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【高校野球】仙台育英と石川県・飯田、輪島の交流 最終3日目

高橋昌江フリーライター
最終日の3日目は強い雨が降り、室内練習場で練習となった

 仙台育英(宮城)で3月27日から行われた、石川県の飯田と輪島との交流。最終3日目の29日は午前中に合同練習で技術を高め合い、午後、飯田と輪島は石川県に帰った。1月1日に発生した能登半島地震で飯田(珠洲市)、輪島(輪島市)の両校は地元から避難中の部員がいたり、グラウンドも地割れしたりと甚大な被害を受けている。

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■「何したい?」「育英のメニューをしたい」

 激しい雨が地面を打ちつける。前日の夕方からグッと冷え込み、最終日はあいにくの大雨。午前4時過ぎには仙台市東部に暴風、波浪警報が発表されたほどで、東北、秋田、山形新幹線は停電の影響で運転の見合わせが起こった(9時頃、全線で運転再開)。

3校が一緒にウォーミングアップ。仙台育英のメニューを行った
3校が一緒にウォーミングアップ。仙台育英のメニューを行った

3校合同のウォーミングアップではハイタッチも
3校合同のウォーミングアップではハイタッチも

 時計の針がまもなく8時を指す。ゴーッと雨音が響く、仙台育英の室内練習場では3校の部員たちが集合し、練習が始まった。各々がストレッチをし、仙台育英のウォーミングアップを全員で。体ができたところでポジションごとに分かれた。仙台育英の選手が「何したい?」と訊ねると、「育英のメニューをしたい」と飯田と輪島の選手。

 仙台育英の室内練習場にはウエイトトレーニングの器具が充実している。スクワットやベンチプレス、アームカール、レッグプレス…。みんなでトレーニングに励む。懸垂では「顎まで、顎まで」の声が飛ぶ。「腕より、背中を使う」とも。トレーニングのポイントや効果を話しながら、鍛えていく。

トレーニングを行う選手たち
トレーニングを行う選手たち

 バットを握った選手たちはティー打撃やピッチングマシンを使ったフリー打撃で打ち込んでいる。捕手は防具を着けて奥の空いているスペースへ。キャッチボールの後、ゴロ捕球やショートバウンドの捕球をし、キャッチングやブロッキングと捕手スキルを磨いていく。

練習で話し合うキャッチャー陣
練習で話し合うキャッチャー陣

 2日前の午後から同じ時間を過ごしてきた仙台育英、飯田、輪島の部員たち。全体を見渡して、飯田の顧問である水上理雅先生の声が弾む。「動きが全然、変わりました。吸収するスピードに驚いています」。さまざまな場面を写真で残しておこうと、震災後に買ったという一眼レフカメラに成長の跡を刻んできた。

■「輪島から来た時より、断然、上手くなった気がします(笑)」

 内野手のゴロ捕球では、仙台育英・須江航監督が自らボールを投じてアドバイスを送る。捕球する選手の前にはフラットマーカーが縦に並び、「どこまで転がってきたら右足を入れるのか、感覚を養う。センスじゃなくて、感覚。時間や目の基準がほしいから」と意図を説明。マーカーを目印に捕球体勢に入るタイミングを身につけていく。輪島・池壱心(新2年)は「捕る前の間を作りやすくなるなど、ボールに対して合わせやすくなりました」と喜んだ。3日間、野球に集中できる環境で過ごし、「輪島から来た時より、断然、上手くなった気がします(笑)」と自らの成長を実感。上手くなる、できるようになるというのは楽しい。

内野手はマーカーを目印にゴロ捕球
内野手はマーカーを目印にゴロ捕球

 メディシンボールを使ったトレーニングに、熱心に取り組んでいたのが仙台育英・佐々木広太郎(新3年)と輪島・中川直重(新3年)。初日から一緒にメニューをこなし、「こうたろう」「シゲ」と呼び合う仲になった。前日の動画とこの日の動きを比べ、「いい、昨日と違う!」「昨日より胸郭の使い方が上手くなっている!」という佐々木の声に、中川の顔がニヤける。

 「自分が持っているものを1つでも伝え、少しでも野球を楽しんでもらいたいという気持ちでした」と佐々木。仙台育英の選手にとってもプラスで、普段の練習から取り組むメニューだけに「(人に伝えることで)言語化することでより意味がわかりますし、再確認もできました」と振り返った。中川に対しては、「面白くて、本当に性格がいい。“いいやつ”という言葉がめっちゃ似合う人」と表現した。

前日と動作を比較する仙台育英・佐々木(左)と輪島・中川
前日と動作を比較する仙台育英・佐々木(左)と輪島・中川

 10時40分。集合がかかった。宮城の名産「笹かまぼこ」が差し入れられた。みんなでたんぱく質を補給だ。

 グラウンドの三塁ベンチには、宮城をPRする張り紙があった。〈ようこそ「宮城」へ〉〈宮城に来たら1回は行ってほしい 食べてほしい 宮城の“オススメ”を紹介します!〉という紙を真ん中に、向かって左が「観光地編」、右が「食べ物編」となっている。観光地の1つ目は松島で、2つ目は秋保温泉(効能まで説明してある)。オススメの食べ物は1つ目が牛タンで、2つ目が笹かまぼこ。その笹かまぼこが練習中に登場した。

三塁ベンチでは宮城のオススメのスポットや食べ物が紹介されていた
三塁ベンチでは宮城のオススメのスポットや食べ物が紹介されていた

 笹かまぼこを頬張り、練習再開。1球を打つたびに、1つのトレーニングが終わるごとに、時計の針が進む。時間が惜しい。

■ONE TEAM

 残り時間の40分はあっという間に過ぎた。

 片付けをし、11時38分、閉会セレモニーが始まった。司会は仙台育英の栗島世大(新3年)と武藤陽世(新3年)。まずは仙台育英・湯浅桜翼主将(新3年)がマイクを持った。

「輪島高校のみなさん、飯田高校のみなさん、3日間、お疲れ様でした。みなさんが笑顔で、1球1球プレーする姿は私たちにとって、もっともっと頑張ろうと思わせてくれた時間でした。みなさんにとってこの3日間が素敵な思い出となってくれたら嬉しいです。みなさんと出会えたこのご縁をいつまでもつなげていきましょう。また、会える日を楽しみにしています。3日間、ありがとうございました」

 そして、輪島の代表である中川と飯田の山田恵大主将(新3年)が前に出て、仙台育英側からそれぞれに色紙が贈呈された。

仙台育英から飯田、輪島の両校に色紙が贈られた
仙台育英から飯田、輪島の両校に色紙が贈られた

 そのまま、2人があいさつする。

「3日間、ありがとうございました。仙台育英高校さんには自分たちが知らないトレーニングとかいろんなためになることを教えてもらって、本当にありがたいです。仙台育英さんと関わりができたのは本当にご縁なので、これからもつながっていけたらいいなと思います。3日間、ありがとうございました」(中川)

「まずは3日間、本当にありがとうございました。この3日間は自分の野球人生の中でも笑顔溢れる3日間になって、楽しかったです。甲子園常連校さんと楽しむことができた、いい思い出を作ることができたというのは、チームとしても個人としても嬉しい気持ちでいっぱいです。本当に3日間、ありがとうございました」(山田主将)

 続いて、仙台育英・須江監督が「みなさん、お疲れ様でした。どうでした、3日間。あっという間でした? どうかな?」と話し出した。感じたこと、伝えたいことが溢れ出る。

「石川に帰れば、大変なことが待っていますが、Tシャツを見て思い出してください。僕らも東日本大震災でいろんな人に助けてもらったから。いつでも飛んでいきたい気分です。邪魔じゃないタイミングで必ず行くので。もしかしたらもう卒業している頃かもしれないですが、必ず行くので。その時、またどこかで会えたら、と思っています。離れていて、チームも学校も違うけど、本当に“ワンチーム”だと思っているので。今年の夏は“ワンチーム”を大切に思いながら僕らは戦いたいと思っています。今は苦しいかもしれないけど、君たちのことを思っている人がたくさんいるということを頭の片隅に入れてもらって、明日からもまた頑張ってください。本当に来てくれてありがとうございました。また会いましょう。一旦、お別れです。また、よろしくお願いします」

 最後の集合写真撮影。肩を組んだ「ONE TEAM」な一枚に笑顔が広がっている。

最後の記念撮影。肩を組み、「ONE TEAM」だ
最後の記念撮影。肩を組み、「ONE TEAM」だ

■不運ではあったけど、不幸ではない

 記念撮影の流れから、石川県高野連監督会代表で、金沢桜丘の井村茂雄監督が3校の部員にメッセージを送った。今回の企画は井村監督が須江監督と連絡をとったところから始まっている。

「素晴らしい充実した時間でした。憧れの仙台育英さん。実際に来てみて、君たちの考え方、そして言語化の力、練習に対する取り組み、本当に素晴らしかったです。須江監督には今回に関するいろんなことを短時間でスピーディーにやっていただきました。企画力、実現力のある方で、本当にすごい人だなと思いました。君たちは須江先生のもとで当たり前にやっていると思いますが、そういう中で練習しているから、卒業したら素晴らしい選手にもなるだろうし、人材として社会に飛び立っていくんだろうなというのをすごく感じました。ですので、堂々と自信を持って、日本一も目標だと思いますが、日本を背負うリーダーとして活躍できるように期待していますし、応援しています」

「輪島高校のみなさん、私はグラウンドを提供したり、いろいろと関わることが多々ありました。君たちのスタイルは情報を自分たちで収集し、それをもとに自分たちで考えて練習するというものです。仙台育英さんで選手から学んだことや一緒に練習して感じたことが必ず君たちの財産になると思います。1年生(新2年生)が多いので、今だけではなく、これからも自走するためにこの3日間を大切な教材として利用してもらえたらなと思っています」

「そして、飯田高校のみなさん、笛木(勝)監督は私が尊敬する監督です。笛木監督を救いたいなという思いで、招待試合の相手として紹介させていただきました。笛木先生、残念ながら異動になります。だからこそ、君たちは自走していかなければなりません。仙台育英さんで学んだことを君たちの財産として、先生がいなくなっても堂々と頑張ってほしい。仙台育英さんとの試合、本当に感動しました。すごい力を持っているなと思いました。石川県のトップを目指してお互いに切磋琢磨して頑張りましょう」

3校の部員に話をする輪島・冨水監督(左)
3校の部員に話をする輪島・冨水監督(左)

「思いっきり野球ができる場所を提供していただいた」と感謝したのは輪島・冨水諒一監督だ。

「地震で被災し、学校でもよく言っているのですが、非常に不運ではあったんですけど、いろんな人に支えていただいて、不幸ではないなと感じました。今、自分たちができていることは当たり前じゃなくて、たくさんの人のおかげで、すごくありがたいことなんだということにも気づかせていただいた。こうして、普通の生活をしていれば出会うことがない人たちと出会うことができるなど、本当に不運だったけど、幸せもたくさんもらえたなと思います。お金では買えないようなたくさんのものをたくさんの人たちからいただいたなと思っています。このつながりを大切にして、仙台育英さんにお返しするとか、須江先生にお返しするとかはなかなか難しいかもしれないですけど、自分たちの力をつけて、困っている人たちに次はこの思いをつなげていきたいなと感じました。本当にありがとうございました」

■手料理を食べられる。水を使える

 冨水監督からマイクを受け取った飯田・笛木勝監督は、なかなか話し出せない。

「すみません、すぐ泣くんですよ、私、ごめんなさい」

 1月1日、それまでの暮らしは一変し、日常は姿を変えた。

「ずっと不安の中で生活してきました。生徒も不安の中で生活して、(宮城に)行っていいのかという気持ちもありました。ただ、井村先生が背中を押してくれて、みんなで行こうと決めて、ここに来ました。いろんなことが不安であったんですけど、須江先生の写真(ホームステイの様子)を見せてもらって、子どもたちが温かい手料理を食べられている、って。避難所はずっとお弁当なので。トイレで手を洗えるとか、みんなが優しくしてくれているとか、笑顔が見られているとか。いろんなところで僕がホッとできている。来てよかったなって、本当に思う場面がいっぱいありました」

 笛木監督の涙は止まらない。

「仙台育英の選手のみなさん、本当にありがとうございました。これを機会にずっと、ずっとずっとワンチームでいてほしいです。縁を大切にしていってほしいと思います。私も仙台育英のいちファンになりました。これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました」

 話し終えた笛木監督を3校の部員たちが囲んだ。人事異動で飯田を離れ、新年度から金沢西に赴任することが決まっている。はなむけの胴上げ。スラッとした長身の身体が10度宙に舞った。

飯田・笛木監督は3校の部員たちに胴上げされた
飯田・笛木監督は3校の部員たちに胴上げされた

■「またね」

 ホームステイのホストファミリーと記念撮影するなどし、昼食をとってバスに荷積み。「夏が終わったら、石川に行くから!」という仙台育英の選手の声が聞こえる。あちらこちらから「またね」「またね」という声も絶えない。

 空はどんより曇っているが、雨はいつの間にか上がっていた。13時ちょうど。予定通り、飯田と輪島の部員らを乗せたバスが仙台駅に向けて出発した。手を振り合い、見送り、見送られ。「またね」という再会を約束して。

13時。「またね」と再会を誓って、バスが出発
13時。「またね」と再会を誓って、バスが出発

 それから1時間も経たずに仙台育英のグラウンドには青空が広がった。人工芝の球場では、隣県の公立校との練習試合ができている。

「止まない雨はない」とか「明けない夜はない」といった言葉がある。そうとは分かっていても、現実に困難が降りかかった時、希望は抱きにくい。雨が降っている。または闇夜のど真ん中にいるのだから。でも、荒天の午前中がウソのように雨は止んだ。青空まで広がっている。雨は止むし、夜は明ける。雨が降っている時には凌げる傘を、暗がりでは淡い光を放つランプをスッと差し出せる人が差し出す。だから、雨も夜も耐えられる。そして、未来を見据える時のチカラにもなると思いたい。

午前中の大雨から打って変わって、午後は青空が広がった
午前中の大雨から打って変わって、午後は青空が広がった

 交わした会話、過ごした時間。悩みや苦労の内容は違えど、3日間の交流を通し、仙台育英、飯田、輪島の部員たちは互いに“傘”や“ランプ”を交換していたように思う。気づきや学び、明日への活力――。それに、友情。得たこと、生まれたものは高校時代の宝となるだろう。

(写真はすべて筆者撮影)

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フリーライター

1987年3月7日生まれ。宮城県栗原市(旧若柳町)出身。大学卒業後、仙台市在住のフリーライターとなり、東北地方のベースボール型競技(野球・ソフトボール)を中心にスポーツを取材。専門誌やWebサイト、地域スポーツ誌などに寄稿している。中学、高校、大学とソフトボール部に所属。大学では2度のインカレ優勝を経験し、ベンチ外で日本一を目指す過程を体験したことが原点。大学3年から新聞部と兼部し、学生記者として取材経験も積んだ。ポジションは捕手。右投右打。

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