隠ぺいされた韓国現代史の闇に切り込む『ソウルの春』 監督が語る「夜空に轟く銃声を聞いたあの日」
韓国現代史における重要な節目でありながら、これまで映画化されなかった「事件」がある。
1979年、独裁者といわれた朴正煕大統領が自らの側近に暗殺された後、国民の間では衝撃とともに民主化への期待が高まり、チェコスロバキアの「プラハの春」になぞらえて「ソウルの春」といわれた時期のさなか。12月12日、ソウルの夜空に銃声が轟いた。当時、保安司令部の司令官をつとめていた全斗煥が陸軍内の秘密組織“ハナ会”を率いて、新たな独裁者として君臨すべく起こしたクーデターだった。
「12.12.軍事反乱」といわれるこの事件を初めて映画として描いた『ソウルの春』。「当時感じた憤りや喪失感が本作に挑んだ原点」というキム・ソンス監督に話を聞いた。
――高校3年生の時に銃声を聞いたことが本作をつくったきっかけだと伺いました。どんな体験だったのか詳しく教えていただけますか。
キム・ソンス監督:大学入試の勉強をしていた時期のことでした。ソウルの漢南洞(ハンナムドン)にある自宅では、その日、兄の長男の1歳の誕生会が開かれていました。親に「今日はたくさんお客さんが来ているし、勉強しなくていいから、外に出かけてきなさい」と言われて、わたしは街をぶらぶらすることにしました。
その時、装甲車が通り過ぎていったんです。珍しいなと思って装甲車についていくと、陸軍参謀総長の公邸にたどりつきました。着いた瞬間、銃声が聞こえたんです。軍人たちに「家に帰りなさい」と言われましたが、気になって、近くに住む友だちの家の屋上から、息を殺して現場を見つめていました。とても寒い夜でした。屋上で寒さと恐怖に震えながら、銃声が何度も空に響き渡るのを聞きました。
ソウルの中心にある漢南洞で、なぜ銃声が聞こえたのか。なぜ装甲車が集まっていたのか。すごく不可解だったにもかかわらず、翌日の新聞には事件についての短い記事が載っていただけで、大したことがないような扱いだったのです。血を流す兵士たちがトラックに乗せられて病院に運ばれてきたと、近所の人たちはみんな知っていたのに。この事件は、長い間外部に明かされることはありませんでした。事件を起こした軍事反乱勢力が政権を握ったので、ずっと隠していたと思います。
事件が白日の下にさらされたのは、17年後。わたしが30代になって映画監督としてデビューした頃のことです。驚き、腹が立ち、あきれ返ると同時に、このやり場のない感情をいつか映画で伝えたいという考えを抱くようになりました。
――1990年代に明るみに出たにもかかわらず、これまでこの事件を正面から描いた映画は存在しませんでした。それはなぜでしょうか。
キム・ソンス監督:12.12軍事反乱は1979年12月に起き、この人たちが権力を握った時代は90年代半ばまでには終わりましたが、実はこの事件を起こした人たち、関連した方たちは、少し前まで韓国社会にとって非常に重要な位置、権力を行使する位置にいました。そのため、月日は経っていたにもかかわらず、表立って語るのは難しかったのだと思います。
2019年秋、制作会社の代表から『ソウルの春』のシナリオを受け取った監督は、「体中の血が逆流するような戦慄を覚えた」という。「韓国現代史の運命を変えたあの日を、果たしてわたしに描き切ることができるだろうか?」と悩み、最初は丁寧に断った。しかし翌夏、勇気をふりしぼり、史実をベースに脚色を進めることに心を決める。
軸に据えたのは、貪欲さの象徴である「反乱軍」のチョン・ドゥグァン(ファン・ジョンミン)と責任と使命を全うする「鎮圧軍」のイ・テシン(チョン・ウソン)という二人の指揮官の対立構図だ。韓国の運命を変えた「あの日」の現場に誘うストーリーは、韓国で2023年の観客動員数第1位となる大ヒットとなった。
――韓国公開時には、『パラサイト 半地下の家族』を超える1300万人の観客動員を記録し、観客がさまざまなリアクションを見せたことでも話題になりました。その現象についてどう思いましたか。
キム・ソンス監督:期待以上の興行成績を収めたことに、プレゼントをいただいたような気分です。韓国映画市場がかなり委縮し、観客の方たちも映画館にあまり足を運ばない時期だったし、昔の話でミドルエイジの男性ばかりが出演する映画だから、それほどヒットしないと思っていたのですが、想定外のヒットを飛ばして非常に驚いています。
――特に若い世代が観たと伝えられていますが、ヒットの理由を監督はどう考えていますか。世の中が分断していたり、戦争が起きていたりという状況とも関係があると思いますか。
キム・ソンス監督:この質問はよく聞かれるのですが……実は、よくわかりません。むしろ、こういう映画は若い層には受け入れられないだろうと思っていたので、たくさんの人が見てくれたらと切に願っていたんです。想像よりずっと多い若者たちが関心を寄せ、応援してくれた理由は……おそらく今、韓国の若者たちは正義感というものに関心を持っているからではないでしょうか。
――チョン・ウソンさんやイ・ソンミンさん、チョン・へインさんをはじめ、キャスティングが豪華なことにも驚きました。キャストを選ぶ際に、こだわったこととは。
キム・ソンス監督:演劇で経験を積んだ俳優を中心に集めました。『アシュラ』(2016)の時から、リハーサルの時間を少し長く取って、人物の一連の動きを長回しで撮影する演出をしています。つまり、演劇のような動線を自然に作るんです。だから、舞台での経験が多い俳優を主にキャスティングしています。
『ソウルの春』に出演した俳優のもうひとつの特徴は、大半が40代、50代であることです。これはわたしの考えですが、この作品に参加してくれたのは、その方たちもわたしと同じように、これが韓国社会にとってとても重要な事件だと知っているのでしょう。あの時代を再現することに重要な意義があるという、使命感や情熱があったようです。
――なかでも保安司令官役のチョン・ドゥグァン役のファン・ジョンミンさんの凄みある演技が目を引きました。まさに演劇出身の俳優さんですが、本作での演技をどのように引き出していったのでしょうか。
キム・ソンス監督:この役をオファーする前に、ファン・ジョンミンさんの演劇を観にいったことがありました。シェークスピアの『リチャード三世』。実存したイギリスの王がモデルの、ゆがんだ人物の物語です。その演技を見た時に、「こんなにも狂気に満ちた、すさまじい王の姿をこんなにうまく演じられるとは、すごい役者だ」と驚きました。
ファン・ジョンミンさんと一緒に仕事をして感じたのは、心の中に決して消えない大きな炎を燃やしている人だということです。エネルギーと熱い情熱を持っている。だから、欲望の化身であるチョン・ドゥグァン役をうまく演じてくれると信じていました。監督としてのわたしの役割は、ライターに火をつけるのみ。ファン・ジョンミンさんは、その火を完全燃焼させてやり切ったのです。現場でファン・ジョンミンという俳優の演技を見守りながら、大きな快感を味わいました。
――その結果、韓国では「ファン・ジョンミンさんが憎らしい」と、ファン・ジョンミンさんが痛めつけられる役の『人質 韓国トップスター誘拐事件』(2021)が再び上映されるという現象が起きました。
キム・ソンス監督:『人質』でデビューしたピル・カムソン監督は、もともとわたしの助監督だったんです。だから、『人質』が再上映されたのは、とても面白かったしうれしかったですね。『ソウルの春』のファン・ジョンミンさんの憎らしい演技を観た人たちからは「怒りのやり場がない」という声も多く、発散の場として『人質』が再び公開されたようです。ピル・カムソン監督とは親しい仲なので、笑いながら長電話をしたりしました。
韓国映画界を代表する俳優たちの白熱の演技、スペクタクルな映像、緊張感と迫力あふれるストーリー。『ソウルの春』は、韓国で大ヒットしたのも納得の極上エンターテインメント大作ともいえる。
だが劇中には、これが揺るぎない実話をベースにしていることを証明する、一枚の写真が映し出される。インタビューの最後にその写真の意味を問うと、監督はこう答えた。
キム・ソンス監督:12.12軍事反乱という言葉を聞いた時に、韓国人が真っ先に浮かべる写真なんです。クーデターを成功させた反乱軍の人たちが会食を終えた後に撮った記念写真。まるで祝うかのように幸せそうな表情をしている、12.12軍事反乱を象徴する一枚です。
わたしは、12.12軍事反乱に興味を持った若い世代がネットで調べた時に、最初に目にするのがこの写真だと考えました。韓国のポータルサイトで検索すると、この写真が出てきます。これはわたしにとって、事件の時代にタイムスリップするための扉のような存在です。わたしも俳優も、そしてスタッフたちも、映画をつくりながら何度も写真を眺め、扉を開けたり閉めたりして、あの時代に入り込みました。
『ソウルの春』をご覧になって、事件が起きた時代をもっと知りたくなった方がいたら、この写真の扉を自ら開いて、事件の内幕を見つめてほしい。そんな願いを込めました。
8月23日(金) 新宿バルト9ほか全国公開
写真クレジット: (c) 2023 PLUS M ENTERTAINMENT & HIVE MEDIA CORP, ALL RIGHTS RESERVED.
配給:クロックワークス