「五輪の悔しさは五輪で返したい」新体操フェアリージャパン・杉本早裕吏キャプテンは前を向く
ここ数年、右肩上がりに実力を伸ばしている新体操団体の日本代表「フェアリージャパン」。14年から主将を務める杉本早裕吏(すぎもと・さゆり、24=トヨタ自動車所属)は、東京五輪の1年延期に大きなショックを受けながらも、再び前を向いている。
2015年世界選手権では、団体種目別リボンで40年ぶりの銅メダルを獲得。表彰台を狙った16年リオデジャネイロ五輪はミスが出て団体総合8位に終わったが、17年以降は世界選手権の表彰台にコンスタントに上がっており、19年にはとうとう種目別ボールで団体史上初の金メダルを手にした。
1年後の8月8日は、東京五輪最終日にして、新体操の団体総合決勝が行われる日。妖精たちが五輪の閉幕を華やかに締めくくるとき、世界に平和が訪れているはずだ。
■1年延期に「ショックで先が見えにくくなり、受け止めるのに時間がかかった」
杉本は1996年、愛知県に生まれ、6歳で新体操を始めた。転機は13歳だった09年に日本代表「フェアリージャパン」のオーディションに合格したこと。それから10年あまりは、まさに新体操一色の毎日だった。
杉本がフェアリージャパンの一員になったのはちょうど、日本新体操界が改革に乗り出した時期と重なる。04年アテネ五輪の出場を逃し、08年北京五輪は10位。どん底からの脱却を目指した日本協会は強豪国ロシアのノウハウを導入すべく、ロシア人コーチと契約。ロシアでの長期合宿が始まった。それ以降、団体メンバーは年間350日間もの合宿で強化を図り、共同生活を通じて連係を深めてきた。
そんなさなかに降りかかった新型コロナウイルス問題と五輪の延期。緊急事態宣言発令中の4月上旬から6月上旬までの約2カ月は、活動拠点となっている国立スポーツ科学センター(JISS)を使用できず、メンバーはそれぞれの実家に戻った。
杉本も実家に 帰省した。久々に家族と長時間をともに過ごし、時には姉の子どもを抱っこしての“筋トレ”も敢行。
8月上旬、日本体操協会を通じて杉本が出したコメントには、東京五輪の1年延期というまさかの事態に直面したアスリートの苦悩があふれていた。
「1年延期と決まった時は、今までにないくらい悩みました。今年に懸けてきたからこそ、ショックで先が見えなくなり、受け止めるのに時間がかかりました」
無理もない。それだけ新体操に打ち込んできたということだ。だが、自粛期間を経て
「家族や友人、支えてくれている方々の言葉で、気持ちが切り替わりました。このチームで最後までやりきりたい、という気持ちが強くなっています」と前を向いた。
■17歳で主将に就任。キャプテンを一度外されたことで起きた変化
杉本がフェアリージャパンのキャプテンを任されるようになったのは、まだ17歳だった14年秋。今ではすっかりキャプテンシーが身についている。
ところが、世界選手権で連続メダルを獲得するなど、順調に進んでいたと思われた19年7月のこと。コーチ陣から求められる厳しさを表現できていないという理由で一時、主将の立場を解かれたことがあった。
その後、気持ちを入れ直した杉本は自らキャプテン復帰を申し出た。この一件でチーム全体が引き締まり、9月の世界選手権への快挙へ繋がっていったのだ。当時の様子について、今年1月の取材で杉本はこのように話していた。
「外された後、自分の中で最後までやり切りたいという気持ちになり、自分の行動や、チームメートへの言葉遣いなどすべてを変えました」
それまでは漠然とした言葉遣いで濁すこともあったというが、場面ごと、選手ごとに具体的な言葉で伝えるようにした。言いにくかった言葉も、必要と思う時にはためらうことなく口にするようにした。
メンバーへの目配せは、実家に帰省している間も継続した。週2回の合同オンライントレーニングや、オンラインで行った仲間の誕生会で、画面越しに見える表情の変化を見逃さないようにした。
「延期になって少し落ち込む選手もいましたが、時間が経つと全員前を向いているように感じました。その姿を見て、私がみんなに助けられたと感じています。私自身、キャプテンとしてもっと成長していきたいです」
■東京五輪では「ボール」「フープ・クラブ」の2種目が行われ、総合で順位が決まる
国際体操連盟は先頃、東京五輪での新体操団体総合の種目を当初の予定から変更しないと発表した。行われる2種目は、19年世界選手権と同じ「ボール5」と「フープ3・クラブ2」。日本は引き続き得意種目で勝負できることになる。
「ボール」のテーマは 楽しいダンスパーティー。「フープ・クラブ」のイメージは日本の四季。曲で春夏秋冬を表現する。杉本は「初めて見る人にもこの2種目の物語が伝わるように演技しようとしています」と意気込んでいる。日本の良さはスピード感溢れる動きと、確かな手具操作。特にボールを片手でキャッチするテクニックは世界トップと評価されている。昨年の世界選手権団体総合では1位のロシアに0・5点差まで迫って銀メダルを獲得した。東京五輪で悲願のメダル、それも、金色を狙える位置にいる。
感染症対策を行いながら練習が再び始まっている今、杉本はこのように語っている。
「今ある演技を質の良いものに仕上げていこうとメンバーと話しています。そのためには、一人一人が自分の弱いところを強化すること。チーム全体では技術面も精神面でも安定感があるチームになることが必要だと思います」
■世界でも類のない超大技に挑むも……リオ五輪での悔しさを原動力に
五輪延期のショックから再び立ち上がると決意した背景には、もう一つ、大きな理由がある。リオ五輪での悔しさだ。
15年の世界選手権。リボンで大技の「3本投げ」を成功させて銅メダル獲得の立役者となった杉本は、リオ五輪で今度は「4本投げ」に挑んだ。世界でも類のない、日本オリジナルの超大技。予選ではこれを成功させて5位で決勝に進んだが、決勝では軌道がずれてしまった。それ以外にもチームにミスがあり、点数は伸びず、フープ・クラブで巻き返したものの総合8位に終わった。
今回の合同取材で、1年後の挑戦を決めた理由を聞かれ、杉本はこう答えた。
「五輪の悔しさは五輪で返したい。支えて下さる方々や応援して下さる方々に、私たちの演技で恩返しがしたい。改めてそう思ったからです」
自身にとって2度目となる五輪は、母国開催というだけでなく、金メダルの期待が大きく膨らみ、重圧もリオ五輪以上だろう。プレッシャーとどのように向き合っていこうと考えているのか。
「目標は金メダルです。けれども、結果を考えるのではなく、練習の時に100パーセント以上の力で練習していれば、それが自信や結果に繋がると信じています。プレッシャーを感じないくらい練習したいと思います」
心の中ではスポーツが持つ前向きなエネルギーを信じる思いも再び生まれている。
「新型コロナウイルスの影響で大変な状況になっているからこそ、五輪で私たちの演技を見た方々が勇気を持ち、笑顔になっていただけたらうれしいです」
1年後、世界に安寧が戻り、アスリートが存分に躍動できる日が来ることを切に願いたい。
==============
【連載365日後の覇者たち】1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、練習環境にも苦労するアスリートたちだが、その目は毅然と前を見つめている。この連載は、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、毎日1人の選手にフォーカスし、365日後の覇者を目指す戦士たちへエールを送る企画。7月21日から8月8日まで19人を取り上げる。(今回が最終回です)