樋口尚文の千夜千本 第159夜「空に住む」(青山真治監督)
メロの雑味を抜いて澄み渡る大吟醸シネマ
『共喰い』以来7年ぶりの青山真治監督の新作だが、自分のなかでは『共喰い』は荒井晴彦や田中慎弥の匂いが前にせり出して、あれは青山真治監督だったっけ、という印象になっていて、むしろその前の三浦春馬主演『東京公園』に青山監督らしさの充満するさまを見た気がした。そういう意味で『空に住む』は『東京公園』の延長にある姉妹篇のような作品に思われるのだが、そんなことを言いつつその「らしさ」とは何なのかを的確に伝えるのはなかなか難しい。だが、このタワーマンションに猫と住む出版社勤務のヒロインの日常をとらえ続ける静謐な作品にはじわじわと作家のまなざしが浮かび上がってくる。
ヒロインの直実(多部未華子)は小さな趣味性の強そうな出版社に勤めていたが、両親を不測の事故で失い、心配した叔父夫婦(鶴見辰吾、美村里江)のはからいでタワーマンションの高層階に住むことになった。仕事にそこそこ生き甲斐もあり、大きな不自由はないものの、そこはかとない孤独を抱えて静かに過ごしている直実のありようが、言わず語らずして描かれてゆく。瀟洒なマンションからの俯瞰の眺めは、彼女の生活を騒々しい浮世から切断して、その繊細な自我を浮き出させる。
直実のごく平凡で無理せず穏やかな暮らしに、思わぬかたちでときめきの波瀾が生ずる。いつも窓から見える屋外広告でその美貌を眺めていたスタア俳優の時戸森則(岩田剛典)が同じマンションに住んでいて、エレベーターのなかで声をかけられてしまう。時戸はなぜか直実に興味を抱いたようだった。別にファンというわけではないものの、直実はこの「非日常」の到来に思わず心が揺れる……。こんな都会の童話のような物語を他の監督が撮ったら、案外よくある娯楽作になってしまうのかもしれない。試しに東宝などで甘いスイーツのような青春映画で当てている職業的監督にこのシナリオを撮ってもらって、比較してみたい気持ちに駆られる。
直実と時戸の男女関係、直実と叔父夫婦との親戚関係、直実と訳ありな同僚の愛子(岸井ゆきの)との友人関係。それぞれに直実の琴線にふれるエモーショナルな出来事が用意されているのだが、青山監督はそれらの表現にありがちな通俗を排し、作劇や映像のトーン・アンド・マナーを抑制的にすることで物語のメロを濾過してゆく。したがってこうした関係性をめぐるドラマはひじょうにわかりやすいが、映画的な余白、襠が不断に担保され、ひじょうに澄明な文体が持続する作品となっている。そこに永瀬正敏を起用するのか、というさる職業の人物と直実が過ごすひとときなど、そのまた上澄みという感じの時間だった(『星の子』に続いて永瀬正敏のプレゼンスで見せる演技がまた素晴らしい)。
青山監督は、この天空の風景によって切り出された直実を、さらにこうした粉飾なしのまなざしで見つめ、そこかしこに映画的な時間を生む胚胎を見出そうとしている。多部未華子は多くのドラマやコマーシャルでは綺麗だがちょっととぼけたコメディエンヌ的な役柄を求められることが多いが、このマイペースで(あることに無用の摩擦がつきまとって辟易している)誠実だがちょっと暗めな女子というのは、新境地というよりもこちらのほうが実像に近いのではという感じのはまり具合であった。