高齢労災に厚労省が「新たな政策」 実際に効果があるのか検討する
高齢労災の対策が企業の「努力義務」になる?
本日11月23日は勤労感謝の日だ。「国民の祝日に関する法律」によれば、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日とされている。いま日本社会の「勤労」について考えるのなら、その喫緊の課題の一つとして挙げられるのが、高齢者の労働災害ではないだろうか。
11月6日、厚生労働省の労働政策審議会の安全衛生分科会において、高齢者に配慮した作業環境の整備を企業の「努力義務」とする方向が大筋で合意された。2025年の通常国会で、労働安全衛生法の改正案を提出するという。
近年、高齢労災は深刻化の一途をたどっている。報道などから、ここ1、2ヶ月の死亡事故をいくつか見てみよう。
過去2ヶ月、75歳以上の後期高齢者に限ってすら、悲惨な死亡労災事故が目につく。こうした高齢労災の広がりに対して、今回の労働安全衛生法の改正による努力義務化が実施された場合、高齢者の労働現場にどのような影響があるのだろうか。高齢労災の実態を踏まえながら、考えてみたい。
65歳以上の労災は全体の1.6倍
いまや高齢者の労働はごく一般的だ。総務省の労働力調査によれば、60代以降の労働者の数は、681万人(2008年)から1138万人(2023年)に、15年間で1.67倍に増加している。年齢別の割合を詳しく見ると、2022年時点で60〜64歳の73%、65〜69歳の50.8%、70〜74歳の33.5%、75〜79歳の11.0%が就業している。
そのうえ、高齢労働者は確率的に労災に遭いやすい。厚労省の統計(2023年)によれば、65歳以上の労働者(648万人)が雇用者全体(6076万人)に占める割合が約10.7%であるのに対して、労災による死傷者数(休業4日以上)は全年齢13万5371人のうち、2万3470人と65歳以上が17.3%を占めている。労働者全体が労災に遭う確率に比べて、65歳以上の労働者が労災に遭う確率は1.6倍ということになる。
次に、2023年の統計から、65歳以上の労働者の労災の多い業界を見てみよう。1位は「商業」で4362人だ。スーパーマーケットなどの小売業がここに含まれる。2番目に多い業界は、病院や福祉サービスなどの「保健衛生業」(3721人)だ。そのうち2948件が介護などの社会福祉サービスだ。3位は製造業(3433人)である。中でも、原料や製品が比較的軽量である食品製造業などが多い印象だ。これに「清掃・と畜」(2347人)、「建設」(2242人)、「接客・娯楽」(1917人)と続く。
事故の中身としては、60歳以上の男性の場合は、「墜落・転落」の労災が非常に多く、割合では1000人中0.93人で、20代男性平均(0.26人)の約3.6倍だ。60歳以上の女性では、「転倒による骨折等」の労災が非常に多く、1000人中2.41人となっており、20代女性(平均0.16)の約15.1倍にも上る。また高齢女性では、重い物や利用者を抱えて腰を痛めるなどの「動作の反動・無理な動作」が多く、65〜69歳は1000人中0.56人で、20代後半(0.27人)の約2.1倍だ。
生活必需品や福祉に代表されるように、人々の生活を支えるという意味において、広義の「エッセンシャルワーク」と言える業界で、高齢者の労災が多く起きていることがうかがえよう。
法改正で何が努力義務化するのか? 厚労省の想定する対策の具体例とは
では、来年想定されている法改正では、具体的に何が努力義務化されようとしているのだろうか。そもそも現在でも、労働安全衛生法には高齢労働者の就業に関する努力義務が以下のように定められている。
このように、高齢労働者について「心身の条件に応じた適正な配置」のみが努力義務となっている。厚労省は、「職場環境・作業の改善の取組等を促していくため、措置内容の範囲を広げる」として、この「配置」に対する努力義務に加えて、2020年に厚労省が公表した「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(エイジフレンドリーガイドライン)」を挙げ、このガイドラインで「求められているような対応を企業の努力義務とした上で、現在のガイドラインについて法律上の根拠を与えることでその適切かつ有効な実施を図ることが適当ではないか」(強調:引用者)としている。
では、このガイドラインには何が定められているのだろうか。実効性のありそうな内容を整理してみたい。
このうち「職場環境の改善」について、もう少し詳しくみてみよう。あくまで参考にすべき「例」としてではあるが、ガイドラインでは具体的な対策が列挙されている。まず、「ハード面」の例について、一部を引用しよう。
<共通的な事項>
- 視力や明暗の差への対応力が低下することを前提に、通路を含めた作業場所の照度を確保するとともに、照度が極端に変化する場所や作業の解消を図ること。
- 階段には手すりを設け、可能な限り通路の段差を解消すること。
- 床や通路の滑りやすい箇所に防滑素材(床材や階段用シート)を採用すること。また、滑りやすい箇所で作業する労働者に防滑靴を利用させること。併せて、滑りの原因となる水分・油分を放置せずに、こまめに清掃すること。
暑熱な環境への対応
- 涼しい休憩場所を整備すること。
- 保熱しやすい服装は避け、通気性の良い服装を準備すること。
- 熱中症の初期症状を把握できるウェアラブルデバイス等のIoT機器を利用すること。
重量物取扱いへの対応
- 補助機器等の導入により、人力取扱重量を抑制すること。
- 不自然な作業姿勢を解消するために、作業台の高さや作業対象物の配置を改善すること。
- 身体機能を補助する機器(パワーアシストスーツ等)を導入すること。
介護作業等への対応
- リフト、スライディングシート等の導入により、抱え上げ作業を抑制すること。
- 労働者の腰部負担を軽減するための移乗支援機器等を活用すること。
次に、「職場環境の改善」のうち、ソフト面についての具体例を一部引用しよう。
共通的な事項
- 事業場の状況に応じて、勤務形態や勤務時間を工夫することで高年齢労働者が就労しやすくすること(短時間勤務、隔日勤務、交替制勤務等)。
- 高年齢労働者の特性を踏まえ、ゆとりのある作業スピード、無理のない作業姿勢等に配慮した作業マニュアルを策定し、又は改定すること。
- 注意力や集中力を必要とする作業について作業時間を考慮すること。
- 注意力や判断力の低下による災害を避けるため、複数の作業を同時進行させる場合の負担や優先順位の判断を伴うような作業に係る負担を考慮すること。
- 腰部に過度の負担がかかる作業に係る作業方法については、重量物の小口化、取扱回数の減少等の改善を図ること。
- 身体的な負担の大きな作業では、定期的な休憩の導入や作業休止時間の運用を図ること。
暑熱作業への対応
- 一般に、年齢とともに暑い環境に対処しにくくなることを考慮し、脱水症状を生じさせないよう意識的な水分補給を推奨すること。
- 健康診断結果を踏まえた対応はもとより、管理者を通じて始業時の体調確認を行い、体調不良時に速やかに申し出るよう日常的に指導すること。
- 熱中症の初期対応が遅れ重篤化につながることがないよう、病院への搬送や救急隊の要請を的確に行う体制を整備すること。
実際に高齢者の労災によくみられる、転倒・墜落、腰痛、熱中症の具体的な対策例が多く具体的に列挙されているところが注目される。あくまでガイドラインにおいて例示されているにすぎないが、法制化によって、本当にこのような措置を企業が講じるのであれば、高齢者の労災防止に対して大きな効果があると期待できるだろう。
努力義務の限界と労使交渉の重要性
問題は、仮にこれらが法律に明記されたところで、努力義務にすぎないことだ。努力義務に「違反」したとしても、罰則はない。実際に、前述のように高齢労働者の「心身の条件に応じた適正な配置」に関しては、すでに労働安全衛生法に努力義務が定められているが、企業がこの努力義務によって積極的に対策を講じているとは言い難い。
たしかに法改正によって努力義務の内容が増え、詳細になれば、行政から企業に対する様々な働きかけが行いやすくなり、改善が促される部分は一定あるだろう。しかし、企業にとって、労災対策は短期的には「コスト」として捉えられることが多いため、強制力のない場合、効果は限定的なものに止まるのではないだろうか。
ここで強調したいのが、労使交渉の重要性である。努力義務には強制性はないが、労働組合であれば、企業に対して政府のガイドラインを根拠として交渉することができる。職場に労働組合がなかったり、あっても信頼できなかったりという場合には、企業外の個人加盟の労働組合(ユニオン)に加入して交渉するという方法もある。労災について専門的に交渉している「労災ユニオン」のような労働組合もある。
企業は労働組合に交渉を求められた場合、誠実に応答する法的義務がある。また、労働組合は会社が交渉の中で要求に応じない場合に、街頭やインターネットなどでの宣伝活動や、ストライキなどの実力行使を行うことも可能だ。最近でも、熱中症の対策が不十分であるとして、まさに厚労省のエイジフリーガイドラインの具体例にあるような対策を求めて、労働組合がストライキを実施したケースもある。
参考:温度計の針は40度を超えていた? ヤマト運輸で熱中症対策を求めるストライキ
また、労働組合による交渉では、起きてしまった労災に対して、会社に対する損害賠償請求も可能だ。労災保険の給付では、治療費の全額に加えて、休業中の補償、後遺症に応じた補償などが部分的に払われるが、慰謝料や休業補償の全額分、後遺症がなければ得られたはずの利益などの金銭的な損害については払われない。労働安全衛生法で高齢者の労災対策が仮に義務となったとしても、こうした損害賠償は労働基準監督署は対応してくれず、労働組合の交渉や裁判によって要求するしかないのである。
近年でも、高齢者の労災によって損害賠償を請求する事例が相次いでいる。このような賠償請求は、被害者個人の補償であるだけでなく、企業が労災対策を講じるための強力なプレッシャーになるだろう。
なお、労災ユニオンでは、勤労感謝の日である今日の昼0時から午後4時まで、高齢者労災の相談ホットラインを無料で実施している。問題を抱えている方やその家族は利用してみるとよいだろう。
終わりに
高齢労災について考えたとき、そもそも70代、さらには80代になるまで高齢者が、危険な労働条件であっても、生活費を稼ぐために働かなければならないような、日本の社会保障の脆弱さにも問題である。また、相次ぐ事故に対して効果的な対策を積極的に打とうとせず、労働者の安全や生命よりも、利益を優先する企業が被害を悪化させている。
労災対策が全くないまま事故に巻き込まれるケースや、損害賠償どころか労災保険すら使えず、後遺症を負いながら使い捨てられてしまうケースも珍しくはない。だがそうした実態は依然として知られていない。ぜひ被害にあった当事者や、その身近な方は、情報提供や労働相談をしてみてほしい。
日本社会はこれからも、高齢者の「エッセンシャルワーク」にますます依存していくことになるだろう。また、いま若年の労働者も、将来的に高齢になっても働く可能性が高いといえよう。高齢者が安全に働き、安心して生きていける社会をつくっていくことは、高齢者だけの問題ではないのだ。
無料労働相談窓口
「高齢者労災・無料相談ホットライン」
・日時 11月23日(土・祝)12:00~16:00
・電話番号 0120-333-774
・主催 労災ユニオン
電話:03-6804-7650(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)
メール:soudan@rousai-u.jp
公式LINE ID: @437ftuvn
*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。
電話:03-6699-9359(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休)
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*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。
電話:03-3288-0112
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