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毒親から解放される方法←毒親育ちの世界的哲学者が示唆「精神的苦痛を伴わない方法は存在する」

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

今回は先に結論をお話します。毒親から卒業するは1つ。親の立場に立って過去を見ることです。しかしそれは、今すぐできなくてもかまいません。親を憎みたい時は憎むといいのです。SNSには「毒親あるある」がたくさん流れていますが、それらにハマって「仲間」と傷をなめ合う時も必要でしょう。しかし、やがて時がくれば、親の立場に立って過去を見ることです。すると問題自体がおのずと消えていきます。その瞬間、あなたは毒親から解放されます。

毒親の呪縛から逃れられない理由とは

自分の親のことを「毒親」と言う人は、自分の立場からしか親のことを見ていません(それがいいとか悪いとかという話ではないので、怒らないで続きを読んでくださいね)。

たとえば、私のもとにカウンセリングに来たQさんは、親にものすごく過保護に育てられてきました。やりたいことをことごとく否定され、「いい大学に行けば将来安泰だから勉強しなさい」と言われ続け、好きだったピアノやバレエなどの習い事をやめさせられました。小学校4年生から高校3年生まで部活をすることもなく、ずっと塾に通わされたといいます。

Qさんが親を憎む気持ちは、私には理解できます。おそらくこの項を読んでおられる多くの人もQさんに同情するでしょう。それで当然だと思います。

しかし、毒親もQさんと同じ、あるいはあなたや私と同じ人の子ですから、毒親になるだけの理由や背景を持っています。Qさんの親は、親に大学に行かせてもらえなかったのでした。

その結果、友だちがいい企業に就職してゆく中で、ひとりおちこぼれたという気持ちを強く抱いていたのでした。わが子には自分と同じような思いをさせたくない。Qさんの親はそう思ったのでした(しつこいようですが、親にはそれなりの事情があるから毒親でもいいと言っているわけではないので、怒らないで続きを読んでくださいね)。

思い込みとは視点が1つしかない状態のこと

親の立場に立って過去を眺めることによって、視点を2つ持つことができます。すなわち、自分の立場からと親の立場からの2つの視点です。

2つの視点を持てたとき、「私の親は毒親『だから』私はつらい思いをした」という言い方における「だから」が消えていきます。すなわち、過保護すぎる親であるという事実と、あなたが今苦しい思いをしているという事実が、因果関係で結ばれなくなります。

その瞬間、私たちは過去に起こった出来事を「ありのまま」に見ることができるようになります。

世界はじつは因果関係でできていないのではないか、とフランスを代表する哲学者メルロー=ポンティは考えたように思います。彼は私たち現代人が因果関係という思い込みの世界に住んでいることに着目したのです。

ちなみに、メルロー=ポンティのその考えにしたがうなら、「ありのままの自分」とは、因果関係でとらえていない自分、すなわち「AだからB」という認識ではない自分、となります。努力したから成功した、ではなく、なぜかわからないけれど気がついたら成功していた、という見方。

「毒親問題」において、子は親の被害者なわけですから、子の被害者意識はかなり肥大しています。それに加えて、親子関係はとても近いので、自分の視点からしか親や自分の過去のことを見ることができなくなります。

しかし、先にも述べたように、他方には、別の視点が必ず存在しています。その別の視点を持つことによって、毒親だという事実と、今の自分はこんなに不幸だという事実が、因果関係で結ばれなくなります。

おちこぼれないと見えない世界

あるいはあなたは、もしかすれば、精神分析の権威であるジャック・ラカンが言うように、あなたは知らず知らずのうちに2つ前のものを繰り返しているから不幸なのかもしれません。拡大解釈して端的に言うなら、あなたは祖父母の血を引き継いでいるゆえに、今不幸なのかもしれません。

あるいは、毒親育ちにして心理学の始祖であるキルケゴールが言うように、あなたの心に宿る永遠が、あなたをなんらか不幸の方へと導いた結果、今のあなたは不幸なのかもしれません。永遠というのは言葉や数字で割り切ることのできないなんらかの気持ちのことです。

というような感じで、別の視点を持つことによって、すなわち因果関係を疑うことによって、毒親から卒業することが可能になります。

心理学の始祖とされているキルケゴールから、フロイト、ラカン、メルロー=ポンティへと流れる系譜を、私は勝手におちこぼれの哲学と呼んでいますが、おちこぼれの哲学者たちはこのように、別の視点を示唆してくれているのです。それは人生の落伍者にならないと得ることのできない視点なのかもしれません。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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