観光客は地域にとって根源的に「コスト」でしかない
さて昨日、拙著「『夜遊び』の経済学 世界が注目する『ナイトタイムエコノミー』」(光文社新書)が発売されたワケですが、その新著内でも言及した観光新興施策に対する「間違い」を象徴するニュースが報道されております。以下、朝日新聞からの転載。
超満員のバス、消えゆく情緒…急増する訪日客に京都苦悩
http://news.livedoor.com/article/detail/13199857/
急増する外国人観光客が日本屈指の観光都市・京都に押し寄せ、住民の日常生活に思わぬ影響が出始めている。バスは満員、違法民泊も増え、「もはや限界」「観光公害」という声が出るほどだ。その陰で人口が減り、行く末を憂える地区もある。国が進める「観光立国」に死角はないか。
石畳に白川のせせらぎが響く祇園新橋地区。京町家が並ぶこの観光スポットで今春、地元住民らが大きな決断をした。27年前から続けられてきた夜桜のライトアップを中止したのだ。
訪日外客が増え、彼らが京都に殺到した結果、地域住民からは「観光公害」などという評まで出て来ている事態。その結果、長らく地域で続けられてきた夜桜のライトアップが中止にまで追い込まれたとの事です。実は、拙著「夜遊びの経済学」ではこれと類似する事例として、近年開催の縮小が行われた神戸の冬のライトアップイベント「神戸ルミナリエ」をご紹介しているのですが、まさに同じような状況が現在進行形で京都にて発生してしまっているといえるでしょう。
「夜遊びの経済学」では第三章の「夜の観光を振興する」において、観光振興を考えるにあたっての原則的な考え方に関して以下のように記述して居ます。
観光客は「ただそこに来る」だけでは経済効果は生まず、むしろそれを受け入れる側の地域にとっては、一義的に「コスト要因」に他ならない。観光客が訪問先でゴミを発生させれば、それを処理するのは地域の自治体であり、その原資は地域に住む住民の治める税である。観光客が歩く公道、使用する公衆トイレは全て自治体財源によって維持管理される公共物であり、ましてや観光客を迎え入れる為に新たなインフラ整備を行うということになれば、当然そこには地域住民の血税が投入されることとなる。
そのような様々な財源部分の話をさっぴいたとしても、そもそも域外から得体の知れない人間が多数来訪し、道端でワイワイガヤガヤと大騒ぎし、私有地や進入禁止地域にまで入り込み、「旅の恥はかき捨て」とばかりにトラブルを巻き起こすなどというのは、地域の住民にとって必ずしも歓迎されるものではない。はっきり言ってしまえば、観光客というのはそこに根ざして生活する人間にとっては、根源的に厄介者であり、迷惑以外の何ものでもないのである。
観光業界に生きる人、観光行政に関わる人というのは多くの場合、観光振興は「地域の魅力を発信すること」であり、同時にそれは「地域にとって喜ばしいこと」であるといった間違った考え方から論議を始めることが多いのですが、観光に関わる人達がまず自覚しなければならないのは「観光客というのは原則的に地域にとってはコスト」であり、「観光振興というのは基本的に地域にとってマイナスからのスタート」であるということなのです。
そして、本書ではこのマイナスから始まる観光政策に関して、以下のように論議を転換させているわけです。
繰り返しになるが、観光客が来るという事は、根源的に地域にとってはコストである。観光客を多数誘致したにも拘わらず、そこで発生する様々なコストを上回る経済効果が地域にもし生まれなければ、観光施策はただ地域のリソースだけを浪費して、リターンを生まないマイナスの政策になってしまう。国や地域がもし自然や歴史など収益を生みにくい観光資源を「売り」とするのなあば、逆に「そこからどうやってお金を生み出すのか」という仕組みづくりにもっと真剣に取り組む必要がある。そして、この「消費」の観点から観光政策を捉えた時、ナイトタイムエコノミー振興の重要性が見えてくる。
ナイトタイムエコノミーというのは、日没から翌朝までの間に動く様々な経済活動を総称する概念でありますが、このナイトタイムエコノミーの振興はその性質上昼間が中心となってしまい、同時に収益の生み難い自然や歴史などの観光資源を補完し、地域を訪れる観光客から大きな「消費」引き出す観光資源として現在、世界的に注目が集まっているもの。我が国はまさに、このような自然や歴史を観光の「売り」とする国であるわけですが、そうであるならば尚更に陽が落ちてからの観光、そして「儲かる」夜の観光の振興を真剣に考えなければならないわけです。
拙著「『夜遊び』の経済学」では、現在世界で行われているナイトタイムエコノミー振興策を豊富な実例を元に様々な角度からご紹介をしているところ。是非、ご一読頂けましたら幸いです。