クラブひと筋20年超のDF岩清水梓が刻んだ300試合。一番記憶に残る試合は?
女子サッカー界にまたひとつ、偉大な記録が刻まれた。
日テレ・東京ヴェルディベレーザのセンターバック、DF岩清水梓が女子トップリーグで300試合出場を達成した。
記録を達成したのは11月26日のWEリーグ第4節・AC長野戦。トップリーグデビューから実に20シーズン目の大台突破となった。
年間34〜42試合を行うJリーグと比べて、女子のトップリーグは年間20試合前後(シーズンによって変動あり)と少なく、コンスタントに出場しても15年以上はかかる。
1989年にリーグが始まって以来、300試合出場達成者は8名しかいない。
(以下敬称略・達成順)山郷のぞみ、澤穂希、小野寺志保、大野忍、中野真奈美、松田望、上尾野辺めぐみ、深澤里沙。上尾野辺(新潟)と中野と深澤(現・大阪高槻)以外はすでに引退しているが、どの選手もプレーする姿を今でも鮮明に思い出せる。記録と共に、記憶にも残るレジェンドたちだ。
岩清水はその中に名を連ねた。そして、2つの点で際立っている。まずは、ひとつのクラブでキャリアを築いてきたことだ。
ひとつのクラブに長く所属している選手を、「バンディエラ」(イタリア語で「旗手」「旗頭」などを意味する)という。1999年に中学1年生で下部組織のNTVメニーナ(現・日テレ・東京ヴェルディメニーナ)に加入して以来、濃緑のユニフォームでピッチに立ち続けてきた岩清水は、クラブのバンディエラだ。それは、2006年以来、新潟でプレーしている上尾野辺にも当てはまる。
もう一つは、出産後に現役復帰を果たし、母として出場記録を更新し続けていることだ。
岩清水は2020年3月に出産。日本女子サッカーの最前線で様々な苦難を乗り越えてきたセンターバックにとっても、33歳で直面した産後復帰の道のりは相当にタフだったようだ。
年代別も含めた代表経験者が多いベレーザの練習について、「日々の練習が代表合宿のような感じです」と話す選手もいた。それだけ、ポジション争いは厳しい。その中で、岩清水は出産から2年後の今年3月に「スターティングメンバーに選ばれて、自分の息子を抱いて選手入場する」という夢を叶えた。
【記憶に残る試合】
ユース時代から岩清水の背中を見てきたDF村松智子は、300試合出場の記録達成を自分のことのように喜んでいた。
「一生の憧れの先輩で、いつか追いついて、追い越したいと目標にしてきました。イワシさんが先発でもそうでない時でも、常にチームに対しての声かけがプラスになっていて、改めてすごい人と一緒にプレーできていることに感謝しています」
岩清水は今季、ここまで公式戦全試合でピッチに立っているが、まだ出産前のようにフル出場ばかりではなく、ベンチスタートも、途中交代でピッチを退く時もある。とはいえ、リードしている試合の後半に出てきた時のゲームマネジメントなどは、サッカーを知り尽くしたインテリジェンスとしたたかさを感じさせる。
そして村松が言うように、たとえベンチからでも、的確な声でチームを落ち着かせることができる。
300試合の中で、特に記憶に残った試合はどれか聞いてみた。岩清水は「いろいろありすぎて、すぐには思い出せないな」と小さな笑みをこぼした後、ふと思い出したように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ベレーザが勝てなかった時期があったじゃないですか。自分がずっとキャプテンをやっていて、勝てないシーズンが続いて、やっと優勝できた2015年の駒沢(オリンピック公園陸上競技場)での(優勝が決まった)試合は印象深いですね。それまで優勝カップを掲げたことがなかったから、みんなに『え?私がやるの?』って言いながら掲げて…今までは先輩が当たり前のようにやっていたのを見てきたので、その時のことはよく覚えています」
「勝てなかった時期」というのは、主力が大量移籍して世代交代を迎えた2011年から2014年までの4年間のことだ。4年連続2位で、決して弱かったわけではないが、岩清水にとって優勝以外は敗者と同じだろう。そのタイトルへの飢えと向上心が、チームを導いてきた。FW植木理子の言葉を借りれば「勝つ方法を一番知っている選手」だ。
今、ベレーザは新世代を中心に発展期を迎え、昨季は8年ぶりの無冠に終わった。今年10月のリーグカップ決勝も、あと一歩のところでタイトルを逃している。
今季は5節を終えて3勝2敗で暫定4位と、例年より苦しいスタートとなったが、リーグは始まったばかりだ。そして、12月からは皇后杯の戦いがスタートする。
背番号33の新たな挑戦は始まっている。