失点に抑え追加点を与えなかった。この継投順は三原の進言があったからだと近田怜王監督が明かす。「牧野を継投したところも僕とはプラン違ったんですけど、彼が今の調子を見て選択してくれているので助かっているなと。僕が野手の方に集中出来るのでありがたいなと思ってます。僕は先に徳田を使おうかなと思ってたんですけど、そこは彼の判断で、しっかり見てくれてる結果だなと感じました」。6回の相手の攻撃は9番から。継投で最も気を遣う代わり端に走者をためてしまえばクリーンアップに打順がまわる。三原は「ピンチを作って怖いバッターが続く場面で投球の幅は牧野の方があるので。相手の中軸が来るところだったので牧野から行こうと話をしました」と近田監督に進言し採用された。1点を追う9回裏に1死満塁としたもののあと1本が出ず同点、逆転サヨナラはならなかったが投手陣はベンチの期待に応えしっかり結果を残した。
5回までに6四球を与えながら2失点だった水江についても三原は「調子は良かったと思うんですけど、彼のピッチングと審判さんの相性が良くなかったのかな。でもよく粘って試合をまとめてくれたのはさすがやな」と及第点以上の評価を与えていた。ただし立命館大学のデータ分析担当、田原鷹優(4年・開智未来)の見解は異なる。6四球はたまたまではなく狙ってもぎ取ったものだった。
割り切りによって得意球を封じる。田原の策が功を奏し連敗ストップ
水江は抜群の制球力が武器でゲームメイク能力に長けた右腕。前回登板の同志社大学戦では7回を無四球2失点と好投していた。対して立命館大学は開幕から4連敗中で、この間わずか1得点と課題は明白。打線が本調子でない中で田原の立てた対策は相手の得意球を封じることだった。「捨てる球は捨てて四球も取れてる。インコースのカットボールを捨てて選べればカウントも整ってくるかな。特に左には多いのでそれを捨てようと話をしました」。左打者のインコースに投げ込むカットボールは水江の生命線であり、それを安打にすることは難しい。この日の立命館大学打線は9人中6人の左打者が並ぶ。思い切って捨てるという田原の策がハマり5回までに6つの四球を選び107球を投じさせた。水江がリーグ戦で投球回を超える四球を与えたのはこれが初めて。しかも2点を奪い逆転に成功した5回の攻撃で、四球を選びチャンスを拡大した3番の桃谷惟吹(3年・履正社)と同点打を放った4番の白瀧恵汰(4年・履正社)、勝ち越し打を放った7番の竹内翔汰(2年・創志学園)は試合前に田原が期待する選手として名前を挙げていた3人だった。「そこが打てないと点を取れない。打つべき人が打って、塁に出るべき選手が出て理想的な点の取り方だなと思います」。守備面では相手打者の打球方向を集計し選手に提供、定位置から数歩動いた細かなポジショニングが度々見られた。三原が投球分析に特化していることとは対照的に、田原が扱うデータの範囲は実に広い。
入部初日にレベルの違いを痛感。データ分析班として恩返しを誓う
田原の母校である開智未来は中高一貫の進学校。高校に硬式野球部が出来たのは田原たちの代が入学してからだった。同級生は女子マネージャーも含めて最大で10人、受験に備えて2年秋で引退する選手もいたため最後の夏は5人ぐらいだったという。お世辞にも強豪とは呼べない環境で高校時代を過ごし、それでも野球ありきで立命館大学の門を叩いた。「もっと練習したら出来るかもしれない」そんな希望を持って名門大学のグラウンドへ足を踏み入れたが入部初日、打球音の違いで世界の広さをまざまざと痛感させられた。2年春に腰を怪我したこともあり夏に選手としての道を諦めデータ分析班へ。元々データに興味があったわけではない。部としても力を入れているわけでもなく、そもそもそんなポストは存在していなかった。学生コーチやマネージャーではなくデータ分析班設立を選んだのは「無理やり野球部に入れてもらった感じなので、恩返し出来たらな」という思いからだった。入部前にリーグ戦出場は難しいことを告げられ、軟式や準硬式への入部を勧められた。そんな自分を受け入れてくれたチームへ貢献する方法がデータ面でサポートすることだった。ただし何の実績もない新設部署に対して全員が歓迎の意向を示すとは限らない。当初は肩身の狭い思いを何度もした。今でも分析が的中したのに結果が出ないことや提案しても採用されないことに悪戦苦闘する日々だ。「中々データが試合につながるのは難しいなと実感してます。配球やシフトには生きるんですけど、特に打つ方ではここと言っていた球種とコースに来ても中々打てないなと」。ただ、もがく中でも着実に実績は積み上がっている。1学年上の学生コーチ、同級生の選手との3人でスタートしたデータ分析班は現在7人体制となり、最高学年となったことで田原の裁量も大きくなった。立命館大学のデータ班では多くのチームが行なっている対戦相手の分析に加えて自チーム選手の状況別成績をまとめ首脳陣に打順を提案。さらにオフシーズンには選手の体力測定を行ない、どこを伸ばせばパフォーマンスが上がるか選手1人1人に個別のアドバイスを送った。多くの情報を選手に提供する中で田原が感じている1番の実績は分析が的中し勝利につながったことではなく、データに触れる経験そのものだった。「選手たちにデータを知ってもらったということが今後に生きるかなと思います。今後、データ野球というのは広がっていくと思うんですけど、プロや社会人でやる時に乗り遅れない野球人生を歩んで行ってもらえるのかなと思います」。
得意分野も経歴も全く異なる2人のアナリストが水面化で鎬を削った試合は、立命館大学が2-1で逃げ切った。グラウンド上での攻防のみに目を向ければ両チームの投手力が光った試合に映る。だが田原の分析がなければ1-0のまま勝敗は逆になっていたかもしれないし、三原の存在がなければ京都大学は立命館大学を相手にがっぷり四つに組み合うことすらままならなかったかもしれない。試合に出場する選手が競い合う心技体は、アナリストによる「知」によって支えられている。