名古屋の中華料理店が「短歌の聖地」として人気。全国の歌人が集まってくるワケ
関東や関西から訪れる歌人も! その目的は…?
名古屋駅から徒歩5分。超高層ビルが立ち並ぶ名古屋駅のおひざ元にしては意外なほど庶民的な雰囲気が漂う駅西銀座商店街。ここに今、「短歌の聖地」と呼ばれる場所があります。
黄色い看板が目印の中華料理店「平和園」。1974年創業のいたって庶民的ないわゆる「町中華」です。数年前から、ここに全国各地から歌人たちが集まるようになっているのです。
「周りに短歌をやっている人がいないので、同じ趣味嗜好の人同士で語らえる場は貴重です」というのは取材当日、わざわざ千葉からやってきていた女性。この日は店の常連でもある名古屋勢2人に、千葉、大阪の平和園ビギナーを加えた歌人4人での食事会。関東と関西のちょうど真ん中に位置する名古屋は、広範囲から集まりやすいといいます。
彼らがここに足を運ぶのは、そんな利便性だけが理由ではありません。常連の男性がこう語ります。「店主の小坂井さんと話すのが楽しいんです。人を見る目がちょっと他人とは違うんですよ」
そう。店の2代目、小坂井大輔さんの存在こそが、「短歌の聖地」として歌人たちが集まる一番の理由なのです。
独特の視点で異彩を放つ短歌界の新鋭にして異端児
小坂井さんは生家である「平和園」で20代から厨房に立つ中華の料理人にして、気鋭の歌人。昨年4月に出版した歌集『平和園に帰ろうよ』は、処女作にして見事、増刷がかかるヒット作となっています。
魅力は何といっても独特のアウトロー的な視点。その歌は例えばこんな調子です。
わたくしは三十五歳落ちこぼれ胴上げ経験未だ無しです
土下座したこともあるんだブランコに座った男の靴に踏まれて
金がそんなに偉いかちきしょうそんなにも偉いか 金が 金を ください
(『平和園に帰ろうよ』より)
出版元である書肆侃侃房の編集者、田島安江さんは小坂井さんの歌の魅力をこう評します。
「若い人が詠む歌は恋愛や友人、家族のことなど、青春の歌が多く、彼のように仕事や社会に題材をとったものは割合、少ないんです。地に足がついたリアリティのあるところが小坂井さんの持ち味だと思います」
こんな独自の世界観を持つ小坂井さんや短歌仲間と語らったり、現在5冊目となる記名用スケッチブックに歌を詠んだりするのが、ここを訪れる歌人たちの楽しみとなっているのです。
“中華鍋を振るう歌人” 小坂井大輔さんインタビュー
短歌界の異端児にして注目の新星、小坂井大輔さん。短歌を始めたきっかけや聖地化のいきさつなどを尋ねました。
―― 短歌歴はどれくらい? 始めたきっかけは?
小坂井 2013年からなので7年くらいです。大学を出て就職せずに店の手伝いをするようになって、気がついたら30歳を越えていた。“このままじゃヤバいぞ”と思って、とにかく何かしなくちゃ、と朝活の読書会を企画したところ、参加者の1人が戸田響子さんという名古屋の歌人でした。彼女が持ってきた短歌の歌集を見て“コレだ!”と思ったんです。その後、『かばん』という同人と『未来短歌会』という結社に所属して、本格的に短歌を詠むようになりました。
―― それ以前に詩を書くなどの経験はあったんですか?
小坂井 漠然と書いてみたいなぁという気持ちはどこかにありました。作文は子どもの頃から得意で、20代前半の頃にショートストーリーみたいなのを書いて出版社に持ち込んだこともありました。でも自費出版だったのでそれも何か違うと思って。それでも、なぜか“何か書ける”という根拠のない自信はずっと持ってました。
―― でも、文学青年っぽさは全然ありませんよね。歌もやさぐれ感とユーモアがないまぜの独特の味わいがあって、“短歌ってこんな自由でいいのか!”と衝撃を受けました。
小坂井 ヤンキーが詠んでるのか?とかよく言われます(笑)。やっぱり育ってきた環境が大きいです。名古屋駅のすぐ近くなんですけど、都会的な東側に対してこっちの駅西は酔っぱらいが裸で寝てたり、ケンカで救急車が飛んできたり、というのがちょっと前までは当たり前だったんですよ。短歌を詠む時にはタネ(題材)がいるんですけど、そんな時に昔から見てきた景色や人たちが自然と浮かんできました。ダメな人間だけどどこかかわいげがあって、でも哀愁もあり、それに対して少し憧れのような気持ちもあって・・・。そこに自分を重ねて詠んだら、“面白い”と言ってもらえて。歌人の中にそういう環境を体験している人はあまりいないようなので、誰も詠んでいないブルーオーシャンだったんです(笑)。
―― 歌人らが平和園に集まるようになったのはいつから?
小坂井 2016年頃からです。批評会の打ち上げで12~13人がうちの店に集まって、メンバーの1人が“みんなが集まるなら書いていってもらおうよ”とスケッチブックを記名帳として置いていってくれた。それがきっかけで、歌人がここに来ては歌を詠んで書いていくことが多くなりました。
―― 名古屋はもともと短歌が盛んな土地なのでしょうか?
小坂井 以前から「短歌の首都」と呼ばれているんです。短歌界の重鎮らの出身地だったり、“現代短歌のニューウエーブ”の中心的存在である荻原裕幸さん・加藤治郎さん・穂村弘さんがいずれも名古屋にゆかりがあったりして、催しも多い。そういう背景を知っている人からすると、うちの店が「短歌の聖地」と言われていることに対しても、“やっぱり名古屋は何かある”という印象を抱いてくれるみたいです。
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全国から人が集まりやすい利便性、ユニークなキャラクターの歌壇の新鋭、そして名古屋という街のバックボーン。それらがあいまって、一見ごく平凡な中華料理店が「短歌の聖地」となったのでした。おしゃれなジャズ喫茶やバーなどではなく庶民的な町中華というところに、自由度が高く敷居が低い短歌に通じる面白さも感じます。
そして何より大衆的で親しみやすいのが、小坂井さんのつくる炒飯やラーメンの味わいです。誰もが懐かしさを感じるザ・町中華の味。歌人たちはそこに郷愁を呼び起こされ、感性を刺激されているのではないでしょうか。そして、『平和園へ帰ろうよ』という歌集のタイトルの通り、初めて来た人もここへまた帰ってきたい、と思わされる。そんな魅力がこの店を「短歌の聖地」にしているのかもしれません。
(写真撮影/すべて筆者)