ワインツーリズム@フランス シャンパーニュの聖地エペルネ小旅行
「フランスでワイン産地巡りをしたいのですが、どこがいいですか?」
というご質問をいただくことがあります。
フランスには、ブルゴーニュ、ボルドー、アルザス、南フランス、ロワール等々、それぞれに個性的なワイン産地があって、その風土や食べ物ともども、いずれも魅力的なデスティネーションです。
貴重なフランス旅行の日数の中で、短期間でレンタカーはせず、なるべく公共交通機関を利用して旅をしたいということなら、私はまずシャンパーニュ地方をお勧めします。
パリからアクセスしやすい「エペルネ」
シャンパーニュ地方はパリから東へ。フランスのワイン産地の中でも最北に位置しています。主な都市は、ランス、エペルネ、トロワです。
いずれの街にもパリからTGV(高速列車)か普通列車が通っていて、ランスまでは1時間弱、エペルネへは1時間半ほどで到着できるという近さ。またランスとエペルネ間はローカル線があり、二つのシャンパーニュの聖地をおよそ35分で結んでいます。
今回紹介するのはエペルネ。
ワイン通でもなければ、エペルネという地名はあまり馴染みがないかもしれません。人口23,000人ほどの町ですから無理もありません。
けれども、Moët & Chandon(モエ・エ・シャンドン)、Perrier Jouët(ペリエ・ジュエ)という名前をご存知の方は多いはず。こうした有名シャンパーニュメゾンの本社があり、シャンパーニュ同業者委員会の本拠地があるのもエペルネなのです。
2015年、シャンパーニュは世界遺産に登録されました。シャンパーニュの丘陵、メゾン、カーブなど様々な要素が登録の対象となりましたが、エペルネのメインストリートもその一つ。その名も「アヴニュー・ドゥ・シャンパーニュ(シャンパーニュ大通り)」と言います。
通りには、先にあげた2つのメゾンをはじめ、シャンパーニュで財を成した人々が建てた邸宅が並び、優雅な景観を見せています。
そして、このエリアの地下には複数のメゾンのカーブが広がっていて、総延長は100キロメートル以上。そこでは2億本ものシャンパーニュがゆっくりと熟成されていると言いますから、何層にも重なる豊かさがある場所です。
7月初め、現地でのスペシャルディナーの折、エペルネ観光局の計らいでフランス人ジャーナリスト達とともに、シャンパーニュ生産者らを訪ねる機会を得ましたので、この地方の魅力の一端をお届けします。
こちらの二つの動画でもエペルネの旅の様子をお伝えしていますので、どうぞ合わせてご覧ください。
アットホームなシャンパーニュ生産者を訪ねる
シャンパーニュ地方のブドウ畑の総面積は3万5000ヘクタール。15000軒ものヴィニュロン(ぶどう栽培家)があるそうです。
最初に訪ねた一軒は、エペルネの東、車で10分ほどのところにあるアイという町の「Champagne H.Goutorbe(シャンパーニュ・アンリ・グートルブ)」。家族経営のシャンパーニュ生産者です。
自家で瓶詰めまでするようになった、つまり自分の家のラベルを貼ったシャンパーニュを生産するようになったのは第二次世界大戦後のこと。現在は、22ヘクタールの畑を有し、収穫期には80〜100人の収穫人が働くということですから、家族経営としては規模の大きな生産者といえるでしょう。
育種業も営み、ホテルも経営しているという多角経営ぶりはなかなかのものですが、そもそもブドウ栽培だけに特化した農家より、穀物栽培などの副業を持っていた農家が一般的だったという話はしばしば耳にすることです。
昨今のように、レコルタン・マニピュラン(小規模自家栽培・醸造メーカー)が注目される前は、世界的に有名なシャンパーニュ産地といえども、大手メゾンや組合とは別に独立独歩の形を取るのは難しかったという証でしょう。
私たち一行を迎え、案内してくれたニコルさんとルネさんご夫妻は、すでに引退している年齢。家業は2人の息子さんが継いでいますが、訪問者を迎えたりするときには、ご夫妻のパーソナリティが不可欠という様子です。
今回は大人数の訪問で、ランチもここでいただくというスペシャルな機会でしたが、通常、一般の訪問も予約制で受け入れていて、蔵出しのシャンパーニュを直接、買うこともできます。
ちなみにこの町アイは、フランスの王様アンリ4世(1553〜1610)と縁の深い場所です。王の主治医は、シャンパーニュ地方のワインを飲むことを勧めたので、この村には王のワインのための圧搾所が設けられました。
もっとも、私たちが思い浮かべる発泡酒シャンパーニュが誕生したのは、これよりも後の時代。アンリ4世の時代だと、このあたりは赤ワインの産地でした。しかも、赤ワインの銘醸地ブルゴーニュよりも北に位置しているので、ブルゴーニュワインよりも軽い赤ワインが作られていたのだそうです。
シャンパーニュで栽培されているブドウの品種の主なものには、シャルドネ(白ブドウ)、ピノ・ノワール(黒ブドウ)、ピノ・ムニエ(黒ブドウ)がありますが、アイでは今でも、アンリ4世の時代からの伝統に由来するピノ・ノワールが主力となっています。
「シャンパーニュ大通り」の優雅なメゾン
一方、エペルネのメインストリート「アヴニュー・ドゥ・シャンパーニュ」には、シャンパーニュメゾンの豊かさを体現したような邸宅建築がずらりと並んでいます。
「モエ・エ・シャンドン」などでは、かねてから一般の見学に対応してきましたが、他のメゾンも門戸を開放するところが増え、ホームページなどから予約して見学することができます。
私はこれまでに何度かエペルネを訪れていますが、今回あらためて感じた変化がありました。それは、たくさんのメゾンの中庭がシャンパンバーになっていたこと。立派な鉄の門が開かれていて、ツーリストは気軽にその中に入ってシャンパーニュを楽しめるようになっていたのです。
私たちが訪ねた「Champagne de Venoge(シャンパーニュ・ドゥ・ヴノージュ)」も然り。
中庭で気軽に、あるいは事前に予約をして優雅な邸宅の中を見学した後、シャンパーニュを楽しむというコースもあります。
シャンパーニュの富の象徴がミュージアムに
そして、エペルネのこの大通りには新しくミュージアムがオープンしました。
この地方の考古学、ワイン作りにまつわる展示品も興味深いのですが、何より建物そのものが見もの。
のちのナポレオン3世臨席のもと、エペルネに鉄道が開通(1849年)した頃に創られたこの邸宅は「Château Perrier(シャトー・ペリエ)」と呼ばれてきました。シャンパーニュメゾン「ペリエ・ジュエ」の当主ペリエ家の屋敷とカーブだったもので、大改装された今でも、エントランスや階段などの見事な建築から、往時の豊かさが伝わってきます。
シャンパーニュ地方は20世紀、2度の大戦の激戦地になりましたが、このシャトーも例外ではなく、負傷したイタリア兵を収容したり、英国のロイヤルエアフォースの拠点となったり、ドイツ軍に占領された時期もあれば、アメリカ兵が使っていたりと、激動の時代を経てきました。
ペリエ家の子孫が競売に出すとエペルネ市が購入。図書館や考古学博物館として利用されてきましたが、2011年に新しいミュージアム構想が始まり、大規模な改装を経て、2021年5月にオープンしています。
そして、エペルネのちょっと変わったお楽しみが気球体験「Le Ballon d'Epernay(ル・バロン・デペルネ)」。
シャンパーニュ大通りのすぐそばに、気球の乗り場があって、気候条件が許せば150メートル上空からエペルネ市街や周囲のブドウ畑の連なりを眺めることができます。
私の時は残念ながら気球は上がらず…。
その代わり、ヘッドセットをつけてのヴァーチャル気球体験となりました。
やり残したことがあるということは、また訪れるチャンスがあるということ。
と、勝手に良いように解釈しましたが、いずれにしても、シャンパーニュ地方は何度訪れても魅力の褪せない土地。シャンパーニュという格別の飲み物が育くむ豊かさの賜物でしょう。