EU加盟交渉を凍結 ジョージア首相「欧米は我々にロシアと戦争させたい」――なぜ関係はこじれたか
- ジョージア政府はEU加盟交渉を2028年まで凍結すると発表した一方、ロシアとの関係改善を段階的に進めている。
- ジョージアでは2003年に親ロシア派政権が親欧米派のデモで崩壊し、2008年にはロシアと戦争した歴史もある。
- それにもかかわらず関係がこじれた背景には、ジョージアで欧米への期待がしぼみ、それに乗じて反欧米ポピュリズムが台頭したことがある。
「欧米が戦争させようとしている」
カフカス(コーカサス)にあるジョージアのイラクリ・コビハゼ首相は11月28日、EU加盟交渉を2028年まで凍結すると発表した。
EUは2009年、旧ソ連圏6カ国に対して加盟を前提にした交渉を呼びかけ、ジョージアとの協議も断続的に続いてきた。しかし、今回のジョージア政府の決定はEU加盟をやめると宣言したに近い。
この決定を受け、首都トビリシではEU加盟推進を求める数千人のデモ隊が警察と衝突した。
もっとも、ジョージアと欧米の関係はそれ以前から悪化していて、EUの側にも加盟交渉への熱意は失われていた。
例えば在ジョージア・オランダ大使は11月20日、現地メディアのインタビューに「率直にいって、信頼関係を回復するには相当長い時間が必要だと思う」とジョージア政府への不信感を露わにした。
それも無理のない話で、ジョージアでは「欧米はウクライナの戦況を好転させようと、ロシアの戦線を分断するため、ジョージアに戦争させようとしている」という“第二戦線論”が流布してきたが、その先頭に立ってきたのがコビハゼ首相自身だったからだ。
欧米接近を目指したジョージア
第二戦線論は全くの事実無根でもないが、かなりの誇張を含んでいる。
2022年3月、ウクライナの当時の国家安全保障会議議長は「ジョージアがロシアに占領されている土地(後述)を奪還すれば我々の助けになる」と発言した。この発言は軽率だったといわざるを得ないが、「欧米がそれを後押しした」という根拠はない。
ところが、コビハゼや与党“ジョージアの夢”の閣僚はさらに「ユダヤ財閥など世界に戦争を拡大させようとする勢力(ワールド・ウォー・パーティ)の影響下に欧米は置かれている」という陰謀論も展開してきた。
今日、米次期大統領ドナルド・トランプのように陰謀論やフェイクニュースを拡散する政治家は珍しくないが、それにしてもジョージアで、というのが欧米にとっては重大な意味がある。
ジョージアはこれまで旧ソ連圏における欧米の足場とみられ、かつてロシアと戦争したこともあるからだ。
もともとジョージアでは親欧米派と親ロシア派の対立が目立ち、その点でウクライナに似ている。
その対立が火を吹いたのが2003年の“バラ革命”だった。親欧米派の大規模な抗議活動で当時の親ロシア派政府が崩壊し、それからジョージアはロシアと距離を置こうとしたのだ。
当時アフガニスタンで行われていたアメリカ主導の対テロ作戦(ISAF)にもジョージアは参加したが、これは非NATO加盟国による数少ない参加の一例だった。
ジョージア戦争の残した影響
この親欧米路線が最初につまづいたのは、2008年に発生したロシアとの戦争だった。
ロシアとの国境に近い南オセチア地方とアブハジア地方では1990年代以来、少数民族がジョージアからの分離独立を求め、その“要請”を大義名分にしてロシア軍が駐留していた。
親欧米派政権はこの問題に決着をつけようとNATO加盟を申請する一方、南オセチアやアブハジアへの経済封鎖を強化した。これを受けて南オセチアやアブハジアはロシア編入を求めるようになり、ジョージア軍との衝突も激化するなか、ロシアは「少数民族が虐殺されている」と主張して大規模な軍事侵攻を開始したのだ。
ところが、圧倒的な兵力差に直面したジョージアの支援要請があっても、欧米はロシアを外交的に非難する以上の関わりをせず、経済制裁も行われなかった。
当時、対テロ戦争を何より優先させていたアメリカは、イスラーム過激派対策などで協力するロシアとの関係を優先させたのだ。
経済停滞のなかの揺れもどし
ジョージアでの戦争は結局、フランスの仲介もあって1週間後に停戦が実現した。しかし、ロシアは南オセチアとアブハジアを独立国家として承認し、事実上ジョージアから切り離した。
このジョージア戦争は、ウクライナ侵攻におけるロシアの行動パターンの原型ができたという意味で“テストケース“とも呼ばれる。
ともあれ、この一連の顛末がジョージア国内で欧米への期待をしぼませたとしても不思議ではない。
その反動で親ロシア派が息を吹き返したのだが、これを後押ししたのは生活の悪化だった。
親欧米政権のもとでジョージアは規制緩和や小さな政府に基づくいわゆる新自由主義的な改革を進め、これと連動して欧米からの投資も増えた。
しかし、それにつれてインフレ率や失業率も徐々に上昇した。
決定的だったのは2008年、ジョージア戦争の直後の9月に発生したリーマンショックで、ダブルパンチに見舞われたこの国では失業率が20%にも達した。
生活苦が広がるなか、2012年選挙で親欧米派政党“統一国民運動”は “ジョージアの夢”に敗れた。欧米接近への期待が大きかっただけに、揺れもどしも大きかったといえる。
ウクライナ侵攻をめぐる摩擦
“ジョージアの夢”は保守派から社会主義者に至る多様な集団の集まりで、一致した方針に乏しいが、親欧米路線の転換という点ではほぼ共通する。
そのため2012年以来、ジョージアでは小さな政府から積極財政に舵がきられた。その結果、公共セクター就労者は現在、全労働者の約1/4にもおよび、それにつれて失業率はやや改善した。
その一方で、かつての戦争の記憶もあってか、ジョージア政府はロシアに露骨に接近することもなかったが、ウクライナ侵攻が始まってから欧米との距離感はより鮮明になった。
ジョージアは国連総会でのロシア非難決議に賛成したものの、対ロシア制裁には参加せず、ウクライナに軍事協力も行なわなかった。
欧米との温度差が鮮明になるにつれ、経済関係も冷却化した。ジョージア向けの海外直接投資は2023年、前年比24%減少した。同国向けの投資の上位4カ国はイギリス、オランダ、トルコ、アメリカで、ロシアは5位にとどまっていた。
それにともないジョージアはさらにロシアとの関係改善に向かい、今年初旬には途絶えていたモスクワとの直行便再開に合意した。
これは当然のように欧米各国からの批判を招いたが、一方のジョージアでは逆に「トルコのようにロシアと直行便を存続させているNATO加盟国もあるのに、まだNATOに加盟していないジョージアがなぜ圧力を受けなければならないのか」と、欧米のダブルスタンダードに対する批判も噴出した。
反欧米ポピュリズムの行方
欧米との関係が悪化するにつれ、ジョージア政府は急速に強権化した。今年5月、NGOなどの民間団体が資金の20%以上を外国から受け取ることを禁じる“反スパイ法”が成立したことは、その典型だ。
これは“欧米的価値観”の流入を規制するもので、ロシアにも同様の法律がある。
さらに10月の議会選挙で、欧米との関係は決定的に悪化した。
この選挙で“ジョージアの夢”は勝利を宣言したが、選挙戦で冒頭に触れた“第二戦線”や“ワールド・ウォー・パーティ”などの誤情報、陰謀論が政権幹部によって大量に拡散されただけでなく、OSCE(欧州安全保障協力会議)の選挙監視団が買収、脅迫、暴行といった不正が組織的に行われたと報告したことを受け、アメリカなどがコビハゼ首相らジョージア政府首脳に経済制裁を科すと決定したのである。
こうした状況のもと、ジョージアのEU加盟はもともと絶望的になっていた。コビハゼ首相による加盟交渉凍結の発表は、実態を追認したに過ぎないともいえる。
それでもコビハゼは欧米の批判を不当と強調し、「EUには膝を屈してではなく尊厳をもって加盟する」と主張するなど、強気の姿勢を崩さない。
そこには、たとえ欧米と断絶しても、対ロ関係の修復だけでなく対中関係の強化によってリカバリーできるという目算があるとみていいだろう(ジョージアは“一帯一路”に参加している)。
とはいえ、ロシアが自国のことで手一杯で、中国も経済停滞でかつてほど気前よくないなか、ジョージア政府の期待通りに進むかには不確実性もある。
その一方で、欧米が旧ソ連圏をめぐる争奪戦で一歩後退したことも確かだ。少なくとも、ジョージアと欧米の事実上の断絶が、混沌としたユーラシアの地政学を象徴することは間違いないのである。