紅白出場韓国勢 あの人の意外な今 ~訪北した“韓国の桑田佳祐”から“落ちた女王”、不動の東方神起まで
TWICEが二回目の出場を決め、本命視されていたBTSと東方神起が不出場となって話題を集めた、今年のNHK紅白歌合戦。
チョー・ヨンピル、「冬のソナタ」のテーマを歌ったRyu、そして少女時代、KARA。
歴史をひも解くと、これまでもそうそうたる韓国人歌手が出演してきた。
韓国人歌手にとって、紅白歌合戦に出場する意義とは――。
日本の大晦日を沸かせた、韓国人歌手たちの今を追った。
チョー・ヨンピル:K-POPスターにも慕われる「歌王」
初出場「窓の外は今」(1987)出場回数4
韓国人歌手として初めて紅白歌合戦に出場したのは、チョー・ヨンピル。1988年にソウルオリンピックが開催される前年のことだった。以後、有名な「釜山港へ帰れ」を1990年に披露するまで4年連続で参加。
海外で活動をした韓国人歌手の先駆者としても知られるチョー・ヨンピルは、今年デビュー50年。日本では演歌のイメージが強いが、韓国ではアーバンポップもこなし、朝鮮日報がサザンオールスターズの桑田佳祐を「チョー・ヨンピルクラスの大物人気歌手」と称したこともある「歌王」だ。
東方神起のチャンミンがコンサートに訪れたり、SEVENTEENがチョー・ヨンピル50周年記念コンサートのオープニングを務めるなど、K-POPスターたちにも慕われている。3月末には韓国芸術団の一人として北朝鮮を訪問、金正恩朝鮮労働党委員長の前で公演を行った。
ケイ・ウンスク:落ちた「演歌の女王」
初出場「すずめの涙」(1988)出場回数7
韓国人歌手の中で紅白最多出場を誇るのが、ケイ・ウンスクだ。母国で高校二年でデビューし、アイドルとして成功していたが、ハスキーな独特の声に惹かれた作曲家の浜圭介によって、日本でデビューすることに。「演歌の女王」と称された。
2014年、「舞台に立つ姿を老いた母に見せたい」とおよそ30年ぶりに韓国での活動を再開。ところが、2016年に麻薬類管理法違反の他、高級車のリース料金に関する詐欺罪などで懲役1年2か月の実刑判決に。
さらに今年、複数の借金をした詐欺疑惑で再び起訴。11月末に1審で懲役4ヵ月、執行猶予1年を言い渡された。
キム・ヨンジャ:デビュー30周年を経て活躍中
初出場「朝の国から」(1989)出場回数3
ソウルオリンピック閉会式で歌った「朝の国から」を、紅白歌合戦では純白の韓服に扇の舞のダンサーを従えて披露したキム・ヨンジャ。
演歌、ポップス、伝統音楽などまで幅広いジャンルをこなし、キューバやブラジル、フランスなど世界をまたにかける歌手へと成長。韓国内の児童養護施設や東日本大震災被災者ためのチャリティーショーなどにも尽力している。
デビュー30周年を迎えた現在も日本で活動中で「新・BS日本のうた」(NHK BSプレミアム)、「日本の名曲 人生、歌がある」(BS朝日)などに出演。12月19日には、大阪新歌舞伎座で「キム・ヨンジャ デビュー30周年記念コンサート」を開いた。
パティ・キム:「普通のおばあちゃん」に
初出場「離別(イビョル)」(1989)出場回数1
在韓米軍基地のステージで1958年にデビュー。パティ・ペイジに憧れ、芸名を決める。紅白では、離婚した元夫で在日韓国人の作曲家吉屋潤が手がけた「離別」を、一番は日本語、二番を韓国語で、涙を浮かべながら歌った。
近年はTシャツとジーンズに赤いハイヒールなどをまとう「白髪の歌姫」として活躍していたが、2012年、「夕焼けが世界中を赤く美しく染める姿のまま、皆さんの記憶に残りたいと思います」と引退宣言。
1年間をかけて韓国・世界各国を回るラスト公演を終え、「普通のおばあちゃんに戻ります」と一線から身を引いた。80歳の今は本名のキム・ヘジャとして暮らしている。
ラスト公演のタイトルは「離別」。ともに紅白歌合戦に出場した、チョー・ヨンピルが決めたという。
BoA:韓国若手アーティストの師匠的存在
初出場「VALENTI」(2002)出場回数6
韓国勢として2番目に多い6回の出場を誇るBoA。「韓国=演歌やバラード」のイメージを破り、ポップ歌手として2001年に日本進出した、K-POPの先駆けともいえる存在だ。
「世界の歌姫」は今も大活躍。今春には日本5都市を巡る「BoA THE LIVE 2018 ~Unchained~」を開催したほか、12月は「FNS歌謡祭」に出演。オンラインストアKURANDと共同で日本酒「晴れの日の雨」を開発するなど、活動は多岐にわたる。
韓国では、WANNAONEを生んだ大人気オーディション番組「PRODUCE101」で国民プロデューサー代表を務めるなど、若手アーティストの師匠的なポジションに君臨している。
Ryu:日韓交流の象徴として
初出場「最初から今まで」(2004)出場回数1回
「冬のソナタ」が大ブームを巻き起こした年に、ドラマのテーマ曲で出場。
現在も老舗料亭でのディナーショーなど、日本の熱いファンとの交流が続いている。
今年は、韓国における日本大衆文化開放が盛り込まれた「日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」から20周年。Ryuは日韓文化交流の象徴として、早稲田大学での学術シンポジウムや、駐日韓国大使館などが主催する主催の「Drama Original Sounds Korea2018」のステージで「最初から今まで」を歌った。その席で、「『冬のソナタ』という一つのドラマで、日韓の距離がぐっと縮まりました。その作品に携わることができて、うれしいです」と語っている。
イ・ジョンヒョン:映画女優へと成長
初出場「Heaven 2004」(2004)出場回数1回
「冬のソナタ」に続いてNHKでオンエアされた「美しき日々」で、チェ・ジウ扮するヒロインの妹役を演じたイ・ジョンヒョン。日本で活動を続けようとするが伸び悩み、2006年に中国に進出。2011年にパク・チャヌク監督がiPhoneで撮影した映画「波乱万丈」に出演した以後は、「誠実な国のアリス」(2015)、「軍艦島」(2017)などにキャスティング。映画女優として高い評価を得ている
イ・ビョンホン:ゲスト出演(2004)
3人の韓国人歌手が出場する中、韓流ブームと日韓国交正常化40周年を追い風にゲスト出演したのが、「美しき日々」の主人公イ・ビョンホンだ。ちなみに、「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンとチェ・ジウは、「スケジュールと本人の意向により」辞退したという。
東方神起:K-POP界 不動の王者
初出場「Purple Line~どうして君を好きになってしまったんだろう?」(08)出場回数3
日本デビューから3年後、オリコンシングルウイークリーチャートで初めて1位を獲得した「Purple Line」を引っさげて登場した東方神起。2年連続出場した後、2011年にユンホとチャンミンの2人で紅白の舞台にカムバックした。
入隊~除隊を経ても不動の人気を誇る東方神起。2018年は横浜・日産スタジアム公演を前人未到の3日間開催。「日経エンタテインメント!」が発表した「コンサート動員力ランキング」で、B‘zや嵐を抜いて1位となった。
12月26日のデビュー15周年の日には、「New Chapter #2:The Truth of Love」をリリース。同日ソウルでファンミーティングを開催し、記念日をファンとともに祝った。同アルバムを取り上げた12月27日(現地時間)の米ビルボード公式ホームページでは、「東方神起は2000年代アジアで最も注目されるボーイズグループ」とも。
12月31日の大晦日には、韓国で「2018 MBC歌謡大祭典」にBTSらとともに参加する。
少女時代:ブランド守りつつソロで活躍
初出場「GENIE」(2011)出場回数1
紅白のステージではゴールドとブラックのミニスカートで大ヒット曲を披露。当時は9人組だったが、2014年にジェシカが脱退。その後3人が所属事務所SMエンターテイメントとの契約を終了したものの、「少女時代」を守りつつ、それぞれが活発にソロ活動を行っている。
今年、例えばユリはドラマ「テジャングムが見ている」の演技が評価され、10月韓国企業評判研究所が選ぶ「ガールズグループ個人ブランド」で1位に。ソヒョンはチョー・ヨンピルらとともに参加した韓国芸術団の北朝鮮公演で、司会を務めた。
ユナは東方神起も出場する大晦日の「2018 MBC歌謡大祭典」でMCを担当。スヨンは得意の日本語を生かした日韓合作の初主演映画「デッドエンドの思い出」が2019年2月に日本で公開される。
KARA:スキャンダルで注目されるメンバーも
初出場「KARA 2011 スペシャルメドレー」(2011)出場回数1
ラララ、ラ~ララ~♪と明るく踊るヒップダンスで一世風靡した5人組のKARA。メンバーの脱退・加入を経て、2016年パク・ギュリ、ハン・スンヨン、ク・ハラが事務所との契約を終了したため、事実上の解散となった。
その後、ギュリは映画出演のほかバラエティーや映画祭のMC、スンヨンはドラマ「十二夜」に出演するなど、それぞれがソロとして活躍中だ。
そんな中、ハラは今秋、元恋人との暴行疑惑とリベンジポルノ騒動で渦中の人に。ところが、公式サイトでトラブルを詫び、12月24日のクリスマスイブに神奈川県民ホールでソロとなって初の日本ファンミーティングを開催。KARA時代のメドレーなどを披露した。
実力だけでは勝ち取れない「紅白出場」
振り返ると、韓国人歌手が紅白に出場したのは、1988年のソウルオリンピック前後、日韓が共催した2002年のFIFAワールドカップから「冬のソナタ」が第一次韓流ブームを巻き起こした2004年にかけて、そしてK-POPが大流行した2011年の第二次韓流ブームの時期に集中していることが見えてくる。
つまり、韓国人歌手にとって、紅白出場は実力だけで勝ち取れるものではなく、日韓の政治的、文化的な関係性にも大きく左右されると考えられる。
そして、それぞれの今は、国民的歌手として君臨する人、芸能界から消えた人など、悲喜こもごもだ。
だが、時を経て現在も日韓の架け橋として様々な形で活躍しているスターが多く存在することから察すると、「紅白出場」という揺るぎない経歴は、その後の人生に大きな意義を与えているのは確かだろう。