香港から「強制送還」で帰国 日本人アーティストが明かした3時間の尋問 そして香港人への想い
香港で現地企業のCMにも起用されるなど、路上での歌唱活動で人気を集めてきた日本人アーティスト、Mr.Wally(ミスターウォーリー)が3年ぶりに香港を訪問。しかし、現地時間12日夜、香港国際空港の入管で尋問を受け勾留。入国は拒否され、退去強制の措置が取られた。日本へ「強制送還」されまでの間、連絡手段の一切を奪われ、留置所で過ごした。
13日朝、8bitNewsやTOKYOMX「堀潤モーニングFLAG」では連絡が取れなくなった男性の状況を速報で伝え、背景にある「香港国家安全維持法」の存在を指摘した。
夕方、男性は成田空港に到着。その足で取材に応じてくれた。3時間に及ぶ尋問で何を聴かれたのか。
香港当局が質問を重ねたのは2019年香港民主派デモへの関与だった。男性が語ったのは、自由が奪われていく生々しい香港の今。そして、これまで支えてきてくれた香港人への想い。約30分のインタビュー、映像と共に記事を読んでもらいたい。
堀)
よろしくお願いします。お帰りなさいというか、本当は帰ってくるべきじゃなくて、香港で今過ごしている時間のはずでしたよね。今回どういうことが起きたのか順に伺えますか。
ウォーリー)
はい。昨日、6月12日に3年ぶりに香港へ入国しようとしたんですね。そうするとイミグレーションでとめられまして。で、別の部屋へ来てくれってことで、そこからちょっと連行みたいな形で連れて行かれました。
その後、取り調べみたいな感じになっちゃうんですが、尋問が大方3時間ぐらいされまして、初めは「名前は何だ」「職業は何だ」という感じで、「僕はミュージシャンです」と伝え、1通りある程度のことを話しました。そうすると「君は2019年、そして2020年も長期滞在しているよね。これは何しに香港に来てたんだ」という質問に変わって。「曲の演奏も含めてですけど、友達に会いに来たりしてました」と答えました。
この期間っていうのは香港で民主化デモがすごく盛んに行われた時で、僕もデモに参加して疲弊して帰ってきた人たちを癒すために街頭で「香港人加油!」香港人頑張れって看板を掲げて香港人たちに向けて路上で1年間歌っていたんですよね。ほぼ毎日。いろんな香港の名所10ヶ所くらい行ったんじゃないですかね。それを香港当局も見てたんでしょうね。SNSもおそらくチェックしていたと思います。
3年前、2020年4月に僕が帰国した後に、香港では国家安全維持法=国安法が通り、実際に日本人のジャーナリスやカメラマンの活動もチェックされていたようです。僕が次に入国した時にも何かしらあるだろうなとは思ってたんですけど、案の定、今回勾留、退去強制されたということです。
堀)
実際にはどんな尋問内容だったのか、やはり歌を歌ってきたことは聞かれましたか?
ウォーリー)
かなり聞かれそこが重視されたことがわかりました。なぜ入国拒否なのか、理由は何だって聞いたら、「以前君は香港で演奏していたからだめだ」って言うんですね。僕はワーキングホリデービザを取って香港にも行ったことがあり、警察やイミグレーションにもちゃんと確認してですよ。バスキング(路上で歌を歌うパフォーマンス)っていうのはしてもいいんですかと香港では大丈夫ですかっていう回答に関して、警察もイミグレーションもOKだと言ってこれまでは何の問題もなかったんです。
それなのに今回は不都合な理由というか。「君は過去に演奏していたがダメだ」、これは恐らく言ってるだけで、本来は恐らく僕が香港人の民主化デモに加担したというもので、今回強制送還を食らったんじゃないかなって思っています。
堀)
ミスターウォーリーとして、香港人を応援する歌を歌っているというのは、SNSなどでも発信はされていらっしゃったんですか?
ウォーリー)
正直、身の危険もあるので、僕自身はなるべくそうした話題は避けてたんですね。「香港人加油(がんばれ)」の看板を掲げてるので、SNSのポスティングに関してはある程度控えるようにしていたんです。ただ、やはり色々なものが出回るので、おそらく親中派の人も香港人の中にいるし、そういう人たちも多分通報していたんじゃないかなと思います。
堀)
実際に当時、路上で当局から注意を受けることはありましたか?
ウォーリー)
以前は、直接警察やその他機関などから注意されるとか、おとがめを受けるとか、そういうことはなかったです。ただ「香港人加油」の看板を下げろと言われるようなことはありました。(歌自体を)やめろやめろというのは、2019年はすごく多く出てきました。
堀)
香港で活動されているその間は日本と香港を行ったり来たりというのはあったんですか?
ウォーリー)
大体3週間香港に滞在して1週間日本に帰っていくというのをもう1年間繰り返して来たんですね。日本でやることがあったし。それをかなりの回数、一定日数続けてきました。香港を初めて訪ねた2015年から2020年の間までに、合計で35回、香港に行っています。昨日で36回目だったんですけど、今回のような事態は初めてですね。演奏を理由に入国拒否。これは今までなかったから。だからこそ、何かしら違う別の理由。それがまさに民主化デモに加担したっていうのをことだと思いますね。
堀)
そうですよね。路上でのパフォーマンスがダメだと言うんだったら、これまでなぜ入管はパスしてきたのだと。2020年から2023年、この間の大きな変化は「香港国家安全維持法」が施行されたこと。中国、香港当局が外国人に対して入国を厳しく審査するようになったっていうその変化ですよねですね。
ウォーリー)
なので恐らくこれはちょっと見せしめみたいな感じになっていて、自分でもなんですが、香港にいる5年間、結構企業さんともコラボがあり、CMに出演したりタレントみたいのもやっていたので、ちょっと注目はされていたと思うんです。香港人の皆さんもミスターウォーリーのことを割とよく知ってくれていたので、見せしめ的な感じで。今後、外国人ジャーナリストやミュージシャンも含め、ちょっとでも民主主義、民主化の発言をするようであれば、排除していくよっていうメッセージなんだ、僕の中ではそうした思いが確信に変わりましたね。
堀)
中国習近平体制では、諸外国に「海外派出所」という違法な捜査機関を設置して海外で活動している、情報収集をしている様子だということが最近わかってきました。日本で活動している内容も香港の当局は把握しているような様子はありましたか。
ウォーリー)
僕はこの3年間、ずっとSNSで香港や中国の情勢を伝えるツイートを検索していて、どんな感じで今、現地に入れるのかとか状況を確認していたんですが、昨年末、香港のデモを取材し、日本で写真展をした方が香港に入国しようとしたら、全く僕と今回同じようなケースで入国拒否と強制送還を受けたというのがあり、その投稿を見て、これはもしかしたら僕も同じようなことになるかもしれないなと思ってはいました。ですので、今回、香港に行く前に、堀潤さんに連絡して、もし僕がそういうことが起きるようであれば、すぐにメッセージや報道を含めてよろしくお願いしますと伝えてから行くようにしました。
堀)
やはりその予兆というか、それは感じてたということなんですね。それだったら、香港の取材、その後の発信を続けてきた僕だってもう香港に取材になかなか行けないんだと思わされてしまう。これはすごい萎縮をうみますよね。今回のことを聞いて、やっぱり行くのをやめておこうかという人も広がっていく。すごいことをやるなと思いましたね。
ウォーリー)
今回、私や堀さんを含めて何人か僕が2019年に活動している時に、日本人ジャーナリストの方とも出会ったんですが、彼らがもしここからですね。僕みたいにまた入国しようとすると、恐らく同じような感じで、入国拒否と強制送還に遭うと思いました。もしまた行かれる際は本当にお気をつけて行かれてください。
堀)
成田に着いた先では、日本側はどうでしたか?
ウォーリー)
僕が飛行機から降りると成田の職員さんが一人待ってくれていて、「何があったんですか?」とまず聞かれたんですね。なので一連の出来事を説明しました。僕からも「実際、香港サイドからは何と聞かされてますか?」と聞くと、「イミグレーションリーズンだ」ということを言っていて「真の理由、詳しいことは全く教えてくれなかった」と言っていたんですね。
堀)
理由を聞いても答えてくれなかったと、職員の方も言っていたんですね?
ウォーリー)
そうです。きっとこれは「国家安全時法」を含め、民主化運動に関係する理由で送り返したっていうのをおそらく香港サイドは言いたくなかったんだろうなと思って。ただ単に「イミグレーションが理由」とだけしか説明はなかったという事でした。だから何か隠したいんだろうなっていう印象ですね。
堀)今回香港に行くということに、やはり怖さやリスクなどは感じてらっしゃったんじゃないですか?
ウォーリー)
はい。相当怖かったですね。怖かったですし、正直もう行かないでおこうというのは、この3年間でずっと思ってたんですよ。ただ、僕には向こうにも大事な友人だったり、本当にファミリーのような仲間がいて、やっぱり3年ぶりに会いたい。今回もたった4日間だけの滞在予定でチケットを取って、本当に友人に会うためだけにとったんですよね。にも関わらず、会うことすらできなかった。空港の外では待ってくれていたんですけど、それすらも叶わなかった。とても残念です。
堀)
そういえば楽器は?荷物にないですね。
ウォーリー)
そうなんです。楽器はもう見ての通りなんですが、持っていっていないんですよ。演奏する予定もない。一切ギターも持っていないし、荷物もほぼ最小限なんですよにもかかわらず入国することをできなかったんですね。
堀)
やはりかなり前にさかのぼってその状況に照らし合わせて、今回、やはり人を入れないっていうそういうことなんですよね。
ウォーリー)
もう何年も前、3年から4年前のことで、今回も入国を拒否されました。それだったら2020年4月退去する時に何かアクションがあっても良かったはずなんですけど、そこではなかったんですよねで、その2020年4月以降、それぶりに今回行ったんですけど、この3年の間にそういうこういうことになってんだなっていう感じがしましたね。要は何か本当に香港で民主化デモ運動に参加した人たちは、もうもう海外メディア含め排除する、そういう動きがめちゃめちゃ強まっていると思います。
堀)
そもそも、当時ミスターウォーリーさんとして、どうして若者たちや民主化を求めて声をあげる人たちを支えてあげたい、応援してあげたいと思われたのですか?
ウォーリー)
僕は2015年に香港を初めて訪ねたんですが、そのその時に、沢山の香港の人々に助けられたんですよ。実は香港の人たちに認知されるきっかけになったのが、路上で歌っている時に泥棒に遭いまして、お金とか全部バックを走って歌っている時に逃げられたんですね。で、1文無しになった時にどうしようと思っている時に僕が投稿したんですね。その時に聴いていた人で、動画や写真を撮ってる人がいたら僕に送ってくださいと。でも、結局なかったんですよね。
しょんぼり落ち込んで朝を迎えたら、朝になるとフェイスブックにものすごい通知が来ていたんです。フェイスブックも2万人ぐらいがフォロワー数が増えていて「何が起きたんだ!?」と。そしたら、圧倒的に香港人で有名な著名人の方が、僕のポスティングをリツイートみたいな感じでシェアしてくれて、それで一気に香港中の人たちに知ってもらって。そうしたみなさんが僕のことを助けてくれるということで、その日に僕がいつも歌っている場所に行ったら、香港人が500人ぐらいきてくれていて。「なんて香港人って優しいんだろう」と思ってきました。
僕はその恩があるので「助けてもらった、いつか恩返しをしたい」と思ってずっと活動してたんです。で、2019年の時に今度は香港人がピンチというか、大変な目に遭って、これは僕がもうちょっと協力したいと思って活動していくったというのが理由です。
堀)
2019年、その時はどんな様子を目の当たりにしましたか?
ウォーリー)
やはり皆さんもご存知の方もおられると思うんですけど、警察の暴力、しかも参加した人たちの多くが大学生や若い人たちだったんですが、その若者たちが目の前でボコボコに警棒とかで殴られたり、中には警察による発砲もありましたよね。そういうのもリアルタイムで突然目の当たりにして。言葉にならない状況でした。
僕にもできることは何だろう?と。デモに参加するかと思いましたが、いや違う。少しでも彼ら彼女らデモに参加してる子たちが笑顔になってくれたり、癒しの時間を与えられたらいいなと思って彼ら、彼女らに向けて歌を歌うようになったんです。
だから正直、友達というか、身近な人たちが逮捕されたっというケースは何人もいます。
堀)
武装した警察官たちの横暴を僕も目の当たりにしました。目を失った子もいるし、死因が不明で海から上がった子たちもいたし。行方不明になった子もいる。ああいう状況で少しでも支えてあげたいってやっぱり思いましたよね。日本がこれだけ自由を謳歌できる国であればあるあるほどそうです。何かしなくてはと。
ウォーリー)
日本は言論の自由があるし、香港も正直2019年までは全然自由だったんですよ。それこそ中国政府の批判も含めて。友達でちょっと声を小さくしながら話し合いもしてたんですけど、やはり2019年以降はもうみんな口を閉じたように、もう外では喋ることができない。そればかりか、本当にSNSでも発言できない。
堀)
今では「光復香港 時代革命」と書かれた旗を持って立っているだけで逮捕されますからね。沈黙を強いられていく様子を目の当たりにしています。
ウォーリー)
正直、あの1年間は僕も苦しい中で活動をしていましたね。
堀)
実際にそうしたことを報道する報道機関も次々と潰されていきましたよね。
ウォーリー)
そうですね。蘋果日報(アップルデイリー)というメディアがありまして、僕はかなりひいきにされてまして、僕のことも取材し、何度も支えてもらい報道もしてくれたりとか。それこそ本社でパーティーがあるんですけど、本社の屋上で演奏者として招いてくれたりとかしていたんですよね。「国家安全維持法」で社長のジミー・ライさんが逮捕された時もすごい悲しい気持ちになりました。本社の中には、螺旋階段があるんですけど、あそこに警察たちが乗り込んで社長が逮捕されていくのを見た時には本当に悲しくて。大好きなメディアだったので、それももう今や潰されちゃってないですね。
堀)
今回のこともこうして自分の言葉で起きたことを発信しなくてはいけないと思われたんですか?
ウォーリー)
今回、もし拘束されてしまえば、香港への入国はもう今後一切できなくなるんだと、ある程度わかっていたので、そうなった場合に最後の大勝負といいますか。
僕は2019年当時、あまり自分のSNSの中では発信していなかったんですけど、その僕がミスターウォーリーとして最後にすることは、今回あったことを香港と日本で行動する人たちに向けてできる限り全部を話すこと、それが責任だと思いました。そう思って今も話しています。
堀)
責任というのはどういう責任を負っている、ということですか?
ウォーリー)
やはり5年間香港で活動してきて、ここまで香港人にお世話なってきたので、少しでもこの民主化を含めた発言。日本なので、僕も日本人なので、言論の自由があるので、できるだけ僕が香港の人たちに代わって今、香港で起きている状況を含め話せたらなと思って、それが僕の最後の責任かなと思って今話してます。
堀)
その最後という表現はどういう思いで最後なのですか?
ウォーリー)
本当はできるなら香港でまた他の活動も考えててやりたいことがあったんですけど、今回も色々考えてたんですけど、でもそれがもうできなくなった。香港に大切な友達とか、本当に家族みたいな人たちもいるんですね。ただ、香港ではもう会うことはできないし、僕が香港で何かを活動するということがも、今後はもうできない。それが明確になったので、それでもう最後という言葉を使っていますね。
堀)
このインタビューを読んでいる、見ている人たちには何を伝えたいですか?
ウォーリー)
これを見ている日本人の方に伝えたいのは、日本は言論の自由があって好きに色々喋れるんですが、本当に香港という場所は今、言論の自由がなく、民主化デモを含めたああいったことも香港政府事態がなかったものにしようとしていること。外国メディアも排除して、今香港はどんどんどんどん中国政権に寄っていこうとしているというのを日本人には知ってもらいたいなと思います。
これはよく言われるような話かもしれませんが、今回、僕が身をもって体験したこと、経験したことなので、これはもうはっきりと言いますね。もう完全に今、香港が中国政権になりつつあるなという印象です。
堀)
香港人のみんなもこの映像も見てくれると思うんですけど、どんなことを伝えたいですか?
ウォーリー)
香港人の人たちはほんとに優しくて、今回の事件も友達が実は空港まで来てくれていたんです。今回の事も、堀潤さんが日本に報道してくれたんですけど、早速、香港人の友達からもメッセージ来て「つらかったね」みたいな、「一晩中拘留されていたけど大丈夫だった?」とか、「本当にごめんなさい」とか、そういう言葉を香港のみなさんがかけてくれるんですけど、僕からしたら苦しかったり、辛いのって香港の人がこれから持ってる未来を考えると、もっと辛いのにやっぱり優しい人達だなっていう。だから僕はもう香港が大好きですし、本当に「香港人加油(がんばれ)」というのはずっとこれからも言い続けたいし「香港を愛しています」と伝えたいです。